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国際水月塾武術協会 International Suigetsujuku Bujutsu Association

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本会が伝承している武術流派と古武道全般の技法・歴史・文化などを解説します。文章・記事・写真の転載は固く禁止します。

稀少捕縄

武具をほとんど扱っていない骨董屋にときどき一つだけポツンと武具が置いてあることがときどきある。
今回紹介する捕縄もその一つ。

筆者 「 (わざと) これ何ですか?」
主人 「わからないねぇ、でも銘があるよ」
筆者 「・・・いくらですか」
主人 「○○円」
筆者 「○△円になりませんか」
主人 「・・・じゃあ、それでいいよ」
何だか知らないものによく値段が付けられるものだ。

捕縄に真鍮分銅が付いている。

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「飛竜」 と銘が切ってある。
珍しい一品である。





(完)
 
# by japanbujutsu | 2017-06-28 17:17 | 武具の部屋 Arms
本科の十手

現在、わが水月塾の会員諸氏の中には残念ながら武具に興味を持ち、蒐集している同好の人がいない。
武具にも興味をもっていれば、真贋の見分け方など、いろいろと教授してやることができるのだが。
武術が好きであるならば、武具にも興味を持って欲しいところではある。
武具は武術と同じほど奥の深い、味わいのある世界なのであるから。

さて、今回は本科の十手を見てみよう。
十手や鎖鎌には実に贋物が多い。
まず、十手の場合、鉄味を見ること。
これは経験がものを言う。
いわゆる 「だまされて覚える」 というやつ。
偽物を買わされたら、それは勉強代だと思え、とはよく言われること。
まさにそのとおりである。

和鉄の鍛えによる鉄物武具はきれいに黒錆が付く。
赤錆が付いても細かく、洗浄すればすぐに落ちる。
そして重要なのは鍵の接続部分。
溶接はアウト。
しっかりと穴を穿ち、鍵が棒身を貫通していること。
そして、その鍵が厚いこと。

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房環が涌かし付けになっていること。
など、いくつかの注意点がある。

ここに紹介したものはやや長めで、房環はなく、柄尻が天正拵のように広がっている。
持ち手が十手から外れないための工夫である。

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何の変哲もないシンプルな一品であるが、鉄味は最高である。





(完)
# by japanbujutsu | 2017-06-26 17:31 | 武具の部屋 Arms
『図解雑学 剣豪列伝』 最終回

p.82 宮本武蔵
父から授かった技をベースに、あまり実用的とは言えない十手を小刀に持ち替え、二刀流を完成させたと考えるのが自然ではないだろうか。

【寸評】
この上もなく不自然である。
それではなぜ父の平田武仁はそんな非実用的な十手をわざわざ流儀に採用したのか、著者はその意味をまったく理解していない。
最初からなぜ実用的な小刀にしなかったのか。
武蔵の父は頭が悪かったのだろうか。
「あまり実用的とは言えない十手」 とは何に対して実用的ではないと言っているのだろうか。
私は個人的には平田無仁の十手は 「非常に実用的な十手」 だと思っている。

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その答えが分からないのでは剣豪のことなど書かない方がよい。






(完)
# by japanbujutsu | 2017-06-24 15:10 | 武術論考の部屋 Study
『図解雑学 剣豪列伝』 ⑥

p.80 佐々木小次郎
この当時の剣術修行は、打太刀と仕太刀に分かれて「形」の稽古をするのが普通であった。小次郎は打ち込まれる側の打太刀として、師匠・富田勢源の相手を務めたとされている。

【寸評】
著者は武術の稽古についてまったくの無知であることがわかる。
なぜ弟子が師匠の打太刀を務めるのだろうか。
彼の頭の中では弟子が師匠に武術を教えることになっているらしい。
もうお終いである。

筆者はこの三十年、力信流で美和師範の、そして二天一流で荒関師範の仕太刀を務めた以外、自分の弟子に対して仕太刀を執ったことは一度もない。

松代藩文武学校における演武会で門人瀬沼氏の打太刀を務める筆者。

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(つづく)
# by japanbujutsu | 2017-06-22 17:54 | 武術論考の部屋 Study
『図解雑学 剣豪列伝』 ⑤

p.60 田宮平兵衛重正
田宮の教えは、 「手に叶いなば、いか程にも長きを用ふべし 勝事、一寸まし」 というものであった。自由に扱えるならば、少しでも長い柄の刀を使うことが勝利への道である、と説いたのである。このため、後世の人々は皆、長柄の刀を差すことになったという。

【寸評】
「後世の人々は皆、長柄の刀を差すことになったという。」。
後世の人々とは誰のことなのだろう。
それではなぜ長柄の刀が現在ほとんど残っていないのだろうか。
なぜ、現在、田宮流をしている人たちの刀は柄も含めて短小なのだろうか。

写真は筆者が稽古・演武に使用している長柄刀。
筆者が通う関口流の道場でさえ、長尺刀を抜いているのは筆者だけである。
隣の二人の柄と比べればその長さの違いは一目瞭然である。

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序でに、
ただ一つ、確実に言えること。
それは江戸時代の定寸(刃長二尺三寸、柄長八寸)は体格が格段に大きくなった現代人の我々には明らかに短すぎる長さであること。
筆者からみれば、二尺三寸の長さは現代人にとってもはや脇差にしか見えない。
肥後関口流の古伝書に、居合刀の定寸を二尺五寸と定めているが、これを現代人の身長でみれば二尺七寸が相当する長さである。
居合のなんたるか、その本質を見極めなければいけない。
アメリカで190cmの男が四尺二寸一分の定寸杖で神道夢想流の形をしていたが、見るに堪えない演技であった。
せめて五尺にしてやらないと形にならない。
こういったことこそ伝統に囚われずに対処していくべき事柄ではないのだろうか。





(つづく)
# by japanbujutsu | 2017-06-20 17:09 | 武術論考の部屋 Study

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