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国際水月塾武術協会 International Suigetsujuku Bujutsu Association

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本会が伝承している武術流派と古武道全般の技法・歴史・文化などを解説します。文章・記事・写真の転載は固く禁止します。

古流の伝統を保持した時代の講道館柔道秘伝書

日本伝嘉納流投之形初目録

今となっては極めて稀少な『日本伝嘉納流投之形初目録』を紹介する。

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柔道は、嘉納治五郎が明治15年(1882)に東京下谷北稲荷町(現在の台東区東上野)にある永昌寺で指導したのが始まり。大学を中心に「精力善用」「自他共栄」という理念を以て普及。官の組織・方式によって全国に普及していく。

しかし、明治の中期、まだ講道館柔道を古流と同じ方式で教授していた人がいる。

馬場帰誠齋七五郎宗起。経歴は省略する。明治23年、まだ講道館に黒帯が二十人足らずだった時代、すでに馬場は二段だった。名人永岡秀一は岡山の起倒流野田道場で、彼にたたきのめされて、講道館に入門した。

この伝書が差し出された明治28年(1895)は大日本武徳会が創設された年である。伝書の書式は全く古流に則っており、彼が何らかの古流を学んでいたことは想像に難くない。ここには講道館という言葉が全く使われておらず、「精力善用」「自他共栄」の言葉もない。嘉納によって創られた講道館用の造語は一切書かれていないことがわかる。

ついでに書くが、「ウィキペディア」に次のようなデタラメな記述が出ている。

「体の弱かった嘉納治五郎は当身技・固技に優れた天神真楊流柔術を福田八之助、磯正智に学び、後に投げ技中心の起倒流柔術を飯久保恒年に学んだ。それらを独自の理論で整理、体系化を図り、「道」は根本で「術」はその応用である、という考えから「術」ではなく「道」を講ずるところとして、名称を「柔術」から「柔道」と改めた。」

以下のように書き改めた方がよい。

体が人並みで健康だった嘉納治五郎は投技に優れた天神真楊流柔術を福田八之助、磯正智に学び、後に捨身技中心の起倒流柔道を飯久保恒年に学んだ。それらを基にし、古流の乱捕理論を採用して再編化を図り、起倒流柔道から「柔道」の用語を採用した

一部を見てもこんな認識であり、とにかく講道館柔道の歴史記述は何を見てもデタラメである。これは誰が何と言おうが、訂正しなければならない。


今ここに、その一つの例を示す。これは三州吉田藩に伝承した一心流柔術の伝書である。この柔術には、すでに講道館柔道でいうところの「自然本體(体)」「自護體」の教えが「乱捕悟ノ口伝」として伝えられていた。それは伝書に「一體 半躰(体)」「足裏半強」と書かれている。一心流の乱捕が制定されたのは明治二年の二月。武士はまだ髷を結っており、大小差しで、ほとんど幕藩体制を引きずっていた時代である。嘉納が持っていた独自の理論とは一体何であろうか。

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by japanbujutsu | 2013-01-03 17:35 | 秘伝書の部屋 Secret densho

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