新免二刀流剣術 Shinmen nitô ryu Kenjutsu
昭和の前期、千葉県に二刀流で試合をする老剣士がいた。
五十嵐一隆二刀齋治近(右写真)。
流儀は新免二刀流。
宮本武蔵の流れを汲む越後伝の二刀剣術である。
宮本武蔵はもちろん、竹刀で試合をしたわけではない。江戸時代後期、剣術家の間で全国武者修行が流行したとき、二刀流を使う剣士たちが二刀での試合方法を確立したのである。
競技武道は一定のルールのもとに、公平な条件で試合をするのが大原則である。その中で、なぜか剣道における二刀だけが、このルールを犯している。二刀が一刀より有利なのは自明の理。小刀で間合いを詰め、通常より長く持った大刀で打ち込むのだから、普通に試合を行えば負けるはずはない。間合いにおいて絶対的に有利なのである。
さて、その新免二刀流。昭和三十八年に会長の師匠荒関富三郎が継承し、失伝が免れた。
世は平成となり、後継者のなかった荒関に会長が入門した。徹底したマンツーマン指導で平成五年、兵法天下一二天一流とともに免許皆伝を受けた。
当時形がなかった新免二刀流の試合剣術から、会長はその粋を結集して「新免二刀流剣術二十三勢法」の形を抽出し、荒関の検証を受けて古流武術としての体裁を整えた。
二天一流の高腰におけるゆっくりした長い動作に対して、新免二刀流は出会い頭の一撃で勝負が決する極めて迅速な技法を特長としている。
国際水月塾武術協会では、二天一流と新免二刀流の両流儀を合わせて教伝している。