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国際水月塾武術協会 International Suigetsujuku Bujutsu Association

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本会が伝承している武術流派と古武道全般の技法・歴史・文化などを解説します。文章・記事・写真の転載は固く禁止します。

田中藩の制剛流俰(柔術)

田中藩の制剛流俰(柔術)

ここに『田中藩武道史』というたいへん貴重な本がある。

その中に制剛流俰(柔術)が採り上げられている。

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そしてさらに貴重なのは、幕末における田中藩制剛流の修行者たちが、他藩から来訪する柔術家たちとの他流試合の勝敗を記録した資料を翻刻していることである。

嘉永七年(1854)、早川八郎治義利が先代の小池弥右衛門の後を承けて田中藩制剛流の師範に就いた。

早川八郎治は制剛流祖水早長左衛門から数えて十二代目の師範。

早川に師範が変わったときに新たに七十八人の者が入門したというから実力もあったのだろう。

ここに紹介する伝授巻は、その早川が安政三年(1856)に門人の竹田常次に差し出したものである。

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竹田常次は弘化五年(1848)入門、初伝が嘉永三年(1850)、中伝(ここに紹介した俰五身伝)が安政三年(1856)、上伝が安政四年(1857)、皆伝が万延元年(1860)、世話役が文久元年(1861)となっている。

これを見ると竹田は入門から皆伝まで十三年を要していることがわかる。

田中藩制剛流の柔士はあまり強い者がいなかったと見えて、全敗に終わることも珍しくなかった。

しかし、仲間のすべてが負ける中で、ただ一人勝つ者がいた。

竹田常次である。

例えば、安政四年の九月に天神真楊流磯又右衛門の門人坂倉左馬之助が試合に来たときには制剛流側が八連敗した後、最後に試合をした竹田が坂倉を破っている。

また、揚心古流戸塚彦助の門人立川千兵衛が安政六年八月に試合に来たときも、制剛流側が八連敗した後、竹田が勝利している。

記録を残すことは大切である。

目の前に当時の試合の様子が蘇る。
by japanbujutsu | 2013-05-22 21:10 | 秘伝書の部屋 Secret densho

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