崩れ行く家元制度
もともと完全相伝である武術には家元・宗家制度は存在しないことはすでに述べた。
現在、宗家を名乗る人たちは、いずれも武術の相伝制度を理解していない人たちである。
そうした、武術の世界にあって、宗家(家元)制度を敷いていた例外的な流儀が二つあったこともすでに述べた。
その一つが森戸系浅山一伝流、もう一つが今回紹介する天神真楊流柔術で、ともに江戸に稽古場があった。
両流儀ともに主として諸藩から参勤交代で江戸に来る武士たちに教授していた。
だから、江戸の稽古場が諸藩の同流の者たちを統率できたのである。
茶の千家や華の池坊と同じである。
ところが浅山一伝流は幕藩体制の崩壊とともに家元制度が崩壊し、しばらくして流儀も絶えてしまった。
また、天神真楊流は明治以降も全国各地で指南されたが、すでに流祖磯又右衛門正足の生存中に家元制度が崩れている。
許しを門人に勝手に与えたことが磯家に発覚して、破門されている者もいる。
今回、紹介する伝授巻は安政三年(1856)の発行である。
文久三年(1863)年に没した又右衛門はこの時にはまだ生存中である。
よって、この伝授巻は発行者の川渕長左衛門が家元に無断で発行したことがわかる。
今や宗家が乱立し、同じ流派の師範が全国にたくさんいて、皆独自に活動しているにもかかわらず、その流派の一部の師範だけが宗家を名乗るとは、いかにも機能を果たしていないことが明白である。