『 柔術剣棒図解秘訣 』 のこと
明治維新後、地方 ( 農村や藩領の周縁部 ) では武術の入門者が激増し、都市部では激減した。
このことを研究や調査もせずに地方も都市部も一緒くたにし、「 日本の武術は明治維新後は衰退の一途を辿った 」 などと平気で述べている人たちがいる。
また諸藩でも城を中心とした武家屋敷に住む武士たちが藩校で稽古していた武術も、藩校の廃絶とともに、そのほとんどが消えた。
参勤交代で全国諸藩から武士が集まる江戸はその最たるもので、明治初期に武術を稽古している者は世間から白い目で見られた。
剣術の江戸三大道場と呼ばれた三流儀の剣術道場も消えるのは早かった。
嘉納治五郎が学んだ天神真楊流でさえ、二、三の稽古場を残すだけとなった。
江戸の他、京都や名古屋も同じ状況だった。
秘伝だ、口伝だ、などと出し惜しみしている流儀は、武術そのものがどんどん消えていく世情だった。
そんな中、明治中期になると、わずかに残った古流の師範たちは、何とか後世に流儀を残そうと、流儀の形を詳細に解説した本を次々と出版していく。
その先駆けをなしたのが、今回紹介する 『 柔術剣棒図解秘訣 』 である。
発行は明治20年、編纂者は井之口松之助。
天神真楊流柔術の他、荒木流棒術、香取流杖 ( 『 北斎漫画 』 の挿絵と酷似しているため、そのように判断 )、戸田流両分銅鎖、撃剣、捕縄まで解説している。
就中、天神真楊流柔術の解説は詳細であり、保存に向けての意気込みが感じられる。
しかし、天神真楊流の師範たちは、これを以て良しとせず、さらに詳細に解説した 『 天神真楊流柔術極意教授図解 』 の発行に踏み切った。
古今東西、これほど詳しく形を説明した書籍は存在しない。
当時、形の名人と言われた吉田千春が著者であるから元祖磯又右衛門が伝えた形と寸分の狂いもないものと思われる。
こうした武術解説書に共通していることは、その本を見て、読んで、稽古をすることを門外漢にも奨励していることである。
完全に武術の全公開である。
しかし、本を発行しても、流儀が盛んになることはなく、一部の系統を除いて、全国の天神真楊流は絶えた。
武術が急速に衰退していく時代は三期。
第一期が明治維新後における都市部と諸藩領内。
第二期が第二次大戦後の地方。
第三期が現在で、全国各地。
これは最早、手遅れである。
だれの責任でもなく、日本国民全体の伝統文化や郷土を顧みないその体質がすべての原因である。
そして、そのような国民をつくってしまった政治家と学校教育の責任でもある。