『大正武道家名鑑』を見る(2-1)
今回は剣道教士の部から珍しい剣士を採り上げる。
兌山流 河島角摩(鳥取)
津田一伝流 宗重遠(福岡)
融和流 浜島重軌(名古屋)
戸田流 納富教雄(佐賀)
小栗流 都賀田茂穂(金沢)
水野一伝流 柿田信行(金沢)
四天流 井上藤十郎(熊本)
新当流 伊奈盛高(松山)
績川一刀流 猿田東之助(千葉)
納富教雄
肥前国小城郡西川(現在の佐賀県小城市)に生まれる。納富家は小城藩の武術師範の家系で、代々五郎太夫を名乗った。教雄が明治30年(1897年)7月に建碑した石碑によれば、五郎太夫は真之乱流組打・真之乱流棒縄術・戸田流剣術・真之乱流二刀・根岸流長刀の九代師範とある。納富家の稽古場での他流試合で殺してしまった者を葬ったという「鬼塚」が現在も残る。
猿田東之助
小見川藩(下総国香取郡)に生まれ、5歳から父猿田源八とともに岡野道矩に積川一刀流剣術を学ぶ。
1885年(明治18年)、千葉県看守を務め、その後警視庁小松川警察署撃剣世話掛を経て、宮内省皇宮警察長小笠原武英の招きで皇宮警察に移籍。身長5尺(約150cm)と小柄であったが、早業で「猿田彦」の異名をとる。
残念なことに、今回紹介した流派はすべて失伝している。