裸体捕のこと
柔術におれる裸体捕は極めて特殊な取り口である。
確認できるものとしては、天神真楊流の「崩之事」の段に「裸體捕之事 三手」があり、『天神真楊流柔術教授図解』に載せている。これは、はっきりと裸體捕と明記しているので実伝として稽古されていた例である。しかし、流派は幕末の成立であり、刊本は明治の発行である。原形の楊心流に裸體捕があったかは大いに疑問である。
最近発売された『秘伝』の記事に、小栗流の固め技を裸体捕として紹介しているのを見て、疑問に思ったのは筆者だけであろうか。参考としている小栗流の文献は公刊本でよく知られている「小栗流和組物之図」であるが、この伝書のどこにも裸体捕という文字を見ることはできないし、小栗流の他の伝書を見ても、裸体捕の目録を見ることはできない。
これは伝書で形を示す際に用いられる描写法の一つであり、紋付き袴姿で形を描くと四肢の様子がよく分からないため、便宜上、裸体で描いている。特に固め技では手足の絡みが重要であるため、四肢の位置関係がよくわかるように裸体で図示しているだけなのである。第一、武士の習い事に「裸体」という設定があるわけない。
このことは、例えば信州伝無双直伝流和(下図)や弘前藩伝本覚克己流和術の絵伝書を見てもわかるように、平服による柔術形を敢えて裸体で描いているわけである。
剣術でも同様の伝書を見ることができる。剣術の稽古を何故に裸体で行う必要があるのだろうか。そんなことがあるはずはない。伝書における描写の一方法に過ぎないのである。新陰流の古伝書を見て、「昔は猿が剣術をしていたのか?」と思う人がいるだろうか。
上図は本覚克己流の「矢倉落」の形である。右手は本来、敵の胸襟を掴んでいるのであるが、形を明確に図示するために裸体で描いている。実際にはこの形は裸体では打つことができない。
あやまった武術認識を世に発信すべきではない。
間違いは誰にもあることなので仕方がない。
要は訂正をすればよいことなので、向後の研究を期待したい。