中国内家拳と合気
中国内家拳(太極拳・形意拳・八卦掌)と合気柔術の 「合気」 の関係を最初に論じたのは、鶴山晃瑞氏である。
鶴山氏はその著書 『図解コーチ 合気道』 で次のように論じている。
「著者の研究では、会津藩に伝えられた”合気柔術”は中国拳法内家理論の影響をたぶんに受け入れていたことが明確となった」と。
これまで、さまざまな武道家が 「合気とは何か」 という問いに答えを出してきた。
古流の武術では 「我と敵が一体一気になるを合気」」 と言ってこれを嫌っている。
また「柳が風に折れないのを合気、風が柳の枝を折るのが気合い」とも言う。
一方、鶴山氏は「合気とは力をゼロにする」と説いている。
しかし、私が数名の師範から学んだ合気の技法を総括すると、そのいずれとも異なっている。
鶴山氏が著書で引用している鬼一法眼の言う 「来らば即ち迎え、去らば即ち送る。対すれば和す。五、五は十なり。二、八は十なり。一、九は十なり。即ちこれをもってすべて和すべし」 という言葉がもっともその真理をついているであろう。
これを稽古で習得するには、そのための合理的な養成法を必要とするが、実は柔術にはそのような稽古法がない。形の中で自得していく以外にないのである。
逆に言うと、合気はどのような柔術の中にも、その形を正しく打つことができれば合気はその中にあるものである。
その合気を具体的に養成する方法に太極拳の「推手」がある。
このことを指摘した人はこれまでいないだろう。
否、いるかもしれないが私は知らない。
鶴山氏が会津の合気柔術が内家理論の影響を受けたと言っているが、それはあり得ない。
しかし、両者の関連に気付いたのは氏が内家拳と大東流の両方を修行したからであろう。
両者には何の関係もないが、武術の技法上の理論の中に、確かに共通するものがある。
その具体的な合気というもののヒントを実技を交えて当協会のルーマニア支部長(武田流合気之術師範)に教えた。
あとは実技の中でどう表現できるか、である。
なお、鶴山氏説を感情論で否定している人たちは多いが、彼の合気諸派に対する歴史的見解は、大東流会津御式内説を除けば、概ね正しいことを言っている。また、大東流の源流を会津藩伝浅山一伝流とする説はまったく論証が得られない。
合気には 「触れずに倒す」 などという摩訶不思議な技はない。
柔術を志す者は、受け身からしっかりと稽古し、形を理論を交えてしっかりと教える道場で学ぶべきである。