楊心流血脉
血脉は 「ケチミャク」 と読む。
中国での用語。
元の意味は、血のつながった家系一族をさしたが、それが次第に敷衍し、仏教界において、在家の信者に与える仏法の教えの伝承系譜図をさすようになった。
これがわが国、武術の伝承方式に影響して、その歴代相伝者を血脉とよぶようになった。
武術の伝承が家族の血の繋がりと同じ、あるいはそれ以上であるほど意味深く、重要であったことがわかる。
系図に朱線を施し、歴代の姓名を繋げるのもここから来ている。
楊心流柔術を例とすると、
初代とされる秋山四郎兵衛永春は「殺活開祖 天真正」とある。
天真正は神格であるから、殺活は夢想で開眼したという意味であり、秋山の実在がここでもやはり疑問視されるところである。
実質上の流祖は二代目の大江専兵衛義時であり、「楊心流視観」とある。
視観とはどういう意味だろうか。
三代目以降は「真卯」という、これまた意味不明の肩書きが付いている。