柳剛流の木刀
流儀にはそれぞれオリジナルの木刀が伝えられている。
この正しい長さ、太さ、形態の木刀で稽古をしないと、真の流儀の技は修得できない。
力信流では明治時代に岡山の大江家で使われていた木刀と、戦後、大長九郎が武徳会で使用した木刀の形態(現行型)が異なっていて、筆者としてはこれが大きなジレンマとなっている。江戸期の力信流木刀は柳剛流と同じで長くて無反りである。
柳剛流の木刀については、宮城県の角田・丸森地区に調査の手が回らず、未確認であったが、幸い埼玉県さいたま市の深井家に江戸期の木刀が残っており、それを採寸して製作した(上が柳剛流、下は現行の力信流用)。
先日、できてきたので、使ってみる。
四尺以上あるので、まず間合いから異なる。
そして、四尺の木刀を使うことにより、あることを悟る。
これは実際に柳剛流の技・形ができなければ実感できない。
これは重要な口伝であり、そして秘伝である。
古流の古い木刀には四尺前後の長い木刀が結構残されている。
その真価を知ることができるのは、実際にこの木刀を使用していた流儀を今に伝える者たちだけなのである。
<余談>
この木刀は切っ先が切り落としのものとハマグリ型のものがある。
筆者としてはどちらでもよかった。
しかし、製作業者は何を思ったのか、平切り(柄頭と同じ切り口)で送ってよこした。
返送して作り直させようかとも思ったが、自分で削るのもまた一興。
切り落としにした。
(完)