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国際水月塾武術協会 International Suigetsujuku Bujutsu Association

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本会が伝承している武術流派と古武道全般の技法・歴史・文化などを解説します。文章・記事・写真の転載は固く禁止します。

カテゴリ:秘伝書の部屋 Secret densho( 140 )

楊心流薙刀


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楊心流薙刀について公開されている流儀の記述はつぎようなものである。

元和六年 (1620) 宗茂が旧領の筑後国柳河藩に転封されると楊心流は柳河藩の御留流とされ、中でも薙刀術は殿中に仕える女中の護衛武術とされたとする。
その継承は、一子相伝の流派が多くある中、実力によるものとし、薙刀を中心に継承されてきた。
その伝統を受け継ぎ、演武においては振り袖着物姿に襷掛けで白足袋を着用し、襷や鉢巻きは包帯に代用するため、布を縁取りしないものを使用している。


もう、滅茶苦茶な記述である。
どうすればこのように杜撰なことが書けるのか不思議ですらある。

1 元和六年に楊心流が柳河藩の御留流となる?
まず江戸期の武術に御留流などというものが存在した記録は皆無である。
次に、楊心流の実質的な祖である大江専兵衛は寛文十年(1670)に伝書を発行しており、1620年に流儀がすでに他藩に定着している可能性はほとんどない。しかも当時は楊心流に薙刀はなかった。

2 殿中に仕える女中の護衛武術?
幕末の風雲急を告げる時代と勘違いをしているのではないだろうか。

3 その継承は、一子相伝の流派が多くある中、実力によるものとし、薙刀を中心に継承されてきた?
実力のある女中が流儀を継承したのであろうか。
武術史をもっと真剣に学んだ方がよい。
楊心流の江戸時代における相伝の中で、薙刀が中心となったことなど一度もない。

4 演武においては振り袖着物姿に襷掛けで白足袋を着用し?
江戸時代に柳河藩でこのような演武が実際に行われた記録があったらぜひとも拝見したいものである。

まことに残念なことに、本来は男薙刀であった楊心流薙刀に現在は男使いが残っていない。

なお、当たり前の常識であるが、日本の古流武術には宗家制度はない。
楊心流もしかりである。
女性に宗家が移ったとしているが、流儀を継承したのが女性であるだけで、それを宗家と勘違いしてはいけない。



 
by japanbujutsu | 2015-10-18 17:51 | 秘伝書の部屋 Secret densho
難波一甫流 高橋猪兵衛(亥兵衛)

この伝書の発行人、高橋猪兵衛満政は、かの有名な拳骨和尚武田不遷物外の難波一甫流における師匠である。

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内容を見ると、八重垣流剣術が並記されている。

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高橋はまた渋川一流柔術の祖、宮崎儀右衛門満義の師とも推測されるが、確証を得ない。
両者の諱に共通する文字「満」と時代が合致することからの推定である。

後考に待つ。
by japanbujutsu | 2015-10-13 17:23 | 秘伝書の部屋 Secret densho
船海微塵流柔術 SenkaiMigin Ryu Jujutsu-Takada Ryu

甲州(現山梨県)に伝えられた柔術の一つに船海微塵流という一風変わった名前の流儀がある。
江戸の中期には野州(現栃木県)に伝播し、宇都宮藩校修道館で教えた。

船海微塵流の元は玄海流で、海のイメージを継承したのだろう。玄海流の母体は無双直伝流であるから、元は信州伝である。

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流祖の坂田重信の経歴は不明であり、二代目の高坂政光、三代目の山本義清はともに高坂弾正、山本勘助を彷彿させる名前である。

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しかし、地元の山梨には一切の史料が存在しない。
武術の伝脉とは所詮そのようなことが多い。

詳細は『水月』で検討する。
by japanbujutsu | 2015-10-11 19:58 | 秘伝書の部屋 Secret densho
仙台藩伝羅漢拳の介錯 ⑤ 打首之事

打ち首は随分と粗雑である。
介錯人は袴を着けていないし、三方その他の諸道具、検使その他の配役も厳密な規定はないようである。

介錯の場合は首の皮一枚を残して切るが、打首の場合は「首落し穴」に切り落とす。

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介錯人は罪人の左後方から立ったまま切り落とす。
by japanbujutsu | 2015-09-22 17:39 | 秘伝書の部屋 Secret densho
仙台藩伝羅漢拳の介錯 ④ 袈裟切

「けさは如斯く土段え居前より打」とある。

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袈裟切は土壇に身体を据え、前から切り落とす。
右腕は杭に縛り付けておき、左肩から右腰に掛けて切る(大袈裟)。
図にあるように「大袈裟」と「小袈裟(首元から肋下)」がある。
by japanbujutsu | 2015-09-20 17:28 | 秘伝書の部屋 Secret densho
仙台藩伝羅漢拳の介錯 ③ 胴附之事

胴付は据物斬において斬り付ける胴の箇所を示すものである。
据物斬は将軍の佩刀などのために特に厳粛な儀式として執り行われた。

その方法は、地面に竹の杭を数本打ち立て、その間に死体を挟んで固定する。
僧侶、婦女、賎民、廃疾者などの死体は用いない。
死体を置き据えるときは、死体の右の方を上に、左の方を下にして、また、背中は斬る人のほうに向ける。
刀には堅木のつかをはめ、重い鉛のつばを加える。
斬る箇所は、第一に摺付(肩の辺)、第二に毛無(脇毛の上の方)、第三に脇毛の生えた箇所、第四に一の胴、第五に二の胴、第六に八枚目、第七に両車(腰部)である。
以上の箇所を斬ってその利鈍を試みる。

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仙台藩伝羅漢拳の介錯においては胴体の上部より第一に脇毛、第二に雁金、第三に乳の下、第四に大雁金、第五に一の胴、第六に二の胴、第七に車、第八に置据、となっている。
by japanbujutsu | 2015-09-18 17:01 | 秘伝書の部屋 Secret densho
仙台藩伝羅漢拳の介錯 ② 御前介錯

図は御前の場合において、脇差で介錯する場面を描いている。

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右膝を立てて切り留め、すぐに身を捻るとあり、太刀でも同断とある。
関口流では左膝を立てるので逆である。

図で見る限り、切腹人は胡座をかいている。
今後の研究に待ちたい。
by japanbujutsu | 2015-09-16 17:38 | 秘伝書の部屋 Secret densho
仙台藩伝羅漢拳の介錯

江戸時代、仙台藩に驚異の武術、十六羅漢拳が伝承されていた。
インド起源で中国を経由して仙台藩に入った必殺インド拳法で、奥の深い打拳体術を伝えた。
この拳法に介錯の伝がある。
こちらはもちろん純和風である。

伝書ではまず最初に「介錯の大事」を説いている。
伝書には「手之伝」とある。
切腹用の短刀を載せた三方を切腹人の向こう三尺五寸の位置に置く。
切腹人が左の手をつき、三方を引き寄せるところを討つ。

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伝書の絵は粗画であるが、右手を出している。
御前の場合には短刀を腹に立てたところを討つ。

討つ方法は切腹人の左の膝を曲尺に踏み込み、一の骨を見込んで討つとある。
by japanbujutsu | 2015-09-14 17:14 | 秘伝書の部屋 Secret densho
不変流取手縄

盛岡藩に伝えられた総合武術不変流。
流祖神を不変心王とする。
『武芸流派大事典』では最初は秋田藩に相伝し、出羽の斎藤環清行が享保元年に盛岡藩に召し抱えられて以来、盛岡藩にも伝承した、とある。
今回、紹介する伝書は盛岡から出たものであるから、盛岡藩伝であることに間違いはない。
そしてこの伝書では、斎藤環清行が流祖のように相伝系譜の筆頭に書かれている。

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さて、その不変流の縄術における故実が伝書に図入りで示されている。
文章による具体的な記述はないので、これからいろいろ研究して、解明を試みなければならない。

まずは罪人の検分方式の場の様式が書かれている。
その一つは二十人で場を取り囲み、中央に六具(三ッ道具他三種)を置き、罪人の背後に二人の太刀持ちが付く。

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あるいはこの解釈も誤りかもしれない。

次には山越えの法が書かれているが、こちらはさながら軍勢のようであり、内容はさっぱりわからない。

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識者の見解を期待したい。

日本の武家文化は未だに謎だらけである。
より詳しい研究結果は『日本武芸新聞 水月』で発表する。
by japanbujutsu | 2015-09-10 17:50 | 秘伝書の部屋 Secret densho
忍術の真実 -義盛百ヶ条- The truth of the Ninjutsu


忍術は今や欧米で大人気だ。
人気があるのはいいとしても、彼らは忍術の真実も歴史も何も知らない。
柔術と空手の真似のようなことを江戸時代からの古武道だと信じて、黒い空手着に地下足袋を履いて畳の上を飛び回っている。
中には上衣がTシャツの者もおり、必要のない帯を下衣の上に締めたりしている。

約三十年ほど前、まだインターネットなるものがほとんど普及していない時代、欧米で古武道を習いたい者はほとんどこの「忍者教室」に入り、それを日本の古武道と信じて真面目に稽古した。
これらの者は師範クラスになった今でも忍術を武術だと思っているからマインドコントロールは真に恐ろしい。
もはやそれが日本の伝統文化・伝統技術ではないとわかっても、二十年以上も稽古をしてきた者たちはそれを簡単には捨てることができない。
今やヨーロッパはどこの国へ行っても忍者だらけである。

ここに『竊盗(しのび)之巻 義盛百ヶ条』という伝書がある。
この義盛とは、伊勢三郎義盛という者で、かの有名な源義経の配下の武将で、忍歌を残したといわれる伝説の人物である。
その忍歌というのが、画像に示した伝書に記載されているものである。

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まず、忍術というのはスパイ(忍び)が行う盗聴術、情報収集術で、身を窶して敵陣に侵入し、敵方の情報を獲得する術であって、武術とはまったく異なる範疇に属している。
忍びが忍びの術を学ぶ目的で市中の道場に入門することなど100%あり得ない。
だいたい武術道場で忍術を教えたら、そこの門人はすべて「忍者」として登録されてしまい、役をしなくなる。
時に武術流儀に忍術が含まれていることがあるが、それは「外物之伝」であり、武術の技術ではないから勘違いしてはいけない。
また、忍者が骨指術だとか骨法などという体術を江戸時代に伝承していた事実は存在しない。
伊賀者次席として江戸市中や城中で警備をしていた者たちも、明治初期の維新変革期にその役目を解かれて、この世から「忍び」は抹消された。

実際の忍びは日常、別の職業に就いており、戦が始まるとその職権を利用して諸国を廻れる者たちで、甲斐の武田家では神主を忍びとして利用した。神主はその門葉に連なる氏子・信徒に御札を売るため諸国を行脚する特権があり、情報収集に長けていた。スッパというのがそれである。

明治末期から大正時代に創られた講談がネタとなり、これを脚色して甲賀流を名乗る人が何人もいた。
私の住む山梨にも小林小太郎という忍者がいたが、やることは大道芸の類であり、名前も顔も知られている時点でもはや忍者ではあり得なかった。

忍者が武術をやってもし敗北すれば、一軍の策略はすべて水の泡である。

タイトルの義盛百ヶ条なるものは、忍びの心得が書かれたもので、その成立はずっと時代が下ってからのことであり、義盛なる者が記したものではない。
これについてはその研究家が三重大学にいるようなので、ここでは触れないことにする。
by japanbujutsu | 2015-09-07 22:08 | 秘伝書の部屋 Secret densho

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