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国際水月塾武術協会 International Suigetsujuku Bujutsu Association

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本会が伝承している武術流派と古武道全般の技法・歴史・文化などを解説します。文章・記事・写真の転載は固く禁止します。

カテゴリ:武術論考の部屋 Study( 225 )

先日の居合道演武会で某師範が私の袴の結び (結びきり) を見て言った。
「そういう結び方をしていたら審査には絶対に受からない」 と。
それで言い返した。
「私はそんな団体に入るつもりは毛頭ないし、大体、審査なるものを受けない」 と。
下の画像が私がしている結びきり。

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聞くところによれば、その流儀では決まりで私が一番嫌う 「十文字」 に締めないとダメらしい。
その流儀はというと実は戦後創作されたものであることをご当人は何にも知らない。
そして、彼らがしている十文字結びなるものが、戦後になって一般化したことも彼はまったく知らない。
つまり、指導者が教えたことに対して何の疑問も持たず、何の勉強もせず、ただ盲目的に 「審査」
のためにやっているだけなのである。

さて、それでは袴帯の結び方について少し述べてみよう。
袴帯の結び方には十文字、一文字、重ね片結び、結びきり (武者結び) 、蝶結び (花結び) などがあり、またこれらの変化結びが多くある。
これらの中で袴帯の結び方は本来 「結びきり」 あるいは 「一文字」 が武家では普遍的であった。
一文字結び。

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袴帯は特殊な事情がない限り、解けないように結ぶのが当然である。
十文字はもっとも解けやすい結び方であり、まったく実用的ではない。

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上の古写真では右前で捻り結びにしている。
これで絶対に解けない。
すぐ解けるように結んだり、外出から帰ってきて結び方が違うと厳しく追及される。
徳川慶喜の写真を見ても一文字の団子結びで解けないようにしている。

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しかし常に結びきりで袴を着用すると、すぐに紐が傷んでしまうので、十文字結びなどが明治時代後期以降に考案された。
特に戦前までは、十文字結びはおめでたい席などでしか使わなかった。
江戸時代の武術伝書に見る袴帯はほとんどが一文字である。
十文字は一つもない。
要は、元来、袴帯の結び方には規則も強制もなく、個人の好みで自由に結んだということである。
下は影山流の大正期の写真。

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結びきりで一端を垂らしている。
一つの流儀の固定観念で他流を批判してはいけない。

なお、諸氏が十文字結びにしているのを非難するつもりはまったくない。
誤った指摘をされたから持論を述べたまでである。






(完)
by japanbujutsu | 2017-05-23 17:21 | 武術論考の部屋 Study
殿中武芸

殿中武芸などというものが江戸時代に存在した記録はない。
殿中で着用する長袴は、当時の武士の正装である。
殿中では走ってはならず、刀を抜くことは切腹にあたる重罪である。
謀反・刃傷沙汰を防ぐために、殿中差 (短刀) を差し、長袴をはいて歩きにくくしていた。
それと同時に長袴は戦意のないことを表すものだった。
この長袴のために殿中では自分の袴でつまづいたり、他人の袴を踏んでしまったりという失態が絶えなかった。
ちなみに忠臣蔵において浅野内匠頭が吉良上野介を討ち損じたのは、殿中差しと長袴のためと考えられている。

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長袴の浅野に対して、吉良は狩衣という衣装で逃げやすかった。

俗に言う殿中居合に殿中柔術。
殿中において彼我が大刀を差して対座し、敵意を見せたら切り伏せる・・・
これでは殿中血だらけ。
長袴で座してどうして瞬時に片膝が立つのだろう。
「近う寄れ」 と言われても、実際には間を詰めることなど許されなかった時代に、互いに胸倉を掴める位置で対座することなど99%あり得ない。
ましてや三尺三寸に対して相手は九寸五分などという不自然極まりない想定が殿中に存在する余地はない。
武芸という、特殊な状況下を 「想定して」 、 「洗練された技を極める」 稽古を実生活における武家の行動に当てはめてはならない。

何度も繰り返し書いているとおり、武術における形の多くの想定は、芸を演じるための彼我の美的表現方法であって、それを以てストリートファイティングのようなルール無用の喧嘩と同一視してはならない。
武術形は実生活では存在しないような想定の下で、いかに困難な技を極めるか、それが主眼である。





(完)
by japanbujutsu | 2017-05-19 17:40 | 武術論考の部屋 Study
武術は別に武芸というとおり、その技に一定の美学が要求される。
ただ、殴り合えばよいのであれば、それは野蛮な喧嘩になる。
強いて言えば、ボクシングやレスリングは言うに及ばず、身体を揺らす剣道や空手の試合も武術・武道ではない。
柔道も今の醜いスタイルは武道ではあり得ない。
武術は武士の教育であり、教養であり、学問である。
だから武術は学問の場、藩校で教授、指南される。

その美学の一つに形における捕と受、仕太刀と打太刀双方の表現上の姿がある。
一部の大東流における見苦しく無様なスタイルでの固め技は近世古流の世界には存在しない。
演武において受は上級者が担うのであり、絶対に無様な格好にはならない。

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合気道のように師範が弟子を雑巾のように投げ捨てる醜態は絶対にあり得ない。
合気道の師範が多人数捕りで見せるような、間を無視し、呼吸を無視し、目付を無視し、姿勢を無視した動作はもっとも下級な演武である。
それを素晴らしいなどと勘違いをしてはならない。
その醜態を親流儀の大東流が逆輸入しているのだから手に負えない。
別に明治以降にできた武術を非難するつもりはない。
無刀流をはじめ、神道六合流や十剣大神流、中澤流や八光流、鉄仲流や兼相流など優れた流儀はいくらでもある。
膝行などという無様な移動方法を殿中作法などとうそぶいている時代は終わりつつある。






(完)
by japanbujutsu | 2017-05-17 17:29 | 武術論考の部屋 Study
居合稽古場

我が家には十五畳敷きの居合稽古場がある。
約三間四方あり、天井の高さも二間ある。

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今は周りに武具や家財が置いてあるので、使っているのは二間四方。
五人掛けの見分席もある。
ここで半刻居合を抜き、庭の手裏剣場で四半刻手裏剣を打つのが日課。




(完)
by japanbujutsu | 2017-05-15 11:46 | 武術論考の部屋 Study
米軍海兵隊キャンプ富士で指南

2009年頃まで御殿場市にある米軍海兵隊キャンプ富士で、アメリカの海兵隊員に日本柔術を指南していた。
しかし、どうもアメリカ人には国民性からか「伝統」が理解できない者が多い。
だからといって 「忍術」 のように創作が甚だしい平成の格闘技を指導るすわけにもいかない。
そんなことをしたら 「日本の武道」 は滅びるに決まっている。
すでに戦前までまったく実体のなかった忍術が欧米で蔓延っている。
もう手がつけられない状態である。
ヨーロッパではかろうじて○○流忍法体術、あるいは○○流骨法などと称して古流のように見せかけているが、それも戦前まで実体のなかったものだから騙されてはいけない。
後屈立ちをして手を前に出して構える柔術など古流には存在しない。

さて、その海兵隊も数年間指導はしたものの、結局大成する者は現れなかった。
勤務地の異動があるため、すぐにキャンプ富士を出てしまうのだ。
残念だが、軍人に武術は向かないことを悟った次第である。

写真は2008年、当時キャンプ富士で開催された演武大会で、弟子に捕をとらせて柔術を演武したときのもの。
この黒人はもっとも真面目で性格もよく、技も上達したが、帰国して連絡不通となってしまった。

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(完)
by japanbujutsu | 2017-05-07 17:26 | 武術論考の部屋 Study
師範の自覚と役目

先日の全日本古武道演武大会の様子がユーチューブで視聴できる。
あまりにも無神経過ぎないだろうか。
特に柔術。
いい加減に師範が弟子を投げ飛ばすのは止めてほしい。
師範は弟子の技術を引き出す役目。
受けに徹底しなければ駄目。
師範が弟子を投げたらそれは 「いじめ・暴力」 だといつも言っているのに、聞く耳持たずで本当に困ったものだ。
本家の日本がこんな悪態を晒しているから、外国などはそれに拍車をかけて酷くなっている。
武術の演武は 「打(攻撃側)」 すなわちやられ役を師範が務め、 「仕(防御側)」 すなわち勝方を弟子が務めるのが古来からの掟。
こんな常識も知らないのでは師範は失格である。
昭和の時代までまったく伝承の実体のなかった流派が堂々と演武をしているくらいだから、もう滅茶苦茶である。

さて、その日本の古流柔術界。
演武でまったく逆のことをやっている。
すなわち、弟子の時代には師範に投げ飛ばされ、自分が師範になったら弟子を投げ飛ばす。
こんなものは武術ではないということになぜ気付かないのだろうか。
あまりにも武術に対する認識が低すぎる。
自分が弟子のときには師範に導かれて捕りをやらせていただき、自分が師範になったら弟子を導くために受けを取るのが古来からの習わし。
諸悪の根源は合気道ではなかろうか。
開祖の植芝をはじめ、その一門の師範も植芝に倣い、弟子を次から次へとバッタバッタと投げ飛ばす。
武術は時代劇の殺陣ではないことをいい加減にわかってほしい。
ましてや武術は曲芸でもまやかしでもない。
敵が自分から飛んで行くことなどあり得ない。
古流が合気道の真似に陥ったらお終いである。
弱い者、不利な条件にある者が勝つのが武術。
強い者、有利な条件にある者が勝つのは暴力。
十手や鎖鎌が太刀に向かっていき、いとも簡単に太刀にやっつけられてしまったら、それは常識。
その常識を覆すのが武術。
いい加減に目覚めてほしい。

下の写真は眞蔭流柔術第五代師範菅野久とその高弟第六代山田実現師範による演武 (日本古武道振興会創立60周年記念日本古武道大会記念誌より)。
先代菅野師範が受を取っている。
実に素晴らしい。

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(完)
by japanbujutsu | 2017-04-27 17:19 | 武術論考の部屋 Study
文書箱

皆さんは伝授巻を師匠から授かったらどのようにして保管しているのだろうか。
まさかむき出しのまま、どこかの引き出しに入れてあるなんてことはないと思うが・・・

ところで、師範によっては安価で済ませるために奉書に書いて、そのままの状態で授ける人もいる。
これは有り難みが半減してよくない。
しかし、その場合でも、いただいたらすぐに表具店に出して、裏打ちしてから軸装してもらわないといけない。
せっかくいただいておきながら、そのまま放置しておくなど、もってのほかである。
海外ではこのようなケースが多い。
彼らはまったく故実を理解していないのだから、これは明らかに授けた師範の責任である。

話は戻って、いただいた伝授巻は、必ず文書箱に保存しないといけない。

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これは建具屋に特注するしかない。
いただいた伝授巻は一世一代の宝物。
保管もしっかりしないといけない。






(完)
by japanbujutsu | 2017-04-13 17:09 | 武術論考の部屋 Study
道場名

日本武術がもっとも稽古されている外国といえばヨーロッパ諸国である。
ところが、それを指導する日本の師範が誤った知識を拡散するから、とんでもない日本武術が蔓延している。
忍法、忍術はその代表格。
もう手が付けられない。

それからもう一つ。
道場名である。
これも日本の師範が何も指導しないから、彼らは誤った観念で道場名をつける。
●●道場。
この●●がダメ。
ひどい場合には動物や魚、昆虫の名前まである。
まるでそこは動物園。
わが元ルーマニアの支部道場にも 「山武士道場」 なるものがあり、改名を勧めたが、日本の剣道の先生に命名してもらったと言って応じなかった。
多分、山伏養成所なのだろう。
第一、武士は山にはいない。
頭が硬くて話にならない。
せめて日本人に常識が少しでもあるならば、アドバイスをしてやってほしい。
甲源一刀流練武道場「燿武館」というふうに。

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(完)
by japanbujutsu | 2017-03-16 22:55 | 武術論考の部屋 Study
示現流兵法 ②

このページには木刀の握り方と左右の構えを載せている。
本書(『日本武道史』)では「蜻蛉の構え」という表現は使っていない。

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先に紹介した横木打ちは薬丸流が行うもので、東郷示現流では行わない。
稽古は日常の服装でそのまま行うということを聞いたことがあるが、やはり図のように稽古着に着替えるべきであろう。

気になるのは正面体で後ろ足の踵が上がっていることである・・・




(完)
by japanbujutsu | 2017-03-14 16:10 | 武術論考の部屋 Study
示現流兵法 ①

薩摩の秘剣、示現流。

自分の家の近くにそんな剣術があったら毎日通っていただろう。
なぜ、鹿児島の人たちは、薩摩武士の魂ともいえるこの剣術を学ばないのだろうか。
沖縄の国際通りが空手祭りでは拳士で埋め尽くされるというのに、鹿児島はどうだろう。
情けなくないのだろうか。

さて、それはそれとして示現流とは魅力的な剣術である。
なにしろ稽古場が野天だ。
その図が 『日本武道史』 に出ている。
それによると、次のようである。
広さは縦十五間、横九間に埒を巡らし、白砂を敷き、正面に四箇所の立木装置を設ける。

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立木装置は叉木二本を三尺の高さに五尺を隔てて相対して立て、その上に長さ六七尺、直径二三分乃至五六分の柞(イスノキ)の丸木三十本ばかりを束ねて横に架け渡す。

これでできあがり。
白砂に柞というのがいかにも薩摩らしくていい。

※ただし、この横木打ちは薬丸自顕流においてもっぱら行われているものである。




(つづく)
by japanbujutsu | 2017-03-12 17:37 | 武術論考の部屋 Study

by japanbujutsu