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国際水月塾武術協会 International Suigetsujuku Bujutsu Association

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本会が伝承している武術流派と古武道全般の技法・歴史・文化などを解説します。文章・記事・写真の転載は固く禁止します。

カテゴリ:武術論考の部屋 Study( 251 )

現存する居合流派

昭和戦前の演武記録を見ると、絶伝してしまった居合の流儀を散見する。

今、日本人として、日本の文化に興味のない人間があまりにも多すぎる。

熱しやすく冷めやすい現代人に、長い修行を必要とする古武道など、不向きなのはわかるが、それではあまりにも情けないのである。

人間形成などという言葉は今の若者には通用しない。

懸命に古武道を学ぶ外国人を見るにつけ、もはや日本人とは顔だけだ、と思うこともしばしば。

なぜこんな脆弱な国になってしまったのだろう。

すべては頭でっかちのお役人さん達の責任である。

現存している流儀でも、団体に加盟して「制定形」「刀法」とやらを学ぶに付け、肝心の古流までもが、その特質を失い、形の変質が甚だしい流儀も多い。

たとえば、英信流でも細川義昌の写真を見る限り、今の人たちとの抜刀における迫力の違いが容易に判断できる。

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さて、本日は現在まで命脈を保っている居合の流儀を紹介する(明らかに復元・創作とわかるものは除外)。


1 林崎夢想流(神夢想林崎流)  青森・東京・新潟。山形は絶伝か。
2 影山流 宮城・福島。 失伝した形が多い。
3 無双直伝英信流・夢想神伝重信流・長谷川流・大森流  全国。
4 夢想神伝流  全国。 ただし古流に含めるかは問題あり。
5 伯耆流  熊本・大阪他。
6 関口流  和歌山・熊本・岐阜・静岡・山梨・東京・茨城・愛知他。
7 田宮流  神奈川他。正式には田宮神剣流。
8 制剛流(新陰流)  愛知他。
9 新影流  福岡。
10 民弥流  富山・石川・埼玉他。
11 新田宮流  茨城。
12 香取神道流  千葉・神奈川・静岡他。
13 神刀流  東京他。
14 荒木流  群馬・山梨。
15 荒木無人斎流  兵庫。
16 柳生心眼流  愛知・宮城。
17 竹内流  岡山。
18 興神流  石川。
19 貫心流  島根。
20 水鴎流  静岡。
21 神変自源流  兵庫、埼玉。
22 円心流  大阪他。
23 心形刀流  三重・東京他。
24 知心正流  東京。
25 無外流  全国。
26 立身流  千葉。
27 神道無念流  青森・東京・埼玉・兵庫・山口・長崎他。
28 双水執流  東京。
29 信抜流  広島。
30 自剛天真流  福岡。
31 初実剣理方一流  岡山
32 鐘捲流  岡山
33 竹内判官流  関西

今後、確認された流儀があるときには追加していく。

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                              絶伝した鹿島神道流刀抜
by japanbujutsu | 2013-10-18 21:38 | 武術論考の部屋 Study
現存する薙刀流派

かつて筆者は『秘伝古流武術』という雑誌の創刊に関わり、創刊号からしばらくの間、三つの記事を担当していた。

そして三本のビデオや復刻本も出した。

しかし、しばらくして出版社の悪意に満ちた詐欺紛いの行為に遭い、以後手を切った。

現在、まことに残念ながら、正しい古流武術を紹介する書籍・雑誌がない。

幸い、このブログの記事が諸賢の乾いた咽を潤しているようで、アクセス数もすごい数値を示している。

そこで今回から真面目な後学のために現存する古流武術の情報を少しずつ開陳していきたいと思う。

気になる流儀があれば各自で調べてみると良い。

最初は現存する薙刀の流儀から。

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①天道流 全日本なぎなた連盟で採用しているので、全国に広がっているが、古流として稽古している者は
ほとんどいない。

②穴澤流 筆者が新庄藩伝を継承している。

③直心影流 天道流とともに競技化を図ったが、天道流勢力に押されて、現在では習得者が激減している。

④香取神道流 千葉と神奈川に現存。

⑤念流 群馬に現存。

⑥荒木流 群馬・神奈川に現存。長大な長巻を使う。

⑦直元流 青森と東京に現存。長大な男薙刀を使う。

⑧水鴎流 静岡に現存。

⑨無辺流 岩手に現存。

⑩肥後古流 熊本に現存。

⑪戸田派武甲流 東京、兵庫に現存。珍しい鈎薙刀を使う。

⑫楊心流 広島に現存。完全に女薙刀に変容している。

⑬清和流 福岡に現存。

⑭駒川改心流 富山、石川、東京、埼玉に現存。

⑮渋川流 大阪に現存。

⑯立身流 千葉に現存。

⑰竹内流 岡山に現存。

⑱心形刀流 三重に現存。

だれかリーダーが現れて、全国古流薙刀演武会が挙行できれば素晴らしいと思う。
by japanbujutsu | 2013-10-17 21:02 | 武術論考の部屋 Study
武術流儀を商標登録???

近年、武術の流儀を独り占めするために流派の名称を「商標登録」している輩が多いという。

何を考えているのだろうか。

否、何も考えていないのだろう。

こんなバカなことをしようとする者も、そんな卑劣な行為を助成する登録を認めてしまうアホな行政書士事務所や役所も本当に困ったものである。

筆者が何度もいろいろな機会に発言しているとおり、武術というものは決して個人の専有物にはなりえないのである。

もちろん宗家なるものも、実質的に武術の世界には存在しない(名乗っている無知は大勢いるが)。

江戸時代以来、一つの流儀は多くの師範を生み出し、それぞれが諸藩で指南をしたから、一つの流儀が全国各地で伝えられた。

全国各地の師範は、完全相伝をしたから独自に免許発行権を有し、自分の門人はすべて自分が掌握した。

これが武術が茶や花や舞踊と違うところであり、すなわち武術には家元(宗家)は存在しないのである。

商標登録する者は、その流儀名を自分以外の者が使用しようとすることを阻止しようとする者である。

とんでもない無知・無教養の所業である。

自分の無知を世間に公表していることに本人は気付いていないのだろうか。

具体的に流儀名を挙げるのは大人げないから控えるが、それぞれの流儀に関与している者は、自分の流儀がどうなっているか知っているはずである。

武術の世界に独占権は認められない。

免許皆伝を得た者は皆、同等の権利を持つ。

日本の文化を潰すような行為に走らぬよう、常識ある者にお伝えしておく。
by japanbujutsu | 2013-09-21 17:37 | 武術論考の部屋 Study
武術稽古記録帳

武術を稽古している人はいくらでもいるが、日本の武術文化を研究している人はほとんどいない。

長い歴史を背負って現代にまで伝えられてきている武術の文化を研究しなかったら、背負ってきた荷物の大半は捨てられていくことになる。

技という籠だけを残して・・・

中身の空っぽな古流・・・

そんなものは最早、古流とは呼べない。

そんなことにも気付かない者が多い。

さて、伝書研究をしていると、いろいろな文書に遭遇する。

その中でも、江戸時代の武術稽古の実態を教えてくれるのが、武術稽古記録帳である。

信州松代藩に塚原卜伝の神道流(松代藩ではこのように表記する)が伝えられた。

師範家は代々落合瀬左衛門を襲名し、幕末に至る。

この落合家の武術史料が松代藩から外に流れ、全国に散逸してしまったのは、すでに取り返しのつかないこととなってしまった。

松代にとっては大きな文化の喪失である。

そして私の手元にもいくつかの落合家文書がある。

大変に貴重な文書で、当時の稽古の様子が事細かに記録されている。

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この記録帳は嘉永五年の記録なので、幕末期のものである。

当時の師範は落合瀬左衛門と同量蔵の父子。

その記録には「太刀並打太刀」、「末打太刀」、「相切」などの項目があり、総勢百四人が試技をしている。

相切には試技者名の上に黒星が記されている。

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これらがどのような稽古内容なのか、よくわからない。

相切は普通の試合稽古なのだろうか。

後考に待つ。
by japanbujutsu | 2013-09-12 22:18 | 武術論考の部屋 Study
外人への相伝の限界

海外の門人に古流を完全相伝するのは極めて困難である。

否、これまでの海外の古流の様子を見てみると、完全相伝した者など皆無ではなかろうかと思う。

以前にも述べたように、海外で古流を学ぶほとんどの者は技術だけであり、文化までも学んでいる者はほとんど見あたらない。

伝授巻を授かっている者をときどき見るが、その内容を理解している者はほとんどなく、日本語を話すことができないのはもちろん、日本語を読むこともできない。

技術だけを学んでいるのであれば、はっきり言って古武道も現代武道も差異はない。

強いて言えば、その教授システムが違うだけで、変わった名称の形は、かえって面倒なだけである。

もし、外人が古武道を完全相伝しようと思ったら何が必要なのか、ここに箇条書きで示そう。

これは日本人にもまったく同じことが言える。

このブログは海外からのアクセスが多いので、よく読んで理解してほしい。

 1 入門に際しては血判を行うこと。 Perform a seal of blood
 2 入門に際して師匠に起請文を差し出すこと。 Give a written oath.
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 3 神道を受け入れること。 Receive Shinto
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 4 日本語を読み、書き、話せるようになること。 Read Japanese, and write it, and talk.
 5 伝書の内容を理解し、書き写して自分の門人に差し出すことができるようにすること。 Do the conferment of the Densho by oneself.
 6 日本人名を持ち、諱・花押を持つこと。 Have a Japanese person's name and samurai signature.

これらの一つでも欠けていると武術は相伝できない。

日本人でも一つの流儀の免許皆伝を得るのは並大抵のことではない。

日本の師範の多くは、外人に自己創作した変梃な内容の伝書を与えている。

何も知らない外人はそれをたいへんありがたいと思っている。

古流の立場から見れば、文化的にはまったく意味のない紙切れである。

門人は自分が師匠からいただいた巻物と同じ内容のものが江戸時代にあったかを調べる必要がある。

少なくとも自分の師匠が、同じ伝書をその師匠からいただいているのかを聞く必要がある。

昔はそんなことをしたら即刻破門であるが、今は時代が違うし、文化を継承するためにも正しい情報の入手は必要なことである。

いままでの日本人が、誤った武道・武術を海外に広めたものだから、今は悲惨な状態になっている。

自称十段があちこちにいるし、日本人の師匠を持たない日本武道の創作者もいる。

Tシャツに黒の空手ズボン、地下足袋で道場に入ってくる不躾者もいる。

拳を作って「オッス」というこの上ない無礼者もいる。

何年かかってもいいから正しい日本の武術・文化を伝えたいものである。

彼らが本当に学びたいと思っているものは、その正しい日本の文化なのであるから。
by japanbujutsu | 2013-09-10 18:39 | 武術論考の部屋 Study
知られざる竹内流の分派

古武道がやや復活の兆しを見せた三十年ほど前、大著 『日本柔術の源流 竹内流』 が刊行され、竹内流の全貌がほぼ公開された。

しかし、その歴史に関する記述には誤りや問題点もあり、多くの課題を提示する形となった。

古武道に関する研究者が絶対的に乏しく、出版業界も低迷している昨今、少しずつでも正しい歴史を発表することは重要な作業である。

さて、今回は 「 知られざる竹内流の分派 」 と題して竹内流が陸奥の果てまで流れた話しをするが、これはすでに二十年以上前に発表したことがある。

今ここに 『 至心流之捕手目録 』 と題する伝書がある。

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その序文を見ると、竹内流伝書の序文をそのまま踏襲していることがわかる。

最後の相伝系図の筆頭も竹内藤市郎となっている。

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目録はかなり創意工夫、付加がなされていて、原形を留めていない。

しかし、その最初に記された 「 立合外 」 の五箇条、すなわち、

  腕流 違詰 小手乱 行違 後詰

は、明らかに仙台藩の強大流派、真極流とまったく共通しており、さらに津軽藩の本覚克己流とも同じである。

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詳しい考察は、古流柔術研究誌 『 和儀 』 および日本武芸新聞 『 水月 』 で論述しているため、そちらを参照していただくとして、ここではその流れだけを記しておく。

竹内流は最初美濃に流れて至心流となる。

それが越中へ流れて四心琢磨(多久間)流となり、信州に流れて止心流棒術となる。

東北庄内藩には至心流としてそのまま伝わり、この伝は昭和の戦後まで残ったが、今は絶えた。

庄内藩至心流は奥羽山脈を越えて仙台藩に流れ、これが真極流となり、もう一つの流れはさらに北上して津軽に入り、本覚克己流となるのである。

これらはすべて江戸初期のこと。

竹内流の全国的な広がりがよくわかる。
by japanbujutsu | 2013-08-24 11:14 | 武術論考の部屋 Study
『 柔術剣棒図解秘訣 』 のこと

明治維新後、地方 ( 農村や藩領の周縁部 ) では武術の入門者が激増し、都市部では激減した。

このことを研究や調査もせずに地方も都市部も一緒くたにし、「 日本の武術は明治維新後は衰退の一途を辿った 」 などと平気で述べている人たちがいる。

また諸藩でも城を中心とした武家屋敷に住む武士たちが藩校で稽古していた武術も、藩校の廃絶とともに、そのほとんどが消えた。

参勤交代で全国諸藩から武士が集まる江戸はその最たるもので、明治初期に武術を稽古している者は世間から白い目で見られた。

剣術の江戸三大道場と呼ばれた三流儀の剣術道場も消えるのは早かった。

嘉納治五郎が学んだ天神真楊流でさえ、二、三の稽古場を残すだけとなった。

江戸の他、京都や名古屋も同じ状況だった。

秘伝だ、口伝だ、などと出し惜しみしている流儀は、武術そのものがどんどん消えていく世情だった。

そんな中、明治中期になると、わずかに残った古流の師範たちは、何とか後世に流儀を残そうと、流儀の形を詳細に解説した本を次々と出版していく。

その先駆けをなしたのが、今回紹介する 『 柔術剣棒図解秘訣 』 である。

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発行は明治20年、編纂者は井之口松之助。

天神真楊流柔術の他、荒木流棒術、香取流杖 ( 『 北斎漫画 』 の挿絵と酷似しているため、そのように判断 )、戸田流両分銅鎖、撃剣、捕縄まで解説している。

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就中、天神真楊流柔術の解説は詳細であり、保存に向けての意気込みが感じられる。

しかし、天神真楊流の師範たちは、これを以て良しとせず、さらに詳細に解説した 『 天神真楊流柔術極意教授図解 』 の発行に踏み切った。

古今東西、これほど詳しく形を説明した書籍は存在しない。

当時、形の名人と言われた吉田千春が著者であるから元祖磯又右衛門が伝えた形と寸分の狂いもないものと思われる。

こうした武術解説書に共通していることは、その本を見て、読んで、稽古をすることを門外漢にも奨励していることである。

完全に武術の全公開である。

しかし、本を発行しても、流儀が盛んになることはなく、一部の系統を除いて、全国の天神真楊流は絶えた。

武術が急速に衰退していく時代は三期。

第一期が明治維新後における都市部と諸藩領内。

第二期が第二次大戦後の地方。

第三期が現在で、全国各地。

これは最早、手遅れである。

だれの責任でもなく、日本国民全体の伝統文化や郷土を顧みないその体質がすべての原因である。

そして、そのような国民をつくってしまった政治家と学校教育の責任でもある。
by japanbujutsu | 2013-08-20 22:32 | 武術論考の部屋 Study
花押の事

花押については拙著において何回か詳説しているので、その種類や特徴についてはここでは触れない。

花押はいわゆる武士のサインであり、「書き判」 とも呼ばれている。

武術の師範は伝授巻の署名において、この花押と諱は必ず書かなければならず、さらに花押には必ず朱印を押す必要がある。

さて、その花押。

形式と同時に様々な講釈があり、作成についてはそれらをよく心得る必要がある。

今回はそれを 『奉極御判形』 から見てみよう。

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これは形式上の分類では、もっともオーソドックスな 「天平地平の明朝体」 となる。

その一画一点に次のような意味がある。

福徳之点 除敵点 住所之点 眷属之点 衆人之点 命之点 運之点 知恵之点

これらをすべてクリアする必要はない。

デザインを考える上で特にどれを意識するかの違いだけである。
by japanbujutsu | 2013-08-11 17:42 | 武術論考の部屋 Study
大東流の真実史を語る

これだけさまざまな情報が飛び交い、また家に居ながらにしていくらでも情報が入手できる時代に、まだ大東流が江戸時代から伝えられてきたものだと主張している輩がいる。

酷い場合には新羅三郎義光を引き合いに出したりしていて、手が附けられない有様である。

大東流は武田惣角が案出した武術に違いなく、明治三十年以前の伝書は発見されていない

よって明治三十年頃に成立したこともほぼ間違いのないところである。

武田惣角の武術修行歴は直心影流や小野派一刀流など判明しているものがあるが、既存していた柔術の修行歴も確認されていない。

要するに武術の天才が創出した明治時代の新柔術なのである

伝書はあるが、古流の体裁を踏襲することはなく、形の解説に終始している。

古流独特の形の名称もない。第一條、第二條、第三條・・・・と羅列されているだけである。

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そして、伝書の最後に書かれている系図は武術の相伝系図ではなく、会津武田家の家系図を載せただけである。

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東京において嘉納治五郎が講道館柔道で脚光を浴びている中、旧会津藩の矜持から生まれたのであろう反骨精神により、天才の手によって講道館に対抗すべく柔術が完成したのである。

だからその大東流は当初、主として旧東北諸藩の、それもすでに武術の実力を持つ旧藩士や警察官に伝授している。

惣角に武術を学んだ者たちは元々他流の免許皆伝者であり、実力者であったから、短期間の講習でたちまち腕を上げていった。

技も腰技や足技を駆使する講道館柔道とはまったく対照的に、非力が大男に勝つための手業だけによる逆捕、逆投の斬新な内容だった。

これまで特定の人たちによって語られてきた、大東流の源流を会津藩御式内としたり、浅山一伝流だとしたりするのは何の根拠も物証もない捏造された妄説である。

なお、これに類する 「大東」 の文字を使った合気柔術諸派、武田流合気之術、あるいは 「武田」 の文字を使った合気系武術の諸派は全部、第二次世界大戦後に創作されて世に出てきた武術である

これからは世を欺く時代ではない。嘘はすぐにばれる。

筆者は創作武術が悪いとは言わない。

創作武術であるのにもかかわらず、その歴史を捏造するその行為が悪いと言っているのである。

創作された流派であってもその内容が素晴らしければ人は集まる。

創作は創作として、その武術の正しい成立過程を伝えていくべきではなかろうか。

嘘はいけない。
by japanbujutsu | 2013-08-03 17:54 | 武術論考の部屋 Study
役に立たない学校の刺又

江戸時代に国境警備や関所の警護、あるいは城や代官所などの門番たちが所持した長柄の捕物道具三種類 (袖搦、刺又、突棒) を総称して捕物三道具という。

武術として伝承されたものは数少ないが、各藩には必ず国境警備に当たる被差別民がいて、それらを指揮・統率する者がその流儀を相伝した。

三道具は犯罪の容疑者を取り押さえるための道具である。

これは非殺生性の道具ではあるが、容疑者が暴れると負傷するようにできており、その苦痛で抵抗する力を失ったところを捕らえるのである。

そのため先端部周辺は鉄板が補強に用いられ、強度を増した。

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       薩摩藩の国境警護に使われた刺又。丸に十文字の島津家家紋が鉄板に刻印されている。

また、ここを握り締めて抵抗しないよう、鋭い刺 (とげ) が生えている。

捕縛時には、複数の捕方がこれらの道具を持って、突いたり引き倒したりして、押さえつける。

さて、その三道具の一つ刺又が、学校における不審者対応のために職員室に置かれている。

置かれているだけで、多くの学校では教員がこれを実際に使えるようになるための講習を受けていない。

つまり、ただの邪魔な置物である。

学校に置かれている刺又には刺がない。しかも非常に華奢な作りである。

そして何よりもまず、女性教員はこれを使うことができない。絶対的に男に腕力が劣るからである。

男も非力な者には使えない。それなりに重量もあり、長いために操作法を学ばないとただ邪魔になるだけである。

そして何より、これは一人前の男でも実際に不審者をこの道具で取り押さえるのは至難の技である。

尖端に刺がないため、ここを握られて返されると、不審者の方が明らかに強い力を発揮できる構造になっていて、まったく役に立たないのである。

筆者は日本の棒術や台湾武術金鷹拳を学び、その使用法は充分に心得ているが、当然どこからも指導の要請などはない。金鷹拳を伝える振興社武術にはほとんど形の同じ武具がある。

頭でっかちのお役人が考える防犯対策にはろくなものがない。

無駄なモノにカネを使うのが、お役人の仕事のようである。
by japanbujutsu | 2013-07-28 20:41 | 武術論考の部屋 Study

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