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国際水月塾武術協会 International Suigetsujuku Bujutsu Association

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本会が伝承している武術流派と古武道全般の技法・歴史・文化などを解説します。文章・記事・写真の転載は固く禁止します。

カテゴリ:武術論考の部屋 Study( 251 )

形(かた)のない古武道???

とある道場でのこと。

「ここで教えているのは何ですか」 と問われ、 「古武道です」 と答える。

そして、さらに説明を聞いていると 「うちの武道には形がないんです」 という。

その言葉で、すでにそこで教えているのは古武道ではないことがわかる。

古武道には流儀があり、その流儀の本体は形の集合体なのである。

古武道は代々伝えられてきた形の習得を以てその流儀を継承していく。

日本文化にはすべて決められた所作、すなわち形が存在し、その形が絶対的な権威を持つ。

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                            関口流居合「篠露」の形

形がないのは古武道とは言えず、それは単なる格闘技に過ぎない。

技は個人の所産であり、それは感覚的才能によって身に付くものであり、弟子にまったく自分と同じ技を伝えることはできない。

技には決まりがないからどのようにも変化でき、どのように対処してもよい。

要は 「技が掛かればよい」 のである。

形は予め想定されている敵の攻撃に対して、予め決められている動作でそれを制することを習得する。

だから形と技は根本において、その存在意義がまったく異なるのである。

流儀、すなわち形は流祖からの預かりものだから、そのままの形(かたち)で次の世代に伝えていかなければいけない。

技は師匠と弟子で違っても構わない。

形は師匠と弟子が違ってはいけない。


こんな基本的なこともわからずに、それを古武道と言っているのだから驚く他はない。

だいたい、戦前の伝書もなく、戦前の演武記録もない、そして江戸時代にどこに伝承されていたのかもわからない古武道がどこの世界に存在しうるのだろう。

もう少し、日本人がまともな頭をもっていないと、世界の武術は支離滅裂になってしまう。

否、すでになってしまっているから、どうしようもない。

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                            関口流居合「恋剣」の形

形は古武道の本体であり、流儀における最重要の履修課程である。
by japanbujutsu | 2013-07-25 22:00 | 武術論考の部屋 Study
崩れ行く家元制度

もともと完全相伝である武術には家元・宗家制度は存在しないことはすでに述べた。

現在、宗家を名乗る人たちは、いずれも武術の相伝制度を理解していない人たちである。

そうした、武術の世界にあって、宗家(家元)制度を敷いていた例外的な流儀が二つあったこともすでに述べた。

その一つが森戸系浅山一伝流、もう一つが今回紹介する天神真楊流柔術で、ともに江戸に稽古場があった。

両流儀ともに主として諸藩から参勤交代で江戸に来る武士たちに教授していた。

だから、江戸の稽古場が諸藩の同流の者たちを統率できたのである。

茶の千家や華の池坊と同じである。

ところが浅山一伝流は幕藩体制の崩壊とともに家元制度が崩壊し、しばらくして流儀も絶えてしまった。

また、天神真楊流は明治以降も全国各地で指南されたが、すでに流祖磯又右衛門正足の生存中に家元制度が崩れている。

許しを門人に勝手に与えたことが磯家に発覚して、破門されている者もいる。

今回、紹介する伝授巻は安政三年(1856)の発行である。

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文久三年(1863)年に没した又右衛門はこの時にはまだ生存中である。

よって、この伝授巻は発行者の川渕長左衛門が家元に無断で発行したことがわかる。

今や宗家が乱立し、同じ流派の師範が全国にたくさんいて、皆独自に活動しているにもかかわらず、その流派の一部の師範だけが宗家を名乗るとは、いかにも機能を果たしていないことが明白である。
by japanbujutsu | 2013-07-11 22:33 | 武術論考の部屋 Study
馬術の神 「馬櫪尊神」

『北斎漫画』の馬術の項の最初に 「馬櫪尊神(馬櫪神・馬歴神)」 が描かれている。

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馬の守護神で、厩 (うまや) の神でもある。

馬を供養する石造物として全国各地にその文字塔を見ることができる。

両手に剣を持ち、両足で猿とセキレイを踏まえている像として描かれるとされるが、この絵では手が四本であり、セキレイと猿も手で捕まれている。

中国から伝播した神で、両剣で馬を守り、猿とセキレイがその使者。

セキレイは馬を刺す害虫であるブヨなどを食べてくれる。

馬の「午」は火を表し、猿の「申」は水を表していて、荒馬を鎮めるという意味や、火事から厩舎を守るという意味がある。

馬は、農耕だけでなく、武士にとっても重要だった。

猿は帝釈天の使者という説があり、中国では悪魔退散の意味から崇められていた。

さて、今回この像を採り上げたのは、そんな馬術の神としての存在ではない。

この神が残る両手に持っている剣、すなわち「小太刀二刀」である。

現存する武術では天道流と柳生心眼流が伝えており、筆者はその両方を学んだ。

柳生心眼流のそれは来歴がはっきりしないが、天道流では江戸期から相伝された歴史が明白である。

しかし、以前にも述べたとおり、小太刀(脇差)を二本差すという想定は存在しない。

武術の世界だけに存在する非現実的な想定である。

戦っている最中に敵の小太刀を奪って使う、などというとんでもない話を聞いたこともあるが、武士は他人の業物を奪って戦うような不作法なことはしない。

宮本武蔵が二刀使いの嚆矢であるなどという説は、武術史を知らぬ者の言であるから無視するが、このような民間信仰の中にも両剣思想があるのであり、また中国の信仰とその我が国への移入なども総合的に視野に入れて考察を進める必要がある。

倉魔(鞍馬)流剣術の絵目録に『北斎漫画』に描かれている馬櫪尊神と同じ構えをした烏天狗が描かれていて興味深い。

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by japanbujutsu | 2013-06-30 11:24 | 武術論考の部屋 Study
日本における武道の誤り

中学校における武道必修化には大反対である旨、すでに述べた。

中学校の体育で柔道や剣道をやっても、高校へ入って柔道部や剣道部へ入る生徒がほとんどいないのは武道にまったく魅力を感じないからである。

それどころか、多くの生徒は二度とこんなことはやりたくない、とそう思っている。

さて、市中にある個人経営の道場ではどうか。

そこへ通ってくる者はほとんど子ども。

大人は指導者だけ。

しかも親が子どもの送り迎えをしている。

やりたいのは本人ではない。

親がやらせているだけなのである。

礼儀や躾はサッカーや野球だって教えることはできる。

では武道が武道たる所以は何なのか。

それは目先の大会に勝つことばかりを考えている今の柔道や剣道からはほど遠い世界にある。

まず、高校や大学へ行っても柔道や剣道を続けていなければ、武道の本質は語れない。

そして、仕事をもってからも続けて、初めて武道の本質が見えてくる。

しかし、今の日本人はそんなことをしない。

目先の楽しみと利益に直結しないようなことを、大人が好きこのんでするわけがない。

なんでも即席でなければ飛びつかない。

日本人の多くは第二次世界大戦後、「修行」という言葉を実践できない民族になってしまった。

長い修行を通して、精神生活を高揚し、自己の内面を問うような場を避けている。

どこの道場でもほとんどの場合、十年経てば、門人は総入れ替えである。

今の日本に武道を普及させる土壌はまったく存在しない。

誠に残念であるが、これが現実である。
by japanbujutsu | 2013-06-24 22:55 | 武術論考の部屋 Study
柔道の創始者は嘉納治五郎ではない!

柔道とほとんど同質の乱取りは、すでに江戸中期には行われていた。

嘉納治五郎が創始したのは 「講道館」 であって、 「柔道」 ではない。

確かに技の整備はしたであろうが、これをもって創始者と崇めるのはとんでもない誤認である。

すでに幕末には東北地方を除いて全国的に柔術における乱取り試合が各藩で友好的に行われていたことは様々な資料に見られるところである。

以下に『武術絵巻』より、江戸時代の柔術の乱取りの様子を描いた三点を紹介する。

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最初が 「一本背負い」
次が 「巴投げ」
最後が 「十字締め」

その稽古着も乱取りでは袴を取り除いた講道館初期の姿と全く同じである。

現今の柔道着は袖も裾も長くなりすぎであるが、本来は肘も膝も出るのが正しく、そのために昔と今では技法も異なっている。

乱取り用の稽古帯も江戸時代にはすでに存在しており、嘉納が定めたのは色による階級制度だけである。しかも有段者の色を「黒」としたのは完全に近代の思想である。

古今東西、黒は「悪の色」として認識されているのは周知の通りである。

古来、日本人の色彩感では白と紫が最高位である。

武道・武術の正しい歴史認識は江戸時代の一級資料を用いてなされなければいけない。
by japanbujutsu | 2013-06-19 20:05 | 武術論考の部屋 Study
大誤解!琉球古武道の定義

「古武道(古武術)」という言葉は明治時代にすでに大日本武徳会によって使用されていた。

江戸時代から伝承している流儀武術を明治以降に台頭した競技武道(柔道・剣道・薙刀)と区別するために登場した造語である。

その後、大正時代に沖縄から日本へ空手が入り、戦後、大学を中心として急速に普及していく。

例外を除いて、ほとんどの場合、大学には徒手空手だけが普及した。

徒手空手と武器術は本土にほぼ同時に入ってきたが、武器術は主として空手を武術として修行している人たちに普及した。

そして、その武器術が昭和のある時に、「琉球古武道」として紹介された。

これがそもそもの誤りの発端。

武器を使うから古武道、などという考え方はどこにも存在しない (この定義によると、本土でも丸腰の柔術は古武道ではなくなってしまう) 。

存在しないどころかそれは大きな誤りである。

理由は簡単で、徒手空手も武器術も、本来は同時発生のはずであり、この両者に新古の区別は存在しないからである。

あえてどちらが古いかと言えば、武器は手の延長であるから、徒手空手の延長上に武器術があるはずであり、徒手空手の方が古いはずである。

だから、徒手空手の形がしっかりできていれば、武器術を習得するのはそんなに難しいことではない。

それでは、これをどのように分類・表現すればいいのだろうか。

正しい史観に立てば、琉球武術の中に徒手と武器が存在するのである。

空手の中に徒手と武器があると考えてもいい。

空手も元来は総合武術であるわけだから、武器術だけを「古武道」として分類するのは大きな誤りである。

その世界のパイオニアが間違った認識で普及してしまうと、世界中がそれに倣え、となってしまうから軌道修正ができない。

たとえ、少数派であろうが、正しいことは正しいとして、ことあるごとに啓蒙を続けていく必要がある。
by japanbujutsu | 2013-06-09 13:11 | 武術論考の部屋 Study
諱と号の話し

武術を相伝すると師匠から諱を与えられる。
近世武家社会で使われた諱は死後の名前のことではなく、本名とは別のいわゆる武名というもので、師匠の一文字をいただいて新たに付ける場合や、家系や流儀によって一文字が決まっていたりする。
したがって他家の者が相伝し、その者が最初から自分の家の諱を持っていれば、新たに諱を名乗ることはない。
竹内流では代々竹内家の諱に用いる「久」の文字を相伝するが、力信流のように他家に相伝されても、相伝者の諱にはすべて「光」の文字を使用することが定められているような例もある。
だから竹内流の場合、たとえば竹内藤八郎久直から相伝した吉里呑敵斎は他家の者だから「久」の字を使わずに「信武」と称している。
その代わり彼は竹内流を絶伝から救った功労者なので竹内家の「藤」の字を襲名して藤右衛門を名乗っている。

そして、この吉里が名乗った「呑敵斎」。

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これが号である。
竹内流では号を名乗らないから、これは吉里自らが名乗ったものである。
敵を呑むとはすごい号である。
号でもっともよく使われるのが「○○斎」、次が「○○軒」。
あるいは「○○堂」もあり、屋号のようでもある。
この号というのは相伝するものではなく、一代限りで使用するのが古来からの習わしである。
by japanbujutsu | 2013-06-02 21:30 | 武術論考の部屋 Study
中学校武道必修は早急に撤廃せよ!

日本武道館が運営する「中学校武道必修化サイト」には、次のように書いてある。

中学校武道必修化の概要
平成20年3月改訂の中学校学習指導要領に、第1、第2学年の保健体育で武道が必修になることが明記され、平成24年度から完全実施されました。それまで、中学校の保健体育で、武道の領域は学年ごとに選択となっていましたが、この改訂により、男女共に全ての中学生が第1、第2学年において武道を学ぶことになりました。第3学年は、引き続き選択となります。

中学校保健体育で武道が必修となった経緯
平成18年12月に約60年ぶりに改正された教育基本法では、教育の目標として「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」が新たに規定されました。その後、平成20年1月の中央教育審議会答申の中で、「学習体験のないまま領域を選択しているのではないか」との指摘と、「武道については、その学習を通じて我が国固有の伝統と文化に、より一層触れることができるよう指導の在り方を改善」することが示されました。これを受け、新学習指導要領では武道を含めたすべての領域が必修となり、武道が「伝統と文化を尊重し……」と謳う改正教育基本法の教育の目標を実現する役割を担うことになりました。

とある。ここでいう「武道」でもっとも採用されているのが練習に一番カネがかからず、道着だけ着用すればすぐに練習ができる柔道であり、よってここでも柔道について論究する。
 (※本来の武道(武術)には「道着」なる用語はなく、「稽古着」といい、また「練習」とは言わず、「稽古」というが、今の現代武道は完全にスポーツなので、ここでもあえて道着、練習という用語を使用した。)

この文章を起草した人間は武道を本当に楽しいと思っているのだろうか。そして、武道をが本当に日本の伝統と文化を表象していると思っているのだろうか。

筆者は東大卒の頭でっかちの役人さんが考えていることなど毛頭納得するつもりはない。

武道が、柔道が、本当に素晴らしく、本当に楽しく、本当に日本の伝統文化を体験できるものだとしたら、中学校で柔道を学んだ生徒がなぜ、高校で柔道部に入部しないのだろうか。

結論から言えば、文部科学省が言う「武道」は「真の武道」ではなく、完全なスポーツであり、しかも身体が大きい者が絶対的に有利な競技である。武道が護身術に有用であるとしたら、身体の大小で強弱が決まるのは誠以て不合理である。

直接、身体と身体が接触する柔道はすべてルールに固められ、弱者が強者に勝つ機会は極めて少ない。体力に劣る者が同じ持ち駒で戦って大きい者に勝てるはずがない。もし、受身だけ教えて試合をさせないのだとしたら、それは柔道ではなく「受身道」である。

試合は競技者双方が同じ条件で戦うのが鉄則である。すでに体力で差があり、一週間にただの何時間かの練習で技もろくに身に付かず、そんな状態で試合をして、果たして体力が無く、闘争心の稀釈な生徒が柔道を好きになるのだろうか。

着物に袴をつけた武士の正装は、まさしく日本古来の伝統ある衣装である。剣道も弓道も薙刀も全部袴を着用している。柔道だけが袴を着けない。現在の柔道着スタイルは武士の正装から羽織り・紋付き着物・袴を取り去った、襦袢と股式だけの「誠にはしたない格好」である。
 (※空手は大正時代に沖縄から本土に入り、昭和三十年代以降大学を中心として普及した後進武道である。現在見られる空手着は柔道着を模して作られた)

裸に柔道着、夏は悪臭が漂い、冬は裸足で鳥肌が立つ。こんな柔道のどこに教育的効果を期待しているのだろうか。こんなものの何を以て「国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」ができるというのだ。

今や外国で一番人気のない武道が柔道と剣道。それを文部科学省のお役人さんたちは知っているのだろうか。知っているはずはない。知っていたら、必修化などというバカなことはしないはず。

日本の本当の伝統武術は、柔術でも剣術でもしっかりと袴を着用し、形の修行を通してしっかりと技術を身につけさせる。試合は絶対にしない。してはいけない。その代わり学んだ形が完全に身に付くまで何度も何度も同じ形の履修を繰り返す。そして早くても十年、ようやく技術が身に付くのである。それが本来の武道の在り方である。

所詮、体育の一環である授業で武道を教えるのは無理。以前の柔道の授業のようにただルールを教えて乱取りをさせる。こんなことで生徒が武道に興味を持つことができるはずはない。

無知な保護者が子どもに礼儀を身につけさせるために、町道場へ送り迎えをして通わせているが、今の武道で礼儀を正しく学ばせることははっきり言ってあまり期待できない。

サッカーや野球だって充分に礼儀を教えることはできる。

以上、簡単に柔道が教育にふさわしくない理由をいくつか述べた。
武道の必修に強く反対する。


中学、高校における柔道事故の死亡者は1983年から2010年の28年間で実に114名にも上る。(名古屋大学大学院:内田良準教授の資料より)
年平均4人以上の死亡者を出すこの数字は、他のスポーツに比べても、突出して高い数字である。

by japanbujutsu | 2013-05-18 17:21 | 武術論考の部屋 Study
楊心流と揚心古流

楊心流の二大系統に、従来、秋山系楊心流柔術と別系に扱われていた「揚心古流柔術」がある。

この両流派の関係について全く新たな見解を発表する。

楊心流柔術の事実上の元祖とされているのは大江専兵衛義時である。

大江の門人として傑出した三浦貞右衛門は、肥後藩楊心流薙刀で大江の次代に名のある三浦定右衛門のことである。

秋山系楊心流とは別系とされている揚心古流の流祖「三浦揚心」は、この三浦定右衛門と同一人物である可能性が濃厚である。

「貞」と「定」はともに「てい」あるいは「じょう」と読む。

揚心古流の二代目阿部観柳は、三浦定右衛門に師事した豊後杵築の手嶋観柳と同一人物であろう。

揚心古流の三代目、江上観柳司馬之助部経は豊後の人で、阿部観柳はその叔父に当たる。

手嶋観柳の門人である阿部貞右衛門も阿部姓である。

揚心古流は幕末には戸塚派揚心流と称し、明治初年には柔術界の雄として講道館と双璧であった。

もちろん戸塚派揚心流の形は、秋山系楊心流と名称も内容も大同小異である。

以上を系譜で示してみると次のようになる。

  秋山四郎兵衛義直
  大江専兵衛義時(楊心流)
  三浦貞(定)右衛門衛門(揚心古流)
  阿部(手嶋)観柳
  江上観柳司馬之助武経

と極めて簡潔な系譜になる。

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近世武家社会は個人の変姓変名が頻繁に見られるため、近世から楊心流の系譜は真実が見えなくなってしまっており、昭和になって武術史研究が盛んに行われても、この謎を解明できた研究家は一人もおらず、かの綿谷雪氏も両者を全く別の流系として扱っていた。

楊心流は「楊」の文字、揚心古流は「揚」の文字を用いることはすでにいろいろな機会に述べてきたことである。

かつて日本武道学会で論文を発表した際、筆者(会長)の論文に書かれていた「揚心古流」の文字を編集人が勝手に「楊心古流」と筆者に無断で改竄した。「大きなお世話」とはこのことであり、筆者は発表会場でこの杜撰な編集態勢に苦言を呈した。

そのレベルにしかない学会に籍を置くべきではないと考え、早々に退会届を提出した。
by japanbujutsu | 2013-05-08 14:27 | 武術論考の部屋 Study
北野天満宮 天神真楊流柔術奉納額

京都の北野天満宮は、天神真楊流柔術開祖の磯又右衛門が開眼した場所。

つまり天神真楊流にとっては聖地なのである。

ここで明治時代まで関西方面の天神真楊流柔術師範たちによって奉納演武が行われていたことは想像に難くない。

天神真楊流柔術は現在でも伝えられているが、北野天満宮で奉納演武が行われているということは聞いたことがない。

実はその北野天満宮の絵馬堂に天神真楊流柔術の奉納額が掲げられている。

これを知る人は今ではほとんど皆無であろう。

それに加えて、この奉納額の前には別の大きな額が掲げられていて、額面がほとんど見えないのである。

ここの絵馬堂の額は、八坂神社の絵馬堂の額と同じく京都市の文化財に指定されており、勝手に移動ができないという。移動するためには何と十万円の費用がかかるということ。

それで、社務所の職員に写真の撮影をお願いした。

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前の額が邪魔をしているために、横からカメラを差し入れての苦心の撮影である。

奉納の願主は荻野元之進柳道斎という初見の人物。

道場名は政武館という。

門人として和田宗七郎正秀、藤井好正正清、三木菊治郎正種、倉谷竜蔵正次、上田宗太郎正道、前川善七正忠、森田喜三郎清武、高田定治郎清信、澤木高一郎清虎以下、多数が列記されている。

この奉納額が特異なのは、他の道場の三人の師範が額の左上に名を連ねていることである。

三人の師範とは天神真楊流上田権平柳玉斎、真之神道流中村雄四郎柳力斎、神伝不動流鷺谷平三郎等栄。

他には中村の門人林治左衛門柳雪斎、天神真楊流久野長虎柳有斎、上田の門人奥川信治郎柳好斎の名も見える。

残念なことに社務所職員が額の上部に取り付けてある肝心の木箱の中身を確認せず、巻物が現存しているかどうかわからない。

巻物は天神真楊流の天・地・人の巻に違いない。

古武道を修行する者は単に技術の習得だけではなく、このような文化財の調査も心掛けていただきたいものである。
by japanbujutsu | 2013-04-18 18:06 | 武術論考の部屋 Study

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