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国際水月塾武術協会 International Suigetsujuku Bujutsu Association

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本会が伝承している武術流派と古武道全般の技法・歴史・文化などを解説します。文章・記事・写真の転載は固く禁止します。

カテゴリ:武術論考の部屋 Study( 243 )

楊心流と揚心古流

楊心流の二大系統に、従来、秋山系楊心流柔術と別系に扱われていた「揚心古流柔術」がある。

この両流派の関係について全く新たな見解を発表する。

楊心流柔術の事実上の元祖とされているのは大江専兵衛義時である。

大江の門人として傑出した三浦貞右衛門は、肥後藩楊心流薙刀で大江の次代に名のある三浦定右衛門のことである。

秋山系楊心流とは別系とされている揚心古流の流祖「三浦揚心」は、この三浦定右衛門と同一人物である可能性が濃厚である。

「貞」と「定」はともに「てい」あるいは「じょう」と読む。

揚心古流の二代目阿部観柳は、三浦定右衛門に師事した豊後杵築の手嶋観柳と同一人物であろう。

揚心古流の三代目、江上観柳司馬之助部経は豊後の人で、阿部観柳はその叔父に当たる。

手嶋観柳の門人である阿部貞右衛門も阿部姓である。

揚心古流は幕末には戸塚派揚心流と称し、明治初年には柔術界の雄として講道館と双璧であった。

もちろん戸塚派揚心流の形は、秋山系楊心流と名称も内容も大同小異である。

以上を系譜で示してみると次のようになる。

  秋山四郎兵衛義直
  大江専兵衛義時(楊心流)
  三浦貞(定)右衛門衛門(揚心古流)
  阿部(手嶋)観柳
  江上観柳司馬之助武経

と極めて簡潔な系譜になる。

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近世武家社会は個人の変姓変名が頻繁に見られるため、近世から楊心流の系譜は真実が見えなくなってしまっており、昭和になって武術史研究が盛んに行われても、この謎を解明できた研究家は一人もおらず、かの綿谷雪氏も両者を全く別の流系として扱っていた。

楊心流は「楊」の文字、揚心古流は「揚」の文字を用いることはすでにいろいろな機会に述べてきたことである。

かつて日本武道学会で論文を発表した際、筆者(会長)の論文に書かれていた「揚心古流」の文字を編集人が勝手に「楊心古流」と筆者に無断で改竄した。「大きなお世話」とはこのことであり、筆者は発表会場でこの杜撰な編集態勢に苦言を呈した。

そのレベルにしかない学会に籍を置くべきではないと考え、早々に退会届を提出した。
by japanbujutsu | 2013-05-08 14:27 | 武術論考の部屋 Study
北野天満宮 天神真楊流柔術奉納額

京都の北野天満宮は、天神真楊流柔術開祖の磯又右衛門が開眼した場所。

つまり天神真楊流にとっては聖地なのである。

ここで明治時代まで関西方面の天神真楊流柔術師範たちによって奉納演武が行われていたことは想像に難くない。

天神真楊流柔術は現在でも伝えられているが、北野天満宮で奉納演武が行われているということは聞いたことがない。

実はその北野天満宮の絵馬堂に天神真楊流柔術の奉納額が掲げられている。

これを知る人は今ではほとんど皆無であろう。

それに加えて、この奉納額の前には別の大きな額が掲げられていて、額面がほとんど見えないのである。

ここの絵馬堂の額は、八坂神社の絵馬堂の額と同じく京都市の文化財に指定されており、勝手に移動ができないという。移動するためには何と十万円の費用がかかるということ。

それで、社務所の職員に写真の撮影をお願いした。

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前の額が邪魔をしているために、横からカメラを差し入れての苦心の撮影である。

奉納の願主は荻野元之進柳道斎という初見の人物。

道場名は政武館という。

門人として和田宗七郎正秀、藤井好正正清、三木菊治郎正種、倉谷竜蔵正次、上田宗太郎正道、前川善七正忠、森田喜三郎清武、高田定治郎清信、澤木高一郎清虎以下、多数が列記されている。

この奉納額が特異なのは、他の道場の三人の師範が額の左上に名を連ねていることである。

三人の師範とは天神真楊流上田権平柳玉斎、真之神道流中村雄四郎柳力斎、神伝不動流鷺谷平三郎等栄。

他には中村の門人林治左衛門柳雪斎、天神真楊流久野長虎柳有斎、上田の門人奥川信治郎柳好斎の名も見える。

残念なことに社務所職員が額の上部に取り付けてある肝心の木箱の中身を確認せず、巻物が現存しているかどうかわからない。

巻物は天神真楊流の天・地・人の巻に違いない。

古武道を修行する者は単に技術の習得だけではなく、このような文化財の調査も心掛けていただきたいものである。
by japanbujutsu | 2013-04-18 18:06 | 武術論考の部屋 Study
秘伝のこと

江戸時代の武術には必ず秘伝がある。

秘伝は極意、極秘、奥伝、秘奥、奥意など、さまざまな呼び方がある。

現代武道には秘伝はない。なぜないのか。それは古武道になぜ秘伝があるのかが分かれば、現代武道になぜないのかがわかる。

まず、古武道の世界では流儀の内容自体がすべて秘密であり、稽古場も外から内部の稽古の様子を見られないように窓を高い位置に設けてある。

その理由を多くの高名な師範たちは揃って「秘伝技を他流の者に知られると、いざというときに裏を取られて敗北するから」と言っている。

そんなバカなことがあるわけない。

その稽古の様子を見られた流儀の者たちは、他流試合の際に何百も存在する形(技)の中から、いつも秘伝技しか使わないのだろうか。また、それを盗み見した者は、相手が秘伝技を必ず使うと思って、斬り掛かるのだろうか。

そんなバカな奴はいるわけない。

心貫流棒術・扱心流躰術の起請文第一項に、
   一 御当流入門誓紙之上□共雖為親子兄弟白地他見他言いたし申間鋪事


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とあるのは、師範の地位を維持するための方策に他ならない。

秘伝が多くの人たちに知られてしまっては商売(武術指南)が成り立たない。辛苦の修行を積んだほんの僅かな門人だけが知るからこそ、その価値があるのである。

料理屋の「秘伝のタレ」「秘伝の隠し味」と同じである。どこの料理屋でも同じ味が出せたら、その料理屋の存在意義がなくなってしまう。

第一、実戦において秘伝だ、奥義だなんて、そんなことに拘っていたら、勝てる勝負も負けてしまうだろう。

また、秘伝技は高度な技だなんて思いこんでいる輩もいるようだが、高度な技だったら見せても盗まれることはない。簡単だから秘伝にするのである。

知ったかぶりしてものを話す人たちのことを鵜呑みにして信じていると、文化はいつまで経っても正しく解釈されることはない。

必ず自身で検証しなければいけない。

現代武道に秘伝がないのはスポーツであり、競技であるから、全ての体系・技・ルールをすべての競技者が平等共通に持っていなければならないためである。
by japanbujutsu | 2013-03-30 15:02 | 武術論考の部屋 Study
流儀の規則のこと

古流の武術を学ぶにあたっては、弟子が師匠に差し出す神文書(誓詞) の他に、師匠が弟子に対して差し出す流儀の規則というのがある。

ここに二つの例を紹介しよう。

一つは柳剛流(柔術・六尺棒・縄手)の「教授規則」で、次のような規定がある。

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第一條  一、我カ手術授ケルハ親又ハ親戚為リト雖承諾有ニ非レハ必ス教ル事勿レ
第弐條  一、我ヨリ授ケル所ノ手術ハ千死一生際ニ非レハ必用ユル事勿レ
第三條  一、我カ門人ニシテ前ノ二條ノ規則ニ違背スル者直ニ放門申付ル事

とある。これなどはまだ、かなり束縛の少ない方であり、次の『関口流法令』になると、かなり厳格な規則となる。

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一 弟子取候事人柄見立不信不実之者ニハ教申間敷事
一 他流致稽古人ニ教申間敷事
一 柔居合剣術棒一ツ宛分ケ教申間敷事
(以下省略)  

こちらの法令は文化十年(1813)に阿波藩関口流師範の井上齋助成政が差し出したものである。他流を稽古する者には教えてはならない、というのは閉鎖主義の強い現れで、地方の流儀の特徴をよく表している。術の分割伝授も認められていないわけだから、それは厳しい流規である。
by japanbujutsu | 2013-03-19 13:34 | 武術論考の部屋 Study
古武道を学ぶ全世界の人たちへ

古武道を修行している外国人を見ると、現代武道との区別がほとんど付いていないまま、稽古をしていることが分かる。

それはほとんどの場合、技術だけを学び、そして稽古をしている姿である。古武道はスポーツではない。だから競技をしない。流祖が案出し、歴代師範が伝えてきた技(形)を繰り返し稽古をすることに意義を見出す日本が世界に誇る伝統的文化遺産である。伝統文化ゆえに、古武道には技以外に学ばなければならないことがたくさんある。

あなた方がご存じのように、この日本の大切な文化である古武道に対して、現代の日本人はまったく関心を示さない。もはや、今の日本には古武道を継承していく社会的環境が存在しない。

一方、あなたがたは、熱心に日本の古武道を修行している。その前向きな姿勢には敬意を表する。しかしながら、残念なことに、あなた方の多くは日本語が話せず、書けず、読めない。これは古武道のみならず、日本の伝統文化を学ぼうとするとき、かなり致命傷なのである。

伝書(巻物)をいただいても、そこに何が書いてあるかわからず、その巻物と一枚紙の証書との区別がつかない。第一、あなたがあなたの弟子に巻物を授けようとするとき、あなたは自分で文字を書くことができますか。
日本の武士名と花押を持っていますか。

あなたが師匠にしていただいたこととまったく同じことを、あなたの弟子にもしてあげることができますか。だから私たち日本人があなた方に古武道を教え、たとえ伝書を授けても、それはすべてを伝えたことにはならない。

もし、あなたにまだ時間的余裕があるとしたら、あなたは日本語を充分に学ぶ必要がある。日本語が話せて、書けて、読めて、初めてあなたは日本の文化を理解することができるだろう。
by japanbujutsu | 2013-03-14 20:22 | 武術論考の部屋 Study
稽古着のこと

近年、稽古着のことを「道着」と呼んでいるが、少なくとも古流を学ぶ者は稽古着と言わなければいけない。道着などという言葉は江戸時代には存在しないのだから。

さて講道館柔道の稽古着は、武士の正装から紋付き袴を取り除いたスタイル、つまり襦袢と股引で、これは日常服で言えば、下着姿であり、極めてはしたない姿である。沖縄から入ってきた空手までもがこのスタイルを採り入れているのは、まったく理解に苦しむ。

私が柳生心眼流や渋川一流に入門した頃は、師匠たちも皆、柔道と同じスタイルで、私がそれでは駄目だと説得して、改善してきた。一方、柴真揚流の町川師範はしっかりと最初から袴を着けており、古流としての伝統を墨守していた。

昨年、わが協会のドイツでの大会で、某古流の団体が、師範以外全員袴を着用しておらず、全く遺憾に思ったが、他流のことだから口出しはしなかった。日本の師範はもっとしっかりと指導して欲しい。初心者に袴を着けさせない、などという頓珍漢なことを始めたのは合気道であり、そんなことを古流は決して真似をしてはならないのである。

渋川一流でも明治期まではしっかりと袴を着用していたことが、伝書に表れている。

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by japanbujutsu | 2013-03-13 21:44 | 武術論考の部屋 Study
「稽古」とは?

武術を日常、修行することを「稽古」という。これは日本の伝統文化を学ぶときに用いる用語で、特別の意味・感覚を持っている。西洋から入ったものでも伝統のあるもの、たとえばバイオリンやピアノ、バレエなどのレッスンは稽古という場合もある。

稽古とは、優れた技術・才能を持った過去の達人・名人たちが創りだした技術や所作を伴う一定の教習課程を履修することである。

だから、練習、鍛錬、運動、勉強などのどれとも異なる意味を持つ。現在の競技武道は一定のルールに基づいて勝負を競うスポーツであるから、それは稽古ではなく、練習である。

稽古 lesson 伝統文化・芸術を模倣してその技術を習得すること。
練習 practice 一定のルールに基づいてゲームを行うための技術の向上を目指すこと。
運動 exercise 体を動かすこと。
鍛錬 training 筋骨を鍛えて強く、たくましくなること。

英語の場合、いろいろな和訳があり、厄介であるが、日本語本来の意味に合わせると以上のようになる。すなわち、武術の教習は「lesson」 が一番合っているのであるが、筆者は武術の稽古を「lesson」と言っている欧米人に出合ったことはない。

武術の稽古は決して練習ではなく、単なる運動でもない。いたずらに筋骨を鍛えるようなこともしない。武術とスポーツを混同しないことが大切である。
by japanbujutsu | 2013-03-03 17:00 | 武術論考の部屋 Study
道場名のこと

海外に見られる誤った日本文化(その多くは無知な日本人が教えたもの)を正していくのもわが協会の重要な使命である。今回は「道場名」ついて述べてみたい。わが協会の支部でも一部誤った使用例が見られるため、予めここに公表しておく。今後、彼らが正しい認識を持つことを願って止まない。

武術を稽古する建物のことを「道場」と呼ぶのが一般的になったのは、昭和の戦後のこと。それまでは「稽古場」といい、規模が大きくなると「演武場」と言った。

例えば、明治11年に建てられた札幌時計台の正式名称は「旧札幌農学校演武場」という。当初、この建物は武術教練のために建設されたのである。

「道場」というのは元来、仏教の修行場をいうのであり、武術教練の建物を指す名称ではなかった。

それでは、海外における具体的な誤った用例について紹介していく。

近世以来、日本において武術の稽古場としてもっとも多用されているのは、◯◯館である。おそらく近世の武術稽古場の九割以上が使用しているだろう。これは現在でも同じ傾向にある。少数例としては我が協会のような◯◯塾、あるいは◯◯堂などがある。

アメリカ合衆国は我が協会の管轄エリアではないため、ここではヨーロッパの現状について述べる。今は除名したが、かつてわが協会のドイツ支部が「水月道場」という名称を付け、除名後の現在もこれを使用しているようである。これは道場の名称としては明らかに誤っている。

本来、◯◯道場という場合は、その道場が何を教える道場か、あるいはどこにある道場かを示すのである。例えばその道場が空手を教えていれば空手道場、剣道を教えていれば剣道場である。また古流の場合では新陰流を教えていれば新陰流道場となる。場所を示す場合には、大阪道場とか、名古屋支部道場などという。

そして、それぞれの道場名はそれとは別に存在する。正しく表現すると、「全日本剣道連盟◯◯県支部◯◯館」となり、道場の看板には「剣道場◯◯館」と書いてある。

「水月道場」では何を教える道場か分からず、またどこにあるのかも分からない。また、現在、我が協会のベルリン支部でも「天真直伝道場」を名乗っているが、これも同断であり、何の道場か分からない。「◯◯道場」と「◯◯館」の区別がついていないのである。「天真直伝流道場」とするか、あるいは改名するよう指示を出したが、応じなかった。

ヨーロッパには同じ事例がいくつもあり、正しい文化を伝えるためにあえてここで取りあげることにした。誤りに気付いてくれることを願う。
by japanbujutsu | 2013-03-03 12:56 | 武術論考の部屋 Study
センセイ??? 

日本の伝統を正しく外国に伝えることは容易なことではない。

武道、特に古武道(伝統武道、流儀武術)を完全な形で伝えるのは今の日本でも容易なことではなく、ましてや外国人には高度な事理を含む流儀内容すべての伝授は、残念ながら無理であると言わざるを得ない。しかし、武術を学ぶ日本人が激減している昨今、少なくとも武術の形・技法だけは言葉の壁を越えて海外に伝えておくのも大事なことである。武術も奇跡的に残ったクニマスと同じ状況である。

さて、海外で武術を指導していると、いろいろな間違いや問題点に遭遇する。先日も述べたが、今や取り返しのつかないほど誤まった解釈が蔓延しており、もはや是正は困難を極めるが、だからと言って野放しではいけない。それではいつになっても正しい文化を伝えることはできないからである。少しずつでも正しい日本文化を伝える手立てをほどこさなければならないのである。

今回は誤った言葉の使い方の一例について述べる。

「先生」。日本人と同じように、彼らの日本語も書物の影響が甚大である。「先生」は表記では「せんせい」となる。だから外国語では「Sensei」と表記される。しかし、日本語での発音は「せんせい」ではなく「せんせー」である。「い」を発音する日本人などどこにもいない。言文不一致の典型である。外国人は私を「せんせい」と呼ぶ。面倒だが、毎回訂正させている。

最近ではJRの駅名表記も発音どおりに書かれるようなり、良い傾向である。Tokyo(これではトキョ)ではなく、Tôkyô(トーキョー)。これが正しい。

だから「柔術」は「Jujutsu」「Jiujitsu」ではなく、「Jûjutsu」が正しい。Jujutsuでは「呪術」となり、Jiujitsuでは「充実」に近くなってしまう。

コミュニケーションは試験ではない。正しい発音で指導する必要がある。

これは発音ではないが、ついでに述べておく。
挨拶の「押忍(オッス)」。失礼極まりない。足を開いて両拳を握っている。こんな挨拶を武道(実態は武道ではない)の世界へ持ち込んだ者がいるために、不快な思いをしているのは筆者だけではないはず。筆者はこのような挨拶に対しては無視をする。そしてセミナーの参加者には、二度と筆者の前ではそのような礼儀外れの挨拶をしないよう説教をする。
by japanbujutsu | 2013-03-01 17:07 | 武術論考の部屋 Study
演武における捕と受

古流における演武では上級者は必ず受(攻撃・敗者)を行い、下級者は必ず捕(防御・勝者)を行う。

だから師範は必ず攻撃側となり、弟子は師範に勝つ防御側を演ずるのが鉄則である。

武術は弱者が強者を倒すのが大前提。

現代でも剣道では必ず師範は打太刀(攻撃)を行い、弟子や下級者が仕太刀(受けて勝つ側)を担当している。

ところが、徒手武道はどうだろう。

空手の師範が演武で弟子を蹴り倒したり、合気道で男性の師範が女性の弟子をバッタ、バッタと投げている。

強い者が弱い者に勝つのはいじめや暴力であり、武道ではない。師範は弟子を導くのが役目。だから演武では弟子に攻撃を仕掛けて、負ける側を演じなければならない。

筆者はヨーロッパの門人たちに厳しくこの教えを説いている。しかし、最初は理解しなかった。

彼ら曰く「弟子は師範に投げられることを誇りに思っている」。だれがこんなデタラメな思想を海外に広めたのだろうか。

稽古ではもちろん師範は弟子を投げて、その技術を正しく教えることが必要である。しかし、演武は完成した技を披露する場である。弱い者が強い者に負ける当たり前の出来事が武道の本質を表しているのだろうか。そんなことは絶対にありえない。

古流を、そして真の武士文化の教えを知らない現代の競技武道を指導する者が、誤った方法を検証もせずして盲目的に踏襲するから、世界にまで日本武道の誤った思想が流布してしまっている。

これを是正していくのは容易な作業ではないが、少なくとも我が協会だけは正しく古流の在り方を教え導き、徐々にでもその正しい方法論を認識させていくことを目指したい。

彼らも、最近になってようやくそのことに理解を示すようになってきた。

これからまだまだ正していかなければならないことがたくさんある。
by japanbujutsu | 2013-02-24 01:06 | 武術論考の部屋 Study

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