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国際水月塾武術協会 International Suigetsujuku Bujutsu Association

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本会が伝承している武術流派と古武道全般の技法・歴史・文化などを解説します。文章・記事・写真の転載は固く禁止します。

カテゴリ:武術論考の部屋 Study( 247 )

学習メモ

武術は本来、身体で覚えるもの。
学んだことを忘れないために同じ形・技を身体に染みつくまで稽古する。
これを修行、とくに武術の場合には 「練武」 という。
仙台藩伝浅山一伝流柔術中興祖、相澤永長斎の頌徳碑の題は 「練武鍛身」、実にいい言葉だ。

わが道場では稽古中にメモを取ることだけは許可している。
ビデオ撮影は厳禁。
本来はメモだって稽古中は言語道断である。
しかし、遠くから通ってくる人たちは一日潰して来るわけだから、これは特別な措置である。
しかし、ここですべての修行者に注意しておきたいことがある。
それはメモを取ったら、それで安心して繰り返しの稽古を疎かにすることである。
習った技は師匠が 「よし」 というまで続けて繰り返し、身体で覚えるのが本旨である。

そして、師匠が新しい形・技を教えなかったら、今まで学んだ形を一通り繰り返すのが修行者のなすことである。
師匠はそれを見て、修正するのだから。

筆者が大学時代に記録したノート。

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メモは帰りの電車で筆記して、下宿で清書したものである。




(完)
by japanbujutsu | 2016-12-27 17:49 | 武術論考の部屋 Study
師範の心得 書道

武士は徹底して書道の教育を受けた。
今の中学生ほどの年齢になれば、御家流はすらすらと書けた。
教育を授ける者(師範)は何よりも字が上手いことが第一の条件とされた。
寺子屋の師匠も字が上手いことが絶対の条件だった。
武士ならばなおさらのこと。
ところがである。
今時の教員や武道の師範には、悪筆が多すぎる。
字が下手なのは本当にみっともない。

特に、古流の芸事を指南する人たち。
人に指南する前に書道をしっかりと学んでほしい。
芸事はその種類の如何を問わず、バランス感覚というものが非常に大切であり、また芸術としてのセンスの高さも必要である。
ミミズが這ったような字を書いていたのでは説得力がない。
外人にはこのようなことを説教することもできない。
第一、日本の文字そのものが書けないのだから。
外人に武術のすべてを伝えることはできないと筆者が言う所以である。
ややもすれば、日本人でさえ、技の習得にしか関心が無く、その付随する膨大な文化を蔑ろにする。
試合主体の現代スポーツ武道ならば技だけでも良いが、古流の師範ともなれば、伝書は自筆できるようでなければ駄目である。
一日稽古をしたら、一日書道をやる。
そのくらいの気概がなくては日本文化の真の伝承はできないと心得るべきである。

筆者とて決して上手いとは言えないが、門人に差し出す伝書はすべて自筆している。
写真は来月、関西支部長に差し出す「神道無念流立居合免許皆伝巻」。

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(完)
by japanbujutsu | 2016-12-04 17:04 | 武術論考の部屋 Study
阿吽の呼吸

初心者の演武を見ると、師範(打方)との攻防における合(ごう)、すなわち阿吽の呼吸ができていない。
同時に行う動作、タイミングをずらして行う動作、すなわち攻めと待ちの呼吸が合わないから形に緊迫感がない。
これを 「死形」 という。
つまりそれは形以前に一打一打の打ち込みそのものが甘いために、師範と同時に技を発してもわずかに遅れることに起因する。
まずは基本をしっかり学び、しっかり稽古を積み、手の内と呼吸の一致、すなわち気剣体の一致の修得に努めることが第一である。
そして、単純な合の稽古にこそ時間をかけることである。

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(完)
by japanbujutsu | 2016-11-22 17:26 | 武術論考の部屋 Study
製本

筆者が学生時代、世の中にようやくコピーというものが出てきた。
国会図書館にまめに通い、前半をコピーしては、次の週に後半をコピーし、すぐにそれを製本した(一度での全本コピーは法で禁じられていた。しかし、二度行けば、結局は全本コピーが可能なので意味はなかった)。
全国の図書館にも、その図書館しかない本があれば出掛けていった。
直接出向しなければコピーの許可がいただけなかった。

今の人たちに当時の苦労を知るよしもない。
パソコンなどというものは姿も形もなく、ワープロでさえなかったのである。
情報は足で稼いだ。
だから、当時製本した今でも入手困難な資料が筆者の手元にはいろいろある。
これもまた武術史研究の一次資料となるのである。

資料・史料の読み重ねをしない者が、どこかで得たガセネタやネットで収集した嘘八百の情報で、安易にネット上に記載するから、そのような低俗な文章は絶対に引用するべきではない。

下は筆者が若い頃、コピーから製本まで自分でなした資料の一部。

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(完)
by japanbujutsu | 2016-11-16 17:12 | 武術論考の部屋 Study
柔術は武芸の母

出典を知らないが、「柔術は武芸の母」 という言葉がある。
なるほど、武術を始めて数年間は素手の武術しか興味がなかった筆者もつくづくそう思う。
大学時代はもっぱら中国拳法と日本古流柔術しか興味がなかった。
柔術は実際に技が使えないと形にならない。
実際に技が利いていないと敵は崩れないのである。
これを学生時代は手加減無しで稽古したものだから今でも関節に後遺症が残っている。
柔術は力任せにするのではなく、むしろ力を抜かなければいけないと教える。
しかし、血気盛んな若者は力と力のぶつかり合いになる。
我慢をすれば押しつぶす、それでも起きあがろうとする。
当時、稽古の後は体中ボロボロであった。

そんな稽古を今の古武道を修行している人たちはやっているのだろうか。
最近は居合や剣術が流行り、柔術に目を向けようとする若者が少ないのはなんとも寂しい限りである。
柔術は直接肉体が触れ合うので、敵の力の入れ具合を直接身体で知ることができる。
当時は太極拳を兼修していたので、これが柔術の修行に相当役だった。
今の筆者の柔術の根幹には当時修行した太極拳の技法が大いに影響していることは確かである。
太極拳はその後棄てたが、その修行は決して無駄ではなかった。
「青年よ、柔術を修行せよ!」

仙台藩伝浅山一伝流柔術
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(完)
by japanbujutsu | 2016-11-06 17:40 | 武術論考の部屋 Study
木製武具の手入れ用油

前回、木製武具には油をくれないと、木が乾いてきて、打ち合った部分がささくれ立ってくることを説明した。
しかし、その特性油は我が家の秘伝で公開できない。

市販品で入手できるものの中で、筆者がもっとも良いと思うものを紹介する。
まず、木の材質であるが、これは白樫が一番良い。
枇杷、スヌケ、黒檀、紫檀などはいずれも稽古用武具としては不適である。
赤樫も弱くて軽くて、稽古には不向きである。

その白樫製武具の手入れである。
まず、最初は木肌が真っ白なので、そのまま使用すると、手垢と汗で柄の握りの部分だけ汚くなってくる。
これを防止するために、武具全体に 「柿渋」 を重ね塗りして薄く色をつけるようにする。
※柿渋は強烈な悪臭を放つので、人のいない場所で作業をすること。市販されていないので、ネット販売などで取り寄せるとよい。

次に肝心の油であるが、筆者がいろいろ試した中で、もっとも白樫に適しているのは 「純正荏油」 である。
これも一度にベタベタ塗らず、薄く引き延ばして塗ることが肝要である。

みなさん、稽古道具は大切な財産です。
しっかりと手入れをしましょう。

下の写真は荏油と柿渋。

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(完)
by japanbujutsu | 2016-11-04 17:02 | 武術論考の部屋 Study
江戸時代における武術の普遍的呼称 

江戸時代には○○流○○術という呼び方は少なかった。
むしろ、最後の 「術」 は付けない方が自然だった。
現在では、古武道といえば何でも一様に「術」を付けたがる傾向にあるが、もう一度、江戸時代の伝書を確認した方がよい。
たとえば、筆者が学ぶ関口流の居合は 「抜刀」 と書いて、「いあい」 と読むのが正しい。

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江戸時代は 「抜刀術」 とは書かなかった。
ましてやこれを 「ばっとうじゅつ」 などと読むわけがない。
伯耆流だってもちろん 「伯耆流居合」 である。

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術は付けない。

これも筆者が相伝する穴澤流。
「穴澤流薙刀」 と書く。
術は付けない。

これも伝統であるから、考証もせずに他流と同じにすることだけは避けなければいけない。
 






(完)
by japanbujutsu | 2016-10-29 17:24 | 武術論考の部屋 Study
「神道」 と 「天道」 の読み

あまりにも無教養な武道人が多くて本当に困りものである。

すでに何度も述べたことだが、事あるごとに重ねて述べていかないと、無教養は払拭されないようである。

今回も流儀名の読み方。

これから書く2つの流儀は私が相伝する流儀なので、誤読されると本当に気分が悪い。

神道無念流と天道流。

まず、神道無念流の読みは「しんとうむねんりゅう」。

「しんどうむねんりゅう」ではありません。

神道を 「しんどう」 と読むことはありません。
神道は、あくまでも 「しんとう」 としか読まないのです。

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本当に義務教育を終えてきたのだろうか、バカさ加減に腹が立って仕方ない。
全日本居合道連盟の無学の皆さん、気をつけてください。
あなた方が習っている刀法の三本目の「切上げ」は神道無念流の形を崩して簡単にしたものです。

「しんとうむねんりゅう」です。

それから、もし、誤読している人がいたら、その場で訂正してやってください。
その人のためです。

次に、天道流。
この読みは「てんとうりゅう」です。

「てんどうりゅう」ではありません。

全日本なぎなた連盟の役員さん、誤った読み方を会員のみなさんに教えないでください。
無教養が拡散します。
わが国の言葉では 「天道」 を 「てんどう」 と読むことはありません。
天道流の自称宗家と称する方が誤読をしているのだから、もう救いようがない状態です。

天道流は「てんとうりゅう」と読みます。

以上。





(完)
by japanbujutsu | 2016-10-21 17:14 | 武術論考の部屋 Study
神官の武芸

日本の武術が神代より伝わり(思想上の仮託として)、戦国末期に香取・鹿島の両神宮からそれぞれ神道流・新当流が生まれ、その後も関東地方では神官が武術を相伝する風があり、幕末に至っては勤皇を標榜する神官が「兼武神官」として剣術を相伝した。

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この絵目録に見られるように、神道流の初期の段階では、長柄の得物、すなわち槍と長刀しか伝えていなかった。
江戸の初期になって剣術が加わり、やや遅れて居合が、そしてさらに遅れて棒術や柔術が加味された。
それは棒術や柔術が日常の護身、捕縛の目的で稽古されたことに明らかなように、これらの武術は集団で対する戦場では使い物にならないからである。

しかし、当初からあった槍や長刀も、江戸の泰平期には武士の教養として稽古され、剣術や居合と同等の位置に置かれるようになる。




(完)
by japanbujutsu | 2016-10-17 17:09 | 武術論考の部屋 Study
外人への相伝の限界

長年感じていることであり、ここでも何回か述べてきた。
外人への相伝の限界。
武術を含めた伝統芸能というものは、それを完全に極めようとするならば、やはりその国のDNAがなければダメである。
最低でも、日本に数年は滞在し、日本語を普通に話し、和文を筆記できる能力が求められる。
武術は文化であるから、技ができるだけではどうしようもない。
技ができることは最重要でありながら、それらはことごとく和の文化に支配された伝統芸なのでである。
技以外に覚えなければならないこと、できなければならないことが山のようにある。
だから、外人が武術を完全相伝するためにはある意味で 「日本人」 にならなければいけない。

そして、その肝心な日本人。
最初から日本人のDNAを受け継いでいて、「日本人になる」 ための努力も必要なく、武術を相伝する条件はすべて揃っている 「はず」 なのである。
ところが、実際はどうだろう。
技は愚か、字も悪筆、武具には興味なし、日本語は乱れ、古文書は読めず、歴史に疎い。
こんな日本人にどうして武術を相伝できようか。
だから仕方なく、技だけでも海外に伝え残す。
そうせざるを得ないのが現状である。

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日本人よりはるかに熱心に稽古をする海外の会員たち




(完)
by japanbujutsu | 2016-10-11 17:56 | 武術論考の部屋 Study

by japanbujutsu