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国際水月塾武術協会 International Suigetsujuku Bujutsu Association

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本会が伝承している武術流派と古武道全般の技法・歴史・文化などを解説します。文章・記事・写真の転載は固く禁止します。

カテゴリ:技法研究の部屋 Skill ( 136 )

『写真学筆』に描かれた武術 その3 剣術

今回は剣術の頁を紹介する。

墨僊は武術形というより、単独動作の描写に主眼を置いているようで、組形がないのが残念である。

二本の木に横木を渡して打ち込み稽古をしている者は木刀を使っているが、その他は全部袋竹刀である。

一人だけ半棒を使っている者もあり、右下の人物は二刀を持っている。

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この中で筆者が気になるのは、木刀で横木を打っている人物。

皆さんは気が付いただろうか。

何と彼は左手が鍔寄りになっている。

すなわちサウスポー。

江戸時代には(もちろん現在でも)完全にタブーの所作。

これはどういうことだろうか。

意識的に書いたのか、あるいは武術の常識を知らずして書いたのか、わからない。

袴の腰板にはしっかりと家紋が入っているのがわかる。
by japanbujutsu | 2013-09-29 17:58 | 技法研究の部屋 Skill
『写真学筆』に描かれた武術 その2 薙刀・鎖鎌・半棒

著者の墨僊は師匠北斎の画風をよく受け継ぎ、見事なまでに武術の動きを描写している。

今回紹介するのは武家の婦女子が稽古した薙刀・鎖鎌・半棒。

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婦女子は武術を相伝することができなかったため、教養としての修行に限られていた。

特に薙刀・鎖鎌・半棒は多くの婦女子が学んでいる。

熊本藩に伝来した楊心流でも薙刀と半棒の伝があり、これは広島に現存している。

操作は完全に婦女子用になっており、打ち込みに踵を浮かせている。

この動作だと重い男薙刀を扱うことはできない。

筆者が相伝している穴澤流も婦女子用の動きとなっているが、男薙刀でも形が打てるように稽古している。

明治時代に興った十剣大神流にも薙刀と半棒があり、女学校で教授された。
by japanbujutsu | 2013-09-28 17:48 | 技法研究の部屋 Skill
『写真学筆 墨僊叢書 全』に描かれた武術 その1 槍術

まずは、墨僊という絵師について説明しておかなければならない。

葛飾北斎の門人。姓は牧という。尾張藩の家臣の家に生まれ、寄合組に属し、鍛冶屋町下新道北西角(現・名古屋市中区鍛冶屋町)に住んでいた。江戸に出て、喜多川歌麿の門人となる。寛政(1789年-1801年)後期から享和3年(1803年)まで、月斎峨眉丸あるいは鳥文斎と称して、狂歌絵本や狂歌俳諧の摺物など文芸方面と関わりを持つ仕事を中心にしつつ、「芸妓立姿図」(東京国立博物館所蔵)のような鳥文斎栄之風の肉筆美人画などを描いた。文化4年(1807年)の春から墨僊の号を使用する。文化9年(1812年)、北斎が関西へ行く途中で名古屋に滞在したとき北斎の門人となり、肉筆画、絵手本、絵本及び細判摺物、版本の挿絵を描いたが、一枚摺の錦絵はほとんど残していない。著作として絵本『写真学筆』、『真景画苑』、『画賛図集』、『一宵話』、『北帝夷歌集』、『栄玉画鑑』、『狂画苑』などの他銅版画を自刻し、「瘍科精選図解」や「蕃舶図」、「天球図」といった数種の作品が挙げられる。文化11年(1814年)刊行の「北斎漫画」に尾張校合門人として名を連ねている。喜多川歌麿と葛飾北斎という浮世絵界の二大巨匠に学んだことと、中京における銅版画の創始者となったことは特筆される。門人に、沼田月斎、森玉僊らがいる。

さて、この中の『写真学筆』に『北斎漫画』の影響を強く受けた武術の稽古姿が描かれていることを知る人は少ない。

今回から連載で、そこに描かれたそれぞれの武術の様子を見ていきたい。

まずは槍術から。

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十文字槍と素槍の稽古の様子が描かれている。

たんぽ槍なので、そのまま仕合稽古に使用できる。

実際、一人は面の防具を着用している。

槍は九尺槍だろう。

武術の稽古としては非常に面白い種目だと思われるが、現在、その面白い稽古がどれほどの流儀で行われているだろうか。

現存流儀でも知る人は知るように、そのいくつかは復元されたものであり、理合がまったくおかしい流儀もある。
by japanbujutsu | 2013-09-27 18:19 | 技法研究の部屋 Skill
『一掃百態』の武術 その5 屏風跳びと柔術

第五態は見物である。

まずは屏風跳び。

これは西法院武安流の項で説明したように、江戸時代の柔術稽古では普遍的に行われていた脚力を養成する稽古法である。

身長よりも高い屏風を僅かな助走で飛び越える。

その脚力たるは並ではない。

しかも絵を見ると大小を腰に差したままである。

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敵と出会ったときに、不意に敵の背後に跳び移るというのは、決して作り話ではない。

筆者自身、これに近い棒術の技を甲州陣屋伝捕方武術で学んだが、残念ながら今は身体が重くて実演できない。

次に、柔術の図である。

敵の腕の逆を取って引き外した場面かと思われるが、貴重なのは、後帯に「鼻捻」を差していることである。

この鼻捻を使った場面が描かれていれば面白いが、それはない。
by japanbujutsu | 2013-09-26 18:19 | 技法研究の部屋 Skill
『一掃百態』の武術 その4 槍術稽古

槍術は江戸時代にはかなり人気のあった武術で、大抵の藩校で教授がされていた。

稽古は形と仕合。

本日の一態は防具を着けていないので形の稽古かと思うが、様子はどちらかと言えば仕合のようである。

素槍と十文字槍の合わせ稽古はよく見られる組み合わせである。

十文字槍は槍を返して入身し、石突で突いている。

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注目は足構えで、前足はしっかりと相手に向け、後足の爪先は後方を向いている。

これが本当の槍術における足構えである。
by japanbujutsu | 2013-09-25 18:04 | 技法研究の部屋 Skill
『一掃百態』の武術 その3 試し斬り

江戸の古文献にも滅多に登場しないのが試し斬りの図。

それが『一掃百態』に描かれている。

巻き藁を相手に持たせ、それを抜き打ちにしようとしている図である。

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座した状態から抜いているのは分かるが、刀は帯に差していない。

武術稽古の実態を知るには、古文献から精査しなければ真実は決して見えてこない。
by japanbujutsu | 2013-09-24 17:54 | 技法研究の部屋 Skill
『一掃百態』の武術 その2 鎖鎌

本日は『一掃百態』の中から鎖鎌を紹介する。

鎖鎌という武術は実戦に使用できないフェイクであり、その武術の習得にも難を極めるが、『一掃百態』の中に、たいへん貴重な庶民が鎖鎌を使っている場面が描かれている。

絵を見てみると、相手の背後に素早く回って、後方から鎌で首を刈ろうとしている場面であることがわかる。

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一体、鎖鎌を持って外出するときには、どのようにして持って出かけたのだろうか。

鎖鎌は鎖を相手に搦めた時点で自分は鎌の自由を失い、敗北するようになっている。

本来、鎖は敵に搦めるものではなく、あくまでも分銅を敵に打ち付ける際の補助具に過ぎないのである。

このことをしっかりと理解しないと、形そのものの理合いを説明できない。
by japanbujutsu | 2013-09-23 17:49 | 技法研究の部屋 Skill
『一掃百態』の武術 その1 剣術

長い鎖国時代に葛飾北斎の『北斎漫画』13編が生まれた。

きまじめな家老職を務めた渡辺崋山も『一掃百態』のように、武士や庶民などを漫画風に描いた作品を残している。

その『一掃百態』の中に、武術の稽古をしている様子が描かれていておもしろい。

本日はその中から剣術を見てみたい。

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竹刀の使い方や足の様子を見ると、今の競技剣道とはかなり趣が異なっているのがわかる。

技が豊富で、体の動きも激しいのがわかる。

今のように、常に直立しているわけではない。

こんな剣術が残っていれば、毎日でも稽古をしてみたいと思う。
by japanbujutsu | 2013-09-22 17:37 | 技法研究の部屋 Skill
非現実的武具の十手

鎖鎌と並んで実戦の役に立たない武具の代表格が十手である。

こんな小さな道具で剣に立ち向かうこと自体がナンセンスである。

武士に真っ向から対して十手で勝った例など皆無であろう。

武術はこの非現実的であきらかに大きなハンデの差がある想定をいかにして克服していくかにその意義がある。

もちろんそれは武士の教育であり、非現実の想定を履修し、武芸として完成させることに意義がある。

非力な者が怪力に勝ち、小が大を制するのは武術の根本理念であるから、十手や鎖鎌が剣に勝つのはまさにこの理想を具現しているわけである。

しかし、それはあくまでも武芸での稽古で行うこと。

実際にこんな小道具で剣に立ち向かったら勝ち目はない。

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江戸時代、博徒が十手を預かることを「二足の草鞋」といった。

博徒が十手を預かり、同じ博徒を取り締まる捕吏を兼ねていたことから生まれたことわざである。

この十手は「官吏の身分証明」であって、武具としては「打つ・殴る」くらいの役目しかない。

現在はこの十手術を伝える流儀も少なくなった。

現存している流儀は貴重な存在である。
by japanbujutsu | 2013-09-06 19:39 | 技法研究の部屋 Skill
甲冑着用の武術???

甲冑を着用して行う武術のことを「介者武術」、これが剣術の場合は「介者剣術」というらしい。

いつからこんな造語が使われ出したのだろう。

対して平服で行う武術を「素肌武術」、これが剣術の場合は「素肌剣術」というらしい。

これもいつからこんな造語ができたのだろう。

「素肌武者」という言葉を知らないわけではない。

この場合の素肌武者というのは、もちろん甲冑を着用せずに戦場に出る武者のことを意味し、素肌者ともいう。

『盛衰記』に「四国九国の合戦も、素肌武者では手柄が成るまい」とある。

また甲冑を着用している兵士を介者という。

しかし、武術というのは平服になってから発達したものであるから、そもそも介者武術というものはない。

こんなことを書くと、戦国時代にも武術はいくらでもあったでないか、と反論する者もありそうだが、もしそのような愚論を言うのなら、もっと正しい武術史を研究した方がいい。

初期の竹内流は甲冑を着用して行われていたのだろうか、林崎流の居合も当初は甲冑を着用して座したのだろうか、そんなはずはない。

神道流や新当流(卜伝流)でも甲冑を着用した史実はない。

甲冑着用時の戦闘は技術よりも腕力・体力が先行することは周知のことであり、このような戦闘法からは武術は生まれない。

武術は平服を前提としてできている。

だから柔術や剣術の稽古で甲冑着用時の説明をするのはまことにナンセンスである。

曰く、「甲冑の隙間を狙う」のだと。

まずは太刀で敵に大きなダメージを与えてからでないと、甲冑の隙間など狙うことは自爆行為であることを知るべきである。

起倒流鎧組打という特殊な状況下を想定した流儀があるが、これなどは例外に違いなく、普通の柔術の延長上に武士が心得として学んだものである。

現在残っている流派における甲冑着用の武術が江戸時代に実際に行われていたかは大いに疑問である。

では、江戸時代には甲冑着用の稽古は行われなかったのだろうか。

これにも例外はあり、『会津剣道誌』には甲冑を着用して柔術の稽古をしている資料が掲載されている。

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しかし、これらは極めて特殊な例である。

武術は鎧武者時代の戦闘法とは理論・理念が根本から異なり、別なものとして扱う必要がある。

介者剣術だの、素肌剣術だのと言って、原典不明な言葉で偽りの武術史研究をするべきではない。
by japanbujutsu | 2013-08-16 19:54 | 技法研究の部屋 Skill

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