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国際水月塾武術協会 International Suigetsujuku Bujutsu Association

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本会が伝承している武術流派と古武道全般の技法・歴史・文化などを解説します。文章・記事・写真の転載は固く禁止します。

カテゴリ:技法研究の部屋 Skill ( 130 )

『一掃百態』の武術 その2 鎖鎌

本日は『一掃百態』の中から鎖鎌を紹介する。

鎖鎌という武術は実戦に使用できないフェイクであり、その武術の習得にも難を極めるが、『一掃百態』の中に、たいへん貴重な庶民が鎖鎌を使っている場面が描かれている。

絵を見てみると、相手の背後に素早く回って、後方から鎌で首を刈ろうとしている場面であることがわかる。

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一体、鎖鎌を持って外出するときには、どのようにして持って出かけたのだろうか。

鎖鎌は鎖を相手に搦めた時点で自分は鎌の自由を失い、敗北するようになっている。

本来、鎖は敵に搦めるものではなく、あくまでも分銅を敵に打ち付ける際の補助具に過ぎないのである。

このことをしっかりと理解しないと、形そのものの理合いを説明できない。
by japanbujutsu | 2013-09-23 17:49 | 技法研究の部屋 Skill
『一掃百態』の武術 その1 剣術

長い鎖国時代に葛飾北斎の『北斎漫画』13編が生まれた。

きまじめな家老職を務めた渡辺崋山も『一掃百態』のように、武士や庶民などを漫画風に描いた作品を残している。

その『一掃百態』の中に、武術の稽古をしている様子が描かれていておもしろい。

本日はその中から剣術を見てみたい。

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竹刀の使い方や足の様子を見ると、今の競技剣道とはかなり趣が異なっているのがわかる。

技が豊富で、体の動きも激しいのがわかる。

今のように、常に直立しているわけではない。

こんな剣術が残っていれば、毎日でも稽古をしてみたいと思う。
by japanbujutsu | 2013-09-22 17:37 | 技法研究の部屋 Skill
非現実的武具の十手

鎖鎌と並んで実戦の役に立たない武具の代表格が十手である。

こんな小さな道具で剣に立ち向かうこと自体がナンセンスである。

武士に真っ向から対して十手で勝った例など皆無であろう。

武術はこの非現実的であきらかに大きなハンデの差がある想定をいかにして克服していくかにその意義がある。

もちろんそれは武士の教育であり、非現実の想定を履修し、武芸として完成させることに意義がある。

非力な者が怪力に勝ち、小が大を制するのは武術の根本理念であるから、十手や鎖鎌が剣に勝つのはまさにこの理想を具現しているわけである。

しかし、それはあくまでも武芸での稽古で行うこと。

実際にこんな小道具で剣に立ち向かったら勝ち目はない。

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江戸時代、博徒が十手を預かることを「二足の草鞋」といった。

博徒が十手を預かり、同じ博徒を取り締まる捕吏を兼ねていたことから生まれたことわざである。

この十手は「官吏の身分証明」であって、武具としては「打つ・殴る」くらいの役目しかない。

現在はこの十手術を伝える流儀も少なくなった。

現存している流儀は貴重な存在である。
by japanbujutsu | 2013-09-06 19:39 | 技法研究の部屋 Skill
甲冑着用の武術???

甲冑を着用して行う武術のことを「介者武術」、これが剣術の場合は「介者剣術」というらしい。

いつからこんな造語が使われ出したのだろう。

対して平服で行う武術を「素肌武術」、これが剣術の場合は「素肌剣術」というらしい。

これもいつからこんな造語ができたのだろう。

「素肌武者」という言葉を知らないわけではない。

この場合の素肌武者というのは、もちろん甲冑を着用せずに戦場に出る武者のことを意味し、素肌者ともいう。

『盛衰記』に「四国九国の合戦も、素肌武者では手柄が成るまい」とある。

また甲冑を着用している兵士を介者という。

しかし、武術というのは平服になってから発達したものであるから、そもそも介者武術というものはない。

こんなことを書くと、戦国時代にも武術はいくらでもあったでないか、と反論する者もありそうだが、もしそのような愚論を言うのなら、もっと正しい武術史を研究した方がいい。

初期の竹内流は甲冑を着用して行われていたのだろうか、林崎流の居合も当初は甲冑を着用して座したのだろうか、そんなはずはない。

神道流や新当流(卜伝流)でも甲冑を着用した史実はない。

甲冑着用時の戦闘は技術よりも腕力・体力が先行することは周知のことであり、このような戦闘法からは武術は生まれない。

武術は平服を前提としてできている。

だから柔術や剣術の稽古で甲冑着用時の説明をするのはまことにナンセンスである。

曰く、「甲冑の隙間を狙う」のだと。

まずは太刀で敵に大きなダメージを与えてからでないと、甲冑の隙間など狙うことは自爆行為であることを知るべきである。

起倒流鎧組打という特殊な状況下を想定した流儀があるが、これなどは例外に違いなく、普通の柔術の延長上に武士が心得として学んだものである。

現在残っている流派における甲冑着用の武術が江戸時代に実際に行われていたかは大いに疑問である。

では、江戸時代には甲冑着用の稽古は行われなかったのだろうか。

これにも例外はあり、『会津剣道誌』には甲冑を着用して柔術の稽古をしている資料が掲載されている。

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しかし、これらは極めて特殊な例である。

武術は鎧武者時代の戦闘法とは理論・理念が根本から異なり、別なものとして扱う必要がある。

介者剣術だの、素肌剣術だのと言って、原典不明な言葉で偽りの武術史研究をするべきではない。
by japanbujutsu | 2013-08-16 19:54 | 技法研究の部屋 Skill
明治時代の竹刀剣道

ここに明治時代の剣道の様子を知ることのできる貴重な写真がある。

竹刀で形を演じていると思われるが、その姿は剣道スタイルそのものである。

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さあ、読者諸賢はこの写真から現行剣道との違いをいくつ見つけることができるだろうか?

それでは、列記してみよう。

① 稽古着の袖が肘上である。
② 右の打太刀は縞袴を着けている。
③ 足幅が広く、後ろの爪先は横を向き、その踵は床に着いている。
④ 仕太刀の股関節が非常に柔らかい。
⑤ 竹刀が短い。


多分、皆さんは④と⑤には気が付かなかっただろうと思う。

④での着目は右膝が浮いていることである。だから胡座の状態ではない。

やってみていただければわかるが、現代人のほとんどはこの姿勢ができなくなっている。

⑤の竹刀の刃部の長さは、写真で判断すると、真剣と同じ二尺三寸前後である。

剣道を武術として行うならば、竹刀も体構えもこのようにしなければいけない。
by japanbujutsu | 2013-07-10 21:32 | 技法研究の部屋 Skill
刀拭様之事

八戸藩伝神道無念流に伝えられた 『神道無念流剣術秘伝之巻』 に、 「刀拭様之事」 として、すごいことが記されている。

古の人々の工夫・知恵というものは、奥が深い。

現代人の発想からはまったく考えもつかないようなことを発案して、実用化する。

今では欲しいもの・便利なものが簡単に入手できてしまうから、我々には工夫というものがない。

さて、その伝書にある記述。

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 途中にて人を切候節馬糞の中の筋なき所を以ふき小便にて洗ひ鼻紙を以ふく事也唯紙斗にてはさひるもの也

馬糞はもちろん肥料に使われるので、チッソ1.0%、リンサン1.0%、カリ0.8%などの成分が含まれている。

また、人の小便は98%が水であり、尿素を約2%含む。その他、微量の塩素、ナトリウム、カリウム、マグネシウム、リン酸などのイオン、クレアチニン、尿酸、アンモニア、ホルモンを含む。

化学的には、ケイ酸塩、リン酸塩、アミン、酸化剤などが金属表面に被膜を形成するため、防錆効果があるとされている。

馬糞も人の小便も双方リン酸をふくんでおり、また、塩素は強い漂白・殺菌作用があるから血糊をきれいに洗い落とす働きがある。

恐るべし、古の知恵。
by japanbujutsu | 2013-07-09 22:31 | 技法研究の部屋 Skill
幕末柔術の乱取

先に幕末期の柔術における乱取稽古の様子を 『武術絵巻』 より紹介した。

今回は明治の初期に嘉納治五郎とは別に天神真楊流柔術で行われていた乱取を修行した井口松之助が、自著 『柔道極意教範』 で解説している講道館柔道とは違った 「柔道の乱取」 について紹介する。

これは恐らく幕末期の乱取の様子をそのまま記録したものとして極めて貴重な文献である。発行部数は比較的多いので、お持ちの方も少なくないものと思う。

まず、現今の柔道が失った武道でもっとも大切な所作、礼法。

ここで紹介されているのは試合・稽古をする二人が片手を着く側と両手を着く側に区別されていること。これも重要な日本武道の文化である。

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そして稽古着。これは既に紹介したとおり、上衣は短袖の刺し子、下衣は短パンのように短い。

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次に、基本的な体作りとして受身や単独体操の法がある。受身は回転受身だけでなく、側転やバク転などもある。また、高跳びと言って、帯や紐を身長と同じ高さに張り、これを前後に飛び越える稽古をする(下画像)。

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昭和三十年代にかつて西法院武安流武者捕を修行したことのある宮城県の古老が、河北新報の取材に際して六尺の高さの屏風を前後に飛び越え、その瞬間をとらえた写真と記事が同新聞に掲載された。

当時の乱取は技も豊富で、関節技が含まれていた。

形の名人と言われた天神真楊流師範の吉田千春は乱取で 「蟹挟」 を大変得意としていたことが記録されているが、現在の柔道では禁止技となっている。

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また、肘逆を取る腕固めもあり、小兵が大男を倒す技が多く存在した。

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投技はもっとも豊富で、例えば襟を取って絞めたまま捨身に投げる楊心流の「連固投」なども紹介されている。

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今の柔道はこうした多彩な技法群を捨ててしまったため 「力の柔道」 となり、体重別に競技を行わざるを得ないスポーツと化した。

オリンピックを見ていても 「小 (柔) よく大 (剛) を制す」 などという柔術の理念はかけらも見られない。
by japanbujutsu | 2013-06-29 17:09 | 技法研究の部屋 Skill
宝蔵院流十文字鎌槍の形と仕合

現在、まったく見られなくなってしまった武術に槍術の仕合がある。

戦前までは広島の佐分利流と京都の貫流が京都の武徳祭で毎年五月に火花を散らした。

佐分利流の鍵槍はかなり苦戦を強いられたものと思われる。

なぜならば、槍は仕合になると 「突き技」 で勝負を決めなければならないからである。

佐分利流は鍵で敵の槍を固定して払い落とす技が特徴であるが、相手が管槍では引っかけることがなかなかできない。

しかも、佐分利流は槍を短く使うのが得意、貫流は長く使うのが得意である。

突き技の仕合では断然、貫流が有利なはずである。

しかし、毎年、同じ流派同士で戦うとなると、佐分利流も工夫をしたことだろう。

ここでは、現在はまったく見られなくなってしまった宝蔵院流の仕合の様子を形稽古の様子と合わせて 『武術絵巻』 から紹介しよう。

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槍術の仕合では左半身だけを防具で覆い、面を着ける。

左手で突く方向を定め、右手で突き出すのが鉄則。

だから右前の半身にはならない。

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こんな槍の仕合が残っていたら、間違いなく入門していたことだろう。

機会があったら復活してみたいと思っている。

現在、防具を付けて稽古を行っているのは名古屋の貫流だけになった。
by japanbujutsu | 2013-06-22 20:27 | 技法研究の部屋 Skill
居合術において座して大刀を差すこと

どこの道場や大会に行っても必ず、話題になるのが、居合術の想定。

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                              影山流居合術

すなわち、座して大刀を差すことが、江戸時代の武家社会において実際にあり得たことなのか。

常識的には、そして普遍的には 「ない」 という解答でいいだろう。

だから当然、殿中居合などというものは存在しない。

居合の眼目は、いかに速く刀を抜いて敵の攻撃に対処するかにある。

そのためにはもっとも動きにくい姿勢、すなわち正坐や安座から抜く稽古が便宜上成立したわけである。

座敷で大刀を差した者同士が、膝をつき合わせて座るなんて想定は現実にはあり得ない。

武術は、その技術の難易度を高めるために、日常想定されない状況下での稽古を行う。

そもそも大刀を差している者に短刀で切り掛かるなどという想定もおかしい(林崎夢想流)。

江戸時代の武術は武芸であり、教育であることをまず念頭に入れなければならない。

学校の授業だって、世の中の生活に直結しているのは実技科目だけである。

それでは、日常生活では使いものにならない教科をなぜ学ぶのだろう。

学問はその学ぶ過程にこそ人間的成長を見出す意義がある。

だから武術ほど現実離れしているものはない。

鎖鎌や十手、二刀などは実戦で使用された記録は皆無である。

その実戦で絶対的に不利である道具をどこまで使いこなすことができるか、そこに武芸教育の意義がある。

だから江戸時代の武術ほど即戦力に欠ける戦闘技術はないのである。

武術は武士教育、そして人間形成の道なのだから。

場合によっては一人前に使えるようになる(免許皆伝)まで十年も二十年もかかる。

だから即戦力を求めたヨーロッパ社会には、日本武術のような長い修行を必要とする稽古事は発達しなかった。

しかし、今、欧米の文化人はその長い修行を必要とする日本文化に魅力を感じて、日本まで修行にやってくる者も少なくない。

だから、武士が殿中で大刀を差すことなどありえないことで、これは武術の世界にだけ存在するものであることを知るべきである。

そして、居合の稽古・演武においては二刀差しにする必要はまったくない。

武士なのだからと演武で脇差を差している者を見かけるが、何回も言うように、武術は日常の生活規範からはまったくかけ離れて存在するものであり、むしろ居合の稽古は大刀の一本差しで行うのが正しいと言える。

なお、武士が城中での勤務を離れ、町屋でくつろぐときには大刀を差したままでいることもある。
by japanbujutsu | 2013-06-16 18:30 | 技法研究の部屋 Skill
居合演武における下緒の扱い

明治から昭和にかけての居合の名人中山博道が伝えた長谷川英信流、無双直伝英信流、夢想神伝流、夢想神伝重信流、その他・・・・。

現在の居合人口を見ると、間違いなく、その九割以上はこれらの流れである。

明治時代の大日本武徳会の戦後の組織が今の全日本剣道連盟になっている。

武徳会も全剣連もその最高権威は中山博道だった。

だから五月の全剣連主催の京都大会で居合を演武する人たちは、皆全剣連の高段者であり、当然のようにここで演武される流派の九割以上が中山博道の流れである。

ここで演武をされている方々の下緒が、演武中どのようになっているか。

ほぼ全員が下緒を袴の前帯に挟んでいる。

何のことはない、中山博道の真似をしているだけである。

驚いたことに、中山博道に関係のない僅かな人たちでさえも下緒を前帯に挟んでいる。

写真左は中山博道、右はその師匠の一人細川義昌。

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中山は下緒を前帯に挟んでいるが、細川は下緒を外している。

結果から述べると、下緒を前帯に挟むという作法は今のところ江戸時代の文献では確認されていない。

権威というのは文化までも抹消してしまうらしい。

幸いなことに、筆者が学んだ居合の流派はすべて鞘に掛けて垂らしておくだけである。

本来は正しい作法が少数派になってしまうと、それが不作法になってしまったりする。

恐ろしいことだ。

こんなことになってしまうと、古流も何もない。

ここに江戸時代の居合伝書の絵図と仙台藩伝影山流を明治時代まで伝えていた天野古弘の写真を紹介する。

絵図の下緒は垂らしたまま。

影山流では鞘にぐるぐる巻いている。

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これが古流の真の姿である。

居合を稽古する人たちには古伝をもっと研究してもらいたい。
by japanbujutsu | 2013-05-14 23:17 | 技法研究の部屋 Skill

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