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国際水月塾武術協会 International Suigetsujuku Bujutsu Association

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本会が伝承している武術流派と古武道全般の技法・歴史・文化などを解説します。文章・記事・写真の転載は固く禁止します。

カテゴリ:技法研究の部屋 Skill ( 133 )

宝蔵院流十文字鎌槍の形と仕合

現在、まったく見られなくなってしまった武術に槍術の仕合がある。

戦前までは広島の佐分利流と京都の貫流が京都の武徳祭で毎年五月に火花を散らした。

佐分利流の鍵槍はかなり苦戦を強いられたものと思われる。

なぜならば、槍は仕合になると 「突き技」 で勝負を決めなければならないからである。

佐分利流は鍵で敵の槍を固定して払い落とす技が特徴であるが、相手が管槍では引っかけることがなかなかできない。

しかも、佐分利流は槍を短く使うのが得意、貫流は長く使うのが得意である。

突き技の仕合では断然、貫流が有利なはずである。

しかし、毎年、同じ流派同士で戦うとなると、佐分利流も工夫をしたことだろう。

ここでは、現在はまったく見られなくなってしまった宝蔵院流の仕合の様子を形稽古の様子と合わせて 『武術絵巻』 から紹介しよう。

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槍術の仕合では左半身だけを防具で覆い、面を着ける。

左手で突く方向を定め、右手で突き出すのが鉄則。

だから右前の半身にはならない。

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こんな槍の仕合が残っていたら、間違いなく入門していたことだろう。

機会があったら復活してみたいと思っている。

現在、防具を付けて稽古を行っているのは名古屋の貫流だけになった。
by japanbujutsu | 2013-06-22 20:27 | 技法研究の部屋 Skill
居合術において座して大刀を差すこと

どこの道場や大会に行っても必ず、話題になるのが、居合術の想定。

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                              影山流居合術

すなわち、座して大刀を差すことが、江戸時代の武家社会において実際にあり得たことなのか。

常識的には、そして普遍的には 「ない」 という解答でいいだろう。

だから当然、殿中居合などというものは存在しない。

居合の眼目は、いかに速く刀を抜いて敵の攻撃に対処するかにある。

そのためにはもっとも動きにくい姿勢、すなわち正坐や安座から抜く稽古が便宜上成立したわけである。

座敷で大刀を差した者同士が、膝をつき合わせて座るなんて想定は現実にはあり得ない。

武術は、その技術の難易度を高めるために、日常想定されない状況下での稽古を行う。

そもそも大刀を差している者に短刀で切り掛かるなどという想定もおかしい(林崎夢想流)。

江戸時代の武術は武芸であり、教育であることをまず念頭に入れなければならない。

学校の授業だって、世の中の生活に直結しているのは実技科目だけである。

それでは、日常生活では使いものにならない教科をなぜ学ぶのだろう。

学問はその学ぶ過程にこそ人間的成長を見出す意義がある。

だから武術ほど現実離れしているものはない。

鎖鎌や十手、二刀などは実戦で使用された記録は皆無である。

その実戦で絶対的に不利である道具をどこまで使いこなすことができるか、そこに武芸教育の意義がある。

だから江戸時代の武術ほど即戦力に欠ける戦闘技術はないのである。

武術は武士教育、そして人間形成の道なのだから。

場合によっては一人前に使えるようになる(免許皆伝)まで十年も二十年もかかる。

だから即戦力を求めたヨーロッパ社会には、日本武術のような長い修行を必要とする稽古事は発達しなかった。

しかし、今、欧米の文化人はその長い修行を必要とする日本文化に魅力を感じて、日本まで修行にやってくる者も少なくない。

だから、武士が殿中で大刀を差すことなどありえないことで、これは武術の世界にだけ存在するものであることを知るべきである。

そして、居合の稽古・演武においては二刀差しにする必要はまったくない。

武士なのだからと演武で脇差を差している者を見かけるが、何回も言うように、武術は日常の生活規範からはまったくかけ離れて存在するものであり、むしろ居合の稽古は大刀の一本差しで行うのが正しいと言える。

なお、武士が城中での勤務を離れ、町屋でくつろぐときには大刀を差したままでいることもある。
by japanbujutsu | 2013-06-16 18:30 | 技法研究の部屋 Skill
居合演武における下緒の扱い

明治から昭和にかけての居合の名人中山博道が伝えた長谷川英信流、無双直伝英信流、夢想神伝流、夢想神伝重信流、その他・・・・。

現在の居合人口を見ると、間違いなく、その九割以上はこれらの流れである。

明治時代の大日本武徳会の戦後の組織が今の全日本剣道連盟になっている。

武徳会も全剣連もその最高権威は中山博道だった。

だから五月の全剣連主催の京都大会で居合を演武する人たちは、皆全剣連の高段者であり、当然のようにここで演武される流派の九割以上が中山博道の流れである。

ここで演武をされている方々の下緒が、演武中どのようになっているか。

ほぼ全員が下緒を袴の前帯に挟んでいる。

何のことはない、中山博道の真似をしているだけである。

驚いたことに、中山博道に関係のない僅かな人たちでさえも下緒を前帯に挟んでいる。

写真左は中山博道、右はその師匠の一人細川義昌。

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中山は下緒を前帯に挟んでいるが、細川は下緒を外している。

結果から述べると、下緒を前帯に挟むという作法は今のところ江戸時代の文献では確認されていない。

権威というのは文化までも抹消してしまうらしい。

幸いなことに、筆者が学んだ居合の流派はすべて鞘に掛けて垂らしておくだけである。

本来は正しい作法が少数派になってしまうと、それが不作法になってしまったりする。

恐ろしいことだ。

こんなことになってしまうと、古流も何もない。

ここに江戸時代の居合伝書の絵図と仙台藩伝影山流を明治時代まで伝えていた天野古弘の写真を紹介する。

絵図の下緒は垂らしたまま。

影山流では鞘にぐるぐる巻いている。

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これが古流の真の姿である。

居合を稽古する人たちには古伝をもっと研究してもらいたい。
by japanbujutsu | 2013-05-14 23:17 | 技法研究の部屋 Skill

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