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国際水月塾武術協会 International Suigetsujuku Bujutsu Association

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本会が伝承している武術流派と古武道全般の技法・歴史・文化などを解説します。文章・記事・写真の転載は固く禁止します。

カテゴリ:関口流抜刀 Sekiguchi ryu( 36 )

関口流抜刀には介錯の伝が詳細に伝えられていて、これが諸流の居合や山田浅右衛門を初めとする試し斬りに大きな影響を与えている。

いわば介錯の源流的な存在でもある。

その中に首の皮一枚を残して斬る介錯の方法が伝えられている。

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その方法の詳細は一切口伝となっているため、画像での紹介に留めたい。

本来はもっと浅い角度で斬る。
by japanbujutsu | 2014-10-07 17:42 | 関口流抜刀 Sekiguchi ryu
関口流先師祭 Sekiguchi ryu festival for each generation masters.

『肥後武道史』に大変貴重な「関口流先師祭」の記録が掲載されているので、ここに再録しておく。

昭和七年七月、関口流居合術先師祭を熊本市島崎町木村好古氏邸道場において執行したことがある。大石永勝、木村好古、小阪五郎、西郷亀藤太諸先輩をはじめ、門人多数出席。流祖礼拝、記念撮影の後、八十一歳の高齢木村好古氏より講話あり。居合術の実演に移り、少年組を終りて林田季喜、杉本辰男、匂坂正義各氏の抜刀あり。最後に木村好古氏高齢の故を以て青木規矩男氏代わって流儀十一本の型及び試切介錯の型あり。用刀は木村氏の愛刀越前守助広にして見事なる切れ味を見せ、高弟門弟の諸氏は坪井米屋町宗岳寺にある肥後流祖井澤蟠龍先生の墓参をなした。因みに当時、関口流師範の伝統を継げる人は大石永勝氏であった。

青木の関口流相伝履歴は、昭和6年介錯相伝、昭和8年目録相伝、昭和19年免許皆伝師範相伝となっているので、昭和7年は介錯相伝を受けた翌年であり、このとき大石門ではすでに青木より上位になる門人がいなかったことをこの記録(青木が最後に演武)が証明している。最初に演武している三氏はその後、相伝の記録を欠いているので、免許には至らなかったのであろう。

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演武写真は青木による関口流抜刀術十一本の最後の形「巡懸切留ノ事」 。最初の敵を突き刺す前の体勢であるが、尻が踵に乗っている。なぜか現在、この体勢と同じように演じている人たちがいない。皆、尻が上がって腰が伸びてしまっている。古伝の困難な動作はこのようにして容易な動作に変換され、古流の真の動きが失われていく。
by japanbujutsu | 2014-08-12 17:17 | 関口流抜刀 Sekiguchi ryu
関口流居合 古伝の目録

関口流元祖関口柔心が立てた居合は、その母体となった林崎夢想流を改編したもので、理合そのものは古伝を墨守した。
そこで改編された形は、居合十一本、立合五本で、柔術と両立てで指南した。
後世、関口流は各藩で指南されたが、居合が十六本だけでは体裁が悪く、さまざまな形が付加されていく。
当初、居合は袈裟切りだけで構成されていたが、初代渋川伴五郎によって袈裟切りは正面切りに変えられた。
その理由については未だ確証を得ていない。
さて、その古伝の十六本はすでに紹介したが、ここに珍しい伝書がある。
流派名の記載はないが、これが関口流であることは、関口流の修行者であれば一目瞭然である。

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偉合
一前向        二本
一右向 ソリ打トビチガエル
一右向 初メ同断
一左向 左ノ足ヲフミ込中トヲヲサエトビチカヘル
一左向 初メ同断
一前向 中トヲヲサヘ前エススム跡ヘサカル先ニテトブ
一前向 横ヘ払ヘトヒチカエル
一前向 中トヲヲサヘ跡ヘヒク
一右向 ウシロヲツクトヒチカヘル
一左向 中トヲヲサヘ二度トヒチカヘル

これを本来の目録に照らし合わせると、

一前向の二本は「左剣」「手拍子」
一右向は「青柳」
一右向は「篠露」
一左向は「雲井」
一左向は「恋剣」
一前向は「流星」
一前向は「横雲」
一前向は「小明松」
一右向は「下藤」
一左向は「車返」

となる。
by japanbujutsu | 2014-06-03 17:25 | 関口流抜刀 Sekiguchi ryu
関口流抜刀の座法

関口流の坐り方は柔術も居合も同じで、膝を大きく開き、左足は尻下に敷き、右足は前に抜いておく。

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                            関口流の座法(青木規矩男)


両足がすべて床に接触するので、非常に安定しているし、裾広がりになるので武家の作法には最適である。
茶人千利休の坐り方もこの方法に近い。
また、後方にそのまま倒れることができるのは、柔術の坐り方としても適している。

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                 形も礼法もこの座法で行う(座者会長、解説者萱間静林師範)



形はこの座法で行うが、礼法を正坐で行ったり、形も礼法も正坐で行ったりしたら、それはもはや関口流ではない。関口流には当然正坐という坐り方は存在しないので、礼法も形もすべてこの膝を大きく開いた独特な安座の法で行うのが正しい。下に掲載した絵目録を見るとほとんど真横に向くまで膝を開いている。

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                     江戸時代に筆録された紀州関口流居合の絵目録

肥後関口流抜刀と同じ系統の庄内藩伝渋川流居合では形の中でも常に両膝を大きく開いていることが伝書から明らかである。

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                           庄内藩伝渋川流居合の絵入伝書



この独特な安座の姿勢から右足を立てて抜刀するのであるが、その右足の立て方を古伝どおりに行っている道場はきわめて少ない。
by japanbujutsu | 2014-05-16 18:10 | 関口流抜刀 Sekiguchi ryu
関口流抜刀の内容

関口流居合本来の形数は、居合十一本、立合五本の計十六本だけである。

しかし、後世、これだけでは武術教授は成り立たず、諸藩では多くの形を付加していった。

元来の十六本の形は以下のとおりである。

居合
 左剣  手拍子  青柳刀  笹露  雲打  恋剣
中段居合
 流星  横雲  小続松  下藤  車返
立合抜打
 八重垣  蟷螂剣  滝流  腰車  一勺抜

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                              紀州関口流の「笹露」


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                            古伝の居合形を解説した伝書



これらのうち、熊本藩関口流抜刀に伝承されたのは、最初の十一本だけである。
そして、その十一本はかなり早い時代に次のように改称されてしまった。( )内は古伝名称。

抜打先之先身之金之事(左剣)
抜打込三寸金之事(手拍子)
左押飛違(篠露)
左抜打先之先(青柳刀)
右冠込飛違(雲井刀)
右抜打先之先(恋剣)
上ケ太刀(乱星)
車剣(横雲)
立刃押切込(小明松)
左留太刀(下藤)
巡懸切留(車返)

十四代青木規矩男は、この十一本の最後に「後抜打先之先」を加えて十二本とし、さらに小太刀五本、懐剣五本、奥之五本を加えて、これを熊本と大分に伝えた。

また、岐阜の亀谷鎮は八重垣、蟷螂剣、滝流、腰車、一勺抜の五本、袖抜三本、さらに多くの立合・居合形を加えて、流儀の大成化を試みた。これらは現在、静岡県の駿河館が継承している。

これらの改編はいつの時代も達人たちによって行われてきたことであり、流儀の伝承に関して何ら問題のあることではないが、同じ流儀でありながら内容に統一性を欠くために、各派で対立が生じているのも事実である。

改編の例として、例えば彦根藩では、次のように増補がなされている。この系統からは後に藩主井伊直弼が傑出し、新心新流を創始している。

居相表之次第
 左剣  無布施経  青柳刀  手拍子  篠露  恋剣  雲井刀 太刀打之大事
中段
 乱星  横雲  小明松  下藤  車返
四之表
 百花剣  涼風剣   秋月剣  冬雪剣
四ッ之裏
 風露剣  濨衣  生死還  北心剣
立相
 乱左剣  行違  十字  重字剣  心明剣

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                          彦根藩伝新心流居合絵目録

by japanbujutsu | 2014-05-14 15:34 | 関口流抜刀 Sekiguchi ryu
関口流抜刀の歴史

関口流の祖は、江戸時代初期の人、関口柔心氏心。柔術と居合両建ての流儀。剣術や槍術、棒術なども後世に付加された。和歌山の関口本家では、関口新心流と称し、現在は県の無形文化財に指定されている。

流祖柔心は幼より武術に天稟を発揮し、諸国修行を修行して居合の始祖とされる林崎甚助から居合を学び、また三浦与次右衛門から組討を学んで自ら創意を加え、「柔術」を大成したと伝えられる。後世この徒手武術の呼称として普遍化する 「柔術(やわら)」の語は、関口流が嚆矢である。紀州藩主徳川頼宣に客分として召し出されて以降、和歌山藩に伝承し、後世その支流分流は全国諸藩に及んだ。

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                               流祖関口柔心氏心


柔心の長男関口氏業が二代目を相伝し、父柔心と同様、全国に広く門人を有し、江戸では松代藩主真田幸道、渋川流の祖渋川伴五郎義方などに教授した。文武に長じた識者であり、紀州藩に帰参後は寺社奉行などの要職に就いた。

当協会で伝承する関口流は抜刀(居合)専科の熊本藩に伝承された系統である。

熊本藩関口流抜刀の初代は肥後熊本藩士の井澤蟠龍子である。名は長秀、通称は十郎左衛門という。寛文八年(1668)の生まれで、江戸で山崎闇斎に垂加神道を学び、さらに国学・儒学を究め、博学として知られた。享保十五年(1731)死去、享年63歳。著作に『広益俗説弁』『武士訓』などがある。
幼より武術に励み、江戸在勤の折りに渋川伴五郎義方に入門して免許を受けた。自らは柔術も修めたが、熊本には抜刀の伝のみが残った。稽古には三尺三寸の刀を用いたと記録にあるから、関口流の古伝を踏襲したことは事実である。しかし、歴代相伝者のだれかが伝統の目録を全部変えてしまい、古伝の名称は残らなかった。
歴代相伝者の系譜は次のとおり。

初代 関口柔心氏心(名前に諸説あり)
二代 関口八郎左衛門氏業(肥後伝では実親)
三代 渋川伴五郎義方
四代 井澤十郎左衛門長秀
五代 井澤十郎左衛門長勝
六代 井澤政右衛門長明
七代 大里右金吾惟翰
八代 井澤十郎左衛門長保
九代 井澤勘兵衛長常
十代 谷久左衛門永勝
十一代 匂坂平左衛門正常
十二代 谷十三郎永質
十三代 野田甚内氏種
十四代 大石永勝
十五代 青木規矩男久勝
十六代 亀谷鎮成久
十七代 萱間静林
現在、萱間の門人にご子息の萱間勝秀、小佐野淳会長、大阪の西村悟その他がある。

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                        十五代青木規矩男 達人の域に達した

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         十六代亀谷鎮 青木の台湾在住時代からの門人で、もっとも長期間にわたって師事した



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                        萱間静林現師範 関口流抜刀術駿河館々長



なお、代数に関しては、肥後藩伝では二代目の関口氏業(実親)を初代として数えているため、伝書では青木を十四代としている。
また、現在流裔は熊本、大分、福岡、岐阜、愛知、静岡、東京に及び、また和歌山の関口本家、岡山の富田派などが現存している。
by japanbujutsu | 2014-05-12 13:46 | 関口流抜刀 Sekiguchi ryu

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