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国際水月塾武術協会 International Suigetsujuku Bujutsu Association

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本会が伝承している武術流派と古武道全般の技法・歴史・文化などを解説します。文章・記事・写真の転載は固く禁止します。

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天下無雙流捕手大目録

戦国時代の末期、全国各地に捕手術という徒手武術が萌芽した。

一般にはその一つ竹内流捕手腰廻が有名で、柔術の源流と目されているが、実は同時代にいくつかの捕手術が各地で確認されている。

その多くは「無雙流」あるいは「夢想流」と名乗るもので、江戸初期には全国諸藩に拡流している。

今回はその一つ、天下無雙流に伝わる捕手大目録を紹介する。

天下無雙流。創流は天正十一年十一月。出羽国秋田郡日山庄に摩利支尊天が老翁に化して現れ、数十箇条の捕手、その他無比無類の兵法を櫻場采女正に伝えた。

本形は三十五箇条からなり、多彩な道具を伝えている。

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雲流見 満力 夜幕 無明 千力 千人力 虎助 大拭 縄 手棒

この流儀は後に九州肥前佐賀に伝承したが、明治初期の教育改革ですべて消え去った。

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by japanbujutsu | 2013-01-26 16:07 | 秘伝書の部屋 Secret densho
神道無念流と警視流

明治時代に制定された警視流居合の二本目に神道無念流立居合から採用された「無双返し」の形がある。

神道無念流に後方の敵を振り返って斬る形は三本目しかないので、その三本目が採用されたことになる。

今、神道無念流の伝書からその三本目の形を抜粋してみる。

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第参
右足より三歩進み、左肩より後を見、左へ廻りて右足を踏み込み、抜き付け、左足より進んで右足に斬り、霞んで左足を進めて右足を開き、右方の敵首を斬る


警視流無双返し
右足より前進中、右足が付くとき、廻れ左をなし、右足を出すと同時に刀を抜き、右上に切り上げる(左手は柄を握る)。左足を進め刀を左から頭上に廻して右足を出して正面を斬る。左足を前に出して上段に構え、残心。以下納刀所作略。


警視流にはこの最後の肝心な首を斬る動作が抜けている。警視流は五本の形をすべて同じ理合にしてしまっているため、古流のそれぞれの特徴が薄れてしまっている。神道無念流は抜刀や納刀の所作まで採用されているため、まだ良いと思うが、他の四流儀はまったく原形を保っていないのではなかろうか。
by japanbujutsu | 2013-01-19 22:44 | 神道無念流居合 Munen ryu
無双直伝楊心輭殺流鉄刀伝

無双直伝楊心輭殺流は、もちろん楊心流柔術から分派した流儀で、肥前国一帯に分布した。古伝の柔術は墨守しながらも、多くの付加伝を増補して、流儀を充実させた。

今回紹介する「鉄刀」もその一つ。

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伝書を見ていただくとわかるように、普通の鉄刀と違って反りはなく、鈎無しの棒十手の形態となっている。

緒(手貫紐)は「白と紫を打ち分け」とある。

古来、白と紫は洋の東西を問わず、もっとも高貴な色とされてきた。今の柔道や空手が級レベルの子どもたちに紫帯を締めさせているのは、まったく理解に苦しむ。現代人はもっと伝統文化を勉強した方がいい。冠位十二階の時代から紫は最高位に位置する色として用いられてきた。

ちなみに有段者が締める「黒帯」の黒は、これも洋の東西を問わず、悪の色として使われていることは周知の事実である。極悪人名簿を「ブラックリスト」という。
by japanbujutsu | 2013-01-19 22:12 | 秘伝書の部屋 Secret densho
新免二刀流剣術
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昭和の前期、千葉県に二刀流で試合をする老剣士がいた。

五十嵐一隆二刀齋治近(右写真)。

流儀は新免二刀流。

宮本武蔵の流れを汲む越後伝の二刀剣術である。

宮本武蔵はもちろん、竹刀で試合をしたわけではない。江戸時代後期、剣術家の間で全国武者修行が流行したとき、二刀流を使う剣士たちが二刀での試合方法を確立したのである。

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                江戸時代の二刀による試合の様子を描いた『武術絵巻』

競技武道は一定のルールのもとに、公平な条件で試合をするのが大原則である。その中で、なぜか剣道における二刀だけが、このルールを犯している。二刀が一刀より有利なのは自明の理。小刀で間合いを詰め、通常より長く持った大刀で打ち込むのだから、普通に試合を行えば負けるはずはない。間合いにおいて絶対的に有利なのである。

さて、その新免二刀流。昭和三十八年に会長の師匠荒関富三郎が継承し、失伝が免れた。

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                       新免二刀流の秘伝技「くの字打ち」

世は平成となり、後継者のなかった荒関に会長が入門した。徹底したマンツーマン指導で平成五年、兵法天下一二天一流とともに免許皆伝を受けた。

当時形がなかった新免二刀流の試合剣術から、会長はその粋を結集して「新免二刀流剣術二十三勢法」の形を抽出し、荒関の検証を受けて古流武術としての体裁を整えた。

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                 会長が荒関師範より授けられた新免二刀流免許皆伝状

二天一流の高腰におけるゆっくりした長い動作に対して、新免二刀流は出会い頭の一撃で勝負が決する極めて迅速な技法を特長としている。

国際水月塾武術協会では、二天一流と新免二刀流の両流儀を合わせて教伝している。

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by japanbujutsu | 2013-01-11 21:57 | 兵法二天一流 Nitenichi ryu
警視流居合

警視流居合は全て「立居合」で行う。

明治の西南の役で警視庁抜刀隊が活躍できたのは、その立居合の賜といわれている。

明治18年、殉職警察官の鎮座祭に奉納武道大会が開かれ、その時に警視流居合が木太刀の形と共に奉納された。

警視流居合の創始者は、幕臣広瀬廉、同上田美忠、水戸藩士小沢宣、佐倉藩士逸見宗助、長岡藩士雨宮真三郎の5人で、それぞれより1本ずつ採用した。

他の古武道と違って相伝制を敷いていないため、警視庁で広く教授されたが、それ故に人によってさまざまな形に変化していった。しかし、概ねは大同小異である。

形は

一本目 前腰 浅山一伝流
二本目 無双返し 神道無念流
三本目 回り掛け 田宮流
四本目 右の敵 鏡心明智流
五本目 四方 立身流

五本の形は元々立居合しか存在しない神道無念流の影響が強く表れており、神道無念流を学んだ者であれば簡単に習得できる。なお、神道無念流には元来、形に名称がないため、「無双返し」という名称は編成の便宜上付けられたものであろう。

水月塾では神道無念流の修行が進んだ者に心得として学ばせている。

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                     本会指導員伊藤統英氏による警視流演武
by japanbujutsu | 2013-01-04 17:22 | その他の流儀 Others
日本伝嘉納流投之形初目録

今となっては極めて稀少な『日本伝嘉納流投之形初目録』を紹介する。

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柔道は、嘉納治五郎が明治15年(1882)に東京下谷北稲荷町(現在の台東区東上野)にある永昌寺で指導したのが始まり。大学を中心に「精力善用」「自他共栄」という理念を以て普及。官の組織・方式によって全国に普及していく。

しかし、明治の中期、まだ講道館柔道を古流と同じ方式で教授していた人がいる。

馬場帰誠齋七五郎宗起。経歴は省略する。明治23年、まだ講道館に黒帯が二十人足らずだった時代、すでに馬場は二段だった。名人永岡秀一は岡山の起倒流野田道場で、彼にたたきのめされて、講道館に入門した。

この伝書が差し出された明治28年(1895)は大日本武徳会が創設された年である。伝書の書式は全く古流に則っており、彼が何らかの古流を学んでいたことは想像に難くない。ここには講道館という言葉が全く使われておらず、「精力善用」「自他共栄」の言葉もない。嘉納によって創られた講道館用の造語は一切書かれていないことがわかる。

ついでに書くが、「ウィキペディア」に次のようなデタラメな記述が出ている。

「体の弱かった嘉納治五郎は当身技・固技に優れた天神真楊流柔術を福田八之助、磯正智に学び、後に投げ技中心の起倒流柔術を飯久保恒年に学んだ。それらを独自の理論で整理、体系化を図り、「道」は根本で「術」はその応用である、という考えから「術」ではなく「道」を講ずるところとして、名称を「柔術」から「柔道」と改めた。」

以下のように書き改めた方がよい。

体が人並みで健康だった嘉納治五郎は投技に優れた天神真楊流柔術を福田八之助、磯正智に学び、後に捨身技中心の起倒流柔道を飯久保恒年に学んだ。それらを基にし、古流の乱捕理論を採用して再編化を図り、起倒流柔道から「柔道」の用語を採用した

一部を見てもこんな認識であり、とにかく講道館柔道の歴史記述は何を見てもデタラメである。これは誰が何と言おうが、訂正しなければならない。


今ここに、その一つの例を示す。これは三州吉田藩に伝承した一心流柔術の伝書である。この柔術には、すでに講道館柔道でいうところの「自然本體(体)」「自護體」の教えが「乱捕悟ノ口伝」として伝えられていた。それは伝書に「一體 半躰(体)」「足裏半強」と書かれている。一心流の乱捕が制定されたのは明治二年の二月。武士はまだ髷を結っており、大小差しで、ほとんど幕藩体制を引きずっていた時代である。嘉納が持っていた独自の理論とは一体何であろうか。

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by japanbujutsu | 2013-01-03 17:35 | 秘伝書の部屋 Secret densho

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