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国際水月塾武術協会 International Suigetsujuku Bujutsu Association

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本会が伝承している武術流派と古武道全般の技法・歴史・文化などを解説します。文章・記事・写真の転載は固く禁止します。

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『天真正飯篠目録』

天真正飯篠目録とは変わった名称の伝授巻である。流派や術目が巻題にはないが、もちろん神道流の伝授巻である。

天真正というのは、流祖飯篠長威斎が香取の神に祈願した際に現れた武の神のこと。

飯篠家の五代目くらいまでの神道流は槍と長刀(薙刀)が主体であった。江戸時代になって世が平和なってから剣や居合が整ったのだろう。

ISBAで伝承している穴澤流も神道流の初期の分派であるが、薙刀を主体としており、剣術や居合は伝承していない。

さて、この伝授巻には豪華な槍術の図絵が描かれている。

相伝は四代目の飯篠左衛盛久(『武芸流派大事典』では盛久を名乗るのは八代目になっている)から頼家、さらに山口家へと続く流れであるが、何藩に伝承した系統かわからない。

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by japanbujutsu | 2013-02-28 21:54 | 秘伝書の部屋 Secret densho
大阪伝渋川流柔術

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江戸の渋川家に伝えられた渋川流柔術は、明治時代に実質的伝承は絶えた。一般には単に渋川流といったが、正式には「関口正統渋川流」といい、関口流の古伝を墨守して伝えた。失伝したのは何とも残念で仕方がない。したがって、現在、その渋川流柔術を継承している人は皆無であるが、筆者が甲州伝の渋川流柔術を伝書から復元している。

一方、流祖澁川伴五郎について修行を重ねた広島藩森島求馬勝豊は、免許皆伝を得て同藩にこれを伝え、数多くの家臣に渋川流を教えた。しかし、この渋川流は他流から形を持ち込んだもので、渋川流古伝の業は全く残していない。ウィキペディアにはこの渋川流が難波一甫流の影響を受けたとあるが、そのような史実はなく、現在その母流儀は分かっていない。従って、渋川流というのはその名称だけを名乗っているのであり、本家の渋川流とは全く異なる武技体系となっている。

広島の渋川流はその後、明治に至り、大山善太郎正勝によって大阪に伝えられた。現在、関西に伝えられている古流柔術は、その多くが創作されたものや、変質が激しく、また流派内での反目も多いと聞いている。しかし、この渋川流は、そのような関西の古武道界にあって、昔からの稽古体系・様式を崩さず、古流の趣を保持した貴重な流儀の一つであり、紀州関口流と並んで健全に継承されている流儀である。

一つだけ重要な点を指摘しておくと、この渋川流では流祖を「渋川伴五郎代喬」としているが、これは歴代相伝者のだれかが誤読をしたもので、正しくは「渋川伴五郎氏喬」である。「代」と「氏」は崩すと似た字体となるために誤読をしたのだろう。この「氏」の一字は明らかに関口家から踏襲したものである。

今回、紹介した伝書は昭和の戦前に発行されたもので、人体急所図の面白さから入手した。流儀の益々の繁栄を期待したいと思う。

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by japanbujutsu | 2013-02-26 20:51 | 秘伝書の部屋 Secret densho
起請文のこと

起請文とは入門や免許伝授に際して流儀の掟を厳守することを師範、そして日本国中の神に誓うことを示す一枚証紙である。内容は流儀によって多少の違いはあるが、大抵は流儀の内容を他見他言しない、他流を誹謗中傷しない、などの条項が列挙されている。

門人が師匠に差し出すものであるから、署名(授受)は普通の免許皆伝巻などとは逆になる。

ここに紹介するのは、幕末の仙台藩において武術指南としては最右翼だった手裏剣の名人今野元三郎に門人の栗村助三郎が安政三年に差し出したものである。

流儀は香取真魂流飛刀術手内剣追加 中段真月流手裏剣。

三ヶ条の条目が記され、最後に、

右三ヶ条於相背者当流鎮守外日本六拾余州大小之神祇眼前に可蒙御罰者也依神文如件

とある。

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今の競技武道とは、その心構えからして大きな差異がある。古流の道場でもこのような起請文を差し出して血判を行う道場がどれほど残っているのだろうか。
by japanbujutsu | 2013-02-24 22:17 | 秘伝書の部屋 Secret densho
演武における捕と受

古流における演武では上級者は必ず受(攻撃・敗者)を行い、下級者は必ず捕(防御・勝者)を行う。

だから師範は必ず攻撃側となり、弟子は師範に勝つ防御側を演ずるのが鉄則である。

武術は弱者が強者を倒すのが大前提。

現代でも剣道では必ず師範は打太刀(攻撃)を行い、弟子や下級者が仕太刀(受けて勝つ側)を担当している。

ところが、徒手武道はどうだろう。

空手の師範が演武で弟子を蹴り倒したり、合気道で男性の師範が女性の弟子をバッタ、バッタと投げている。

強い者が弱い者に勝つのはいじめや暴力であり、武道ではない。師範は弟子を導くのが役目。だから演武では弟子に攻撃を仕掛けて、負ける側を演じなければならない。

筆者はヨーロッパの門人たちに厳しくこの教えを説いている。しかし、最初は理解しなかった。

彼ら曰く「弟子は師範に投げられることを誇りに思っている」。だれがこんなデタラメな思想を海外に広めたのだろうか。

稽古ではもちろん師範は弟子を投げて、その技術を正しく教えることが必要である。しかし、演武は完成した技を披露する場である。弱い者が強い者に負ける当たり前の出来事が武道の本質を表しているのだろうか。そんなことは絶対にありえない。

古流を、そして真の武士文化の教えを知らない現代の競技武道を指導する者が、誤った方法を検証もせずして盲目的に踏襲するから、世界にまで日本武道の誤った思想が流布してしまっている。

これを是正していくのは容易な作業ではないが、少なくとも我が協会だけは正しく古流の在り方を教え導き、徐々にでもその正しい方法論を認識させていくことを目指したい。

彼らも、最近になってようやくそのことに理解を示すようになってきた。

これからまだまだ正していかなければならないことがたくさんある。
by japanbujutsu | 2013-02-24 01:06 | 武術論考の部屋 Study
忍術は武術ではない!

ヨーロッパの都市に行くと、たいてい忍術の道場がある。

皆、黒い上下の空手着に黒い足袋(時には地下足袋を履いている輩も)を身に纏い、空手とも柔術とも区別のつかない、格闘技を練習している。それは何だと聞くと「ニンジュツ!」「ニンポー!」と返事をする。

そもそも、忍術道場の存在がおかしい。忍術とは諜報、すなわち人知れずに情報収集を行うこと・技術である。だから忍術道場へ通うなどということは「私は忍者です」、「私は忍術を練習しています」と公表していることであり、その時点でその者はすでに忍者ではあり得ない。

また、忍者という身分は存在しない。忍術集団はフリーメイソンと同じ、いわゆる秘密集団であり、自分が忍者であることを誰にも知られてはならないのである。武術を修行している武士が忍者になることも完全に不可能である。

忍者は特殊な場合を除いて、ごく普通に町中で生活をしている。だれもその人物を忍者だとは思わない。完全に身分を変えて、あるいは自分の生業を以て市中に入る。

忍びとして相手の土地に入った者が、他人と武術を以て戦うことなどありえない。

武術流派の内容に忍術が含まれている例がある、などと論じている人たちもいるようだが、筆者はそのような例を知らない。武術の小道具を忍びの武器と間違えているのだろうか。大体、本物の忍びは武器など携帯しない。

服部半蔵を忍者であるとするのは、今に始まったことではないが、半蔵が忍びであった記録など一つも残っていない。後世の創作である。半蔵は初代も二代目も武士である。伊賀者を統率しただけで、彼が武術を稽古した記録などどこにも残っていない。

筆者が住む町には戦国末期、忍者がいた。彼らの本業は富士浅間師職の神官であり、全国に信徒を擁していた。そして全国を旅しながら信徒に御札を売り歩いたから、各地の情報を入手することができた。甲州武田家では彼らを利用して、全国の情報を収集していたことが記録に見えている。彼らはスッパと呼ばれた。日常は神官の姿で、しかも札売りが仕事だから、だれも彼らを忍びだとは思わない。だから忍びになりうるのである。

したがって、○○流忍法など称して格闘技を練習する道場など、江戸時代に存在するはずもなく、入門に際して姓名を書いて血判を行う武術道場に「忍者」がいるわけがない。

もし、明らかに忍者だとわかる服装をして、それがだれかに見つかり、格闘をして負けたらどうなるのであろうか。その忍びを放った主は、取り返しのつかない事態に陥ること必定である。

ここに加賀無拍子流の伝書『水鏡』がある。ヨーロッパではこれが忍術の伝書であると思われているらしい。このブログに無拍子流の別の記事を載せたところ、早速ヨーロッパから『水鏡』に関する問い合わせがあった。
日本では何の反響もないが、遠いヨーロッパでその記事を翻訳して読んでくれている人がいる。何と熱心なことだろう。彼には丁寧に返事を認めてやると、この春、筆者を訪ねてくるという。ちなみに『水鏡』に記載されている事柄は武士の心得である。

日本の文化は全部、外国人に持って行かれるだろう。悲しいことだが現実である。

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                          無拍子流秘伝書『水鏡』
by japanbujutsu | 2013-02-23 17:58 | 武術論考の部屋 Study
偽流儀=捏造武術のこと

世に本物があれば、必ず偽物がある。これは世の常。しかし、それにまんまと騙されて、それが真実だと信じ切って、大切な人生を無駄にしている人たちも多い。

本日は、偽流儀、すなわち捏造(でっちあげ)武術の話をしよう。

現在、伝統の古流武術と見せかけて、実際は昭和の戦後になってから創作された武術がいくつもある。特に東京及びその周辺に多く、全国の捏造流儀の九割以上に及ぶ。歴史が明瞭な地方にはほとんど捏造武術なるものは存在しない。

中国武術では昔から「3年かかって良師を探せ」という言葉があるらしいが、現代の若者には良師も流儀も見極める能力がない。情報過多の時代にあってはなおさらのことである。

本当の伝統武術をやりたくて入門したのはよいが、それが昭和の捏造武術だと気が付くまでには、素人の場合、やはり「3年かかる」。

現代においてこれだけ豊富なメディアが存在していても、事実を隠し通す者はいくらでもいるし、その数だけまた犠牲者もいる。

それでは、正真正銘の古流武術と、捏造武術の見分け方について、いくつかの判断事項を挙げてみる。もちろん、真の伝統流儀であっても一つ位は該当事項があるかもしれないが、ここに掲げるすべての事項をクリアーしていれば、まずその流儀は捏造であると考えた方がよい。

一、先代師範、または現師範に相弟子(兄弟弟子)がいない。
二、明治・大正・昭和戦前の稽古・演武記録や写真がない。
三、今、伝えられている形の名目と同じ名目を記した江戸・明治期の伝書がない。
四、歴代の直筆伝書がどこにもない。
五、戦前までどこに伝承していた流儀か言及できない(系図がある場合、それは決まって武術の系図とは無関係)。


八光流柔術のように昭和になってから創られた流儀であっても、その成立過程を明白にし、開祖奉告祭を執行して新しい流儀であることを公表するのであれば全く問題はない。

しかし、多くの場合、武術の伝統とは全く関係のない家系図や講談本の系図を引用して、それがあたかも武術の相伝系譜のごとく見せかけている。

ここで流儀名を一々挙げるのは、よくないことなので、その判断は各自に任せたい。武術の本家日本に「嘘」があっていけない。今、ここで糺しておかなければ、今後、武術はますます誤った方向に流れてしまう。欧米では最早、その是正ができないほど偽流儀・捏造武術が蔓延っている。

わが協会の使命は、あくまでも真実を伝えることである。
by japanbujutsu | 2013-02-23 12:46 | 武術論考の部屋 Study
古武道に宗家なし

昭和の戦後、古武道の正しい相伝方式を知らぬ者たちが、免許皆伝を受けて次々と「宗家」を名乗りだした。
元々、古武道の世界には宗家というものは存在していない。

宗家は一つの流儀を学ぶ全国の門人を掌握する統括組織の元締め(家元)を意味している。だから華道や茶道には宗家がある。華道や茶道は師範になると弟子を取って指導をすることができるが、宗家から独立することは許されず、弟子の入門から階級伝授まですべて宗家に報告をして、金銭を上納するシステムである(不完全相伝)。だから当然のことながら宗家は一つしか存在しない。

ここまでは理解できたであろうか。

武道でも柔道は講道館(全日本柔道連盟)、剣道は全日本剣道連盟が段位の発行権を独占しており、正に宗家と同質の組織となっている。だから、現代武道を修行する者たちは一度も見たことのない先生の名前が入った段位証書をもらうことになる。自分が普段、通っている道場の先生は何もくれない。

ここまでは理解できたであろうか。

古武道は茶道や華道、あるいは現代武道とは全く違ったシステムを持っている。弟子は免許皆伝を受けるとその師範から独立して道場を構え、独立して弟子を取り、自分で弟子に資格を与えることができるようになる(完全相伝)。武士はある藩で、ある流儀の免許皆伝を受けると他藩に招かれたり、あるいは他藩の者を受け入れたりして武術を教授できるようになる。藩外不出などという流儀は江戸時代に存在した記録はない。一つの流儀がいろいろな藩で教授されていたことは周知の事実である。それらの流儀の師範は皆、それぞれ自分で弟子を育て、自分で弟子に免許皆伝を与えることができる。だから江戸時代の武術には「宗家」はあり得ない。

ここまでは理解できたであろうか。

現代の古武道界を見ると、ものすごい宗家の数である。一つの流儀で、二つも三つも宗家が存在している場合がある。それぞれが勝手に名乗っていることが明白である。免許皆伝=宗家だと思っていることがそもそもの間違いである。宗家を名乗っている者は自分の弟子の中からもたった一人の宗家しか出さないのであろうか。他の免許皆伝を持つ優れた弟子は、師匠が自分ではない誰かを宗家に指名することをどのように思うのだろうか。いくら免許皆伝になっても、宗家でない者は自分の弟子に免許を与えることができない。入門者がある度に宗家に報告をしなければならない。月謝の一部は宗家に上納しなければならない。現在、宗家を名乗っている道場で、もしこのことが正しく実行されていないとしたら、それは実質的に宗家ではなく、ただ宗家を名乗っているに過ぎないのである。宗家を名乗る自分の師匠は、同じ流儀の他の道場の免許を発行しているのだろうか。同じ流儀名の他の道場の師範は宗家の道場に定期的に研修や稽古に来ているだろうか。

ここまで理解できれば、古武道に宗家があることがいかに不自然で、あり得ないことかお分かりいただけたと思う。
正木流の故名和弓雄先生は、この意見に賛同されて、自ら名乗っていた正木流の宗家を平成10年に廃止している。

なお、例外的に江戸時代、江戸で宗家制度を敷いていた流儀が二つある。浅山一伝流と天神真楊流である。この二流は江戸に参勤交代でやって来る諸藩士に指導をしたため、流儀を全国的に組織することが可能であった。しかし、廃藩後、参勤交代も廃止され、江戸では武術も廃れていき、この二流儀の宗家制度は簡単に崩れ去った。

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                  江戸時代に浅山一伝流の家元をなした森戸家の系譜
by japanbujutsu | 2013-02-22 21:34 | 武術論考の部屋 Study

『穴澤流長刀表目録』


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穴澤流長刀(薙刀)は、その伝播を調べてみると、全国諸藩に伝統の根を下ろしており、間違いなく江戸時代の薙刀における最有力流儀であったことがわかる。

しかし、その内容を見てみると、同じ穴澤流であっても藩が異なれば、内容までもが全く異なっているのは、江戸初期にそれぞれが分派し、各藩で独自の工夫が加えられたことによるものと思われる。

現在、伝えられている新庄藩伝と八戸藩伝を比べても全く別流儀の感である。

今回紹介する伝書『穴澤流長刀表目録』は、どこの藩に伝承した系統か不明である。内容には首を捻りたくなるようなことが散見されるが、ここでは触れずにおこう。

最初に裃を着用した二人の武士が、礼法で薙刀と二刀を合わせている。形は太刀合段、長刀合真位、鑓合真位、真位勝、真位、真位勝の各段から構成されている。

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この伝書では、流祖を「穴澤官山」とし、武州河越の住人としている。流系は江戸中期に竹内家に八伝しており、流裔杉七兵衛に至る。伝書は杉から天保十一年に渡辺恵助に授けられたもの。
by japanbujutsu | 2013-02-16 23:23 | 秘伝書の部屋 Secret densho
七座之伝

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武術伝書にこのような絵図が描かれているのは極めて稀である。

この伝書は、明治年間に「広島文武館」で発行されたもので、難波一甫流を母体とした総合武術を教授していた模様である。

平安座 前で手を組む
訓貴座 腿の付け根に手を置く
對貴座 指を前に向けて腿上に置く
臨貴座 股立に両手を入れる
失貴座 片手を脇に挟む
失意座 両腕を組む
無體座 両腕を寄せる

無體座以外は膝を大きく開いて、胡座に近い坐り方をしていることが想像される。その他の区別は手の置き様に拠っている。

何を調べてもこのような座法を解説している文献はない。好著『日本人の坐り方』(矢田部英正著:集英社新書)にも記述は見られない。しかし、これが侍の、そして武家の伝統であり、文化でもある。

後考に期す。

その他、文武館で稽古された形目録が総覧でき、さらに捕縄や胴釈(人体急所図)之伝などが図解されている。

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by japanbujutsu | 2013-02-10 21:56 | 秘伝書の部屋 Secret densho
本邦柔術の最高水準に達した柴真揚流の当身秘伝

江戸時代には様々な流儀で当身の研究がなされたが、古今東西、柴真揚流の水準に達した流儀はない。すなわち日本柔術の当身の研究においてダントツに優れた内容を持つのがこの柴真揚流である。

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一つの形の中においても必ず当身が2~3回入り、最後のトドメは肘当を打ち落とす。凄まじい柔術である。

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この柴真揚流には最高秘伝として「遠当の秘術」が伝えられた。これにもいくつかの種類があり、砂と毒粉を混ぜたものや化学物質を合成して作ったものもある。驚くべきことに柴真揚流では「サリン」と同質の劇薬を考案していて、戦時中に効果大として表彰を受けている。これらの遠当の術は道場を閉め切って、年に何回か実地練習を行っていたとのことである。
by japanbujutsu | 2013-02-03 13:43 | 柴真揚流柔術 Shibashinyô

by japanbujutsu