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国際水月塾武術協会 International Suigetsujuku Bujutsu Association

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本会が伝承している武術流派と古武道全般の技法・歴史・文化などを解説します。文章・記事・写真の転載は固く禁止します。

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江戸時代本歌の「万力」

ここに紹介する道具は柔術で使用するもので、指に嵌めて当身や掌握法に用いる小さな道具である。

この小さな指輪状の道具は一般に 「万力」 と呼ばれているが、制剛流系では 「かくしゅ」 といい、角手・角珠などと書かれる。

古武器研究家の名和弓雄氏はその著書 『忍びの武器』 、その他の著書で 「古文献に、捕手の三道具として、十手、鼻捻、万力の名称があげられている。この万力は、万力鎖の略称である」 と述べているが、これは誤りで、ここでいう万力とは、もちろん今回紹介する指輪状の道具のことをいう。

万力鎖というのは恐らく正木流だけが使っている鉄鎖 (鎖分銅・玉鎖など) の呼称であり、ここで訂正をしておく。

また、名和氏はこの道具の使用法について 「針を掌の内側に向けて指に嵌めて使用する」 と書いているが、これもやはり早計で、外側に向けて敵を突く技術も当然存在する。

今回紹介する万力は三種で、針が一つのもの、二つのもの、三つのものを選んだ。すべて江戸時代に造られた本歌である。

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このような小さな道具は美術的要素に欠けるため、現存するものは極めて少ない。
by japanbujutsu | 2013-05-30 23:16 | 武具の部屋 Arms
楊心流柔術の当身秘伝

日本柔術の当身の教義は楊心流が濫觴である。

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技法においては竹内流や関口流との相互関係があり、ここでは明示できないが、少なくとも楊心流に伝えられた胴釈之伝は楊心流がオリジナルである。

今回、開示した伝書は、胴釈之伝に色々な口伝・秘伝が増補してあり、なかなか興味深いのである。

まず、「殺活楊心流正伝系譜」に、
 
 夫拳法者漢土来邦・・・

とあり、中国からの伝来を強調している。

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そして、後半には遠当之法、すなわち毒薬殺法を解説している。

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現在の日本に武術の研究家は極めて少ないが、少なくとも柔術を研究しようとする者は、この楊心流を徹底的に研究する必要がある。
by japanbujutsu | 2013-05-29 23:00 | 秘伝書の部屋 Secret densho
江戸時代の鍔付き木刀

武具の蒐集を初めて30年が経つ。

稽古道具が好きだから、最初の頃は専ら六尺棒と木刀を集めた。

もちろんすべてが江戸時代のもの。

今では二つの部屋がミニ博物館のようになっており、ときどきアポ無しで海外からわざわざ武具を見に来る者もいる。

これだけはさすがに断れない。

メディアで公開したしたことは一度もないが、どこかで情報を得ているのだろう。

ここではその鍔付き木刀の一部を公開する。

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木刀は長さ・形態・反り・鍔の形状・色合いなどが一本ずつすべて異なり、それがまた時代物のいいところでもある。

中には現在まで伝承されている流儀のものもあるから、流儀が判明するものもある。

木刀は真剣と比べて美術的価値の高いものではないため、旧家では焼却されてしまうことが多い。

こんな木製武道具も大切な日本の文化遺産である。
by japanbujutsu | 2013-05-28 21:28 | 武具の部屋 Arms
宮本武蔵の肖像画を語る

ここに宮本武蔵の二つの肖像画がある。

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服装は着流しに赤の裃で似ているが、姿態と人相がかなり異なっている。

左はスタイルも人相もいいが、右はずんぐりむっくりしており、顔つきが悪い。まるで山賊のようだ。

しかし、ここでこの肖像画を採り上げたのはそんな理由ではない。

彼が両手に持っている大小の刀である。

まるで子どもがチャンバラに使うオモチャのように細い。

筆者はこんな真剣をいままで見たことがない。

それに手が小さく腕も華奢である。

これは何を意味しているのだろうか。

まず第一に考えられるのは、二天一流は力の剣術ではないということ。

そして、実際に武士が腰に差している刀では二天一流はできないということ。

江戸時代の長い歴史の中で、実戦において二刀で戦ったという武士は皆無である。

大体、普通の大小は重すぎて振り回すことはできても、片手で操作することはできない。

日本刀を片手で使えば刃筋は完全に狂う。

こんなことは居合を少しでも稽古したことのある者はだれでも理解できる。

抜刀に迅速さを求めるならば、二刀は完全に不利である。

竹刀剣術による試合が江戸時代半ばから見られるようになったが、これは二天一流とはまったく関係のない動向である。

竹刀と真剣は完全に理合が異なり、特に二天一流の形は竹刀剣術には使いものにならない。

この点において二天一流は完全に他の古流とは観念が異なることがわかる。

ゆっくりした摺り足による直立姿勢での動作、掛け声を長く引きずり相手を気で攻めていく勢法。

これを理解しないと、このまったく不自然な武蔵の肖像画を理解することはできない。
by japanbujutsu | 2013-05-26 13:25 | 宮本武蔵 Miyamoto Musash
一刀に対する見解

現在、伝承されている二天一流は二系統に大別される。

(一) 野田派二天一流
(二) 山東派二天一流
 ※当協会が伝承する二天一流は野田派に属するが、現在熊本に伝承している野田派と区別するために村上派兵法天下一二天一流と名乗っている。

両派ともに流祖宮本武蔵玄信の次代寺尾求馬助信行の流れを汲むが、その次の代から分派しており、その両系統が残ったことは素晴らしいことである。

しかし、残念なことに、この二つの系統は同じ九州にありながら反目を続けており、交流がなされていない。

筆者は今の時代だからこそ、全国の二天一流が一堂に会して演武会を開催することを待ち望んでいる。

さて、本題に入ろう。

山東派は大正期から昭和にかけて、名人青木規矩男により熊本と大分に伝えられた。この山東派には「勢法一刀之太刀」や「勢法一刀小太刀」なる形が伝えられている。しかし、これらの形は宮本武蔵の時代にはなかった。元々二天一流には存在しない形である。兵法二天一流の原形は「五方之形」、これだけである

現在の研究によれば、これらの形は熊本藩伝新陰流からの採用であることが明らかにされている。

武術を藩校の教育として教える場合、流儀の体系がたった五本の形しかないことは、甚だ都合が悪い。二代藩主細川忠利は新陰流の免許皆伝で、晩年の武蔵を招いていることからも、この両方の流儀がその後、藩校で教授される際に、混入したことが考えられる。

泰平な世の中にあって、二天一流だけでは、教授が成り立たないことは、山東派が楊心流柔・居合・薙刀・棒、関口流抜刀などを併伝し、また、野田派が伯耆流居合や当理流小具足などを併伝していたことでもよくわかる。

元来、野田派には五方之形しか存在しないものを、山東派に対抗するためにどこからか一刀の形を持ち込んで、あたかも古伝の如く装飾したり、五方之形しか伝えていない系統を免許皆伝ではないなどと批判をするなど、大変に見苦しい誹謗合戦が行われている。

大体、流祖宮本武蔵は『五輪書』において、「・・・みな片手にて太刀をつかふものなれば、両手にて太刀をかまゆる事、実の道にあらず」と断言しているのであり、一刀勢法を完全に否定している。だから武蔵自身、晩年に創始した二天一流に一刀の形は採用していない。

だから、真の二天一流は「五方之形のみ」である。

筆者は山東派において一刀勢法を伝えているのを批判するつもりは毛頭ない。山東派の人々が野田派を評して「あそこは五方之形しかないじゃないか、それでは二天一流の免許皆伝だとは言えない、云々」と他派を批判する態度が醜いと言っているのである。

松永展幸師範が鶴田三雄師範から学んだ二天一流は何の装飾も増補もない、純粋な五方之形そのものであり、その形は荒関師範から会長に一点も崩さず、伝承されている。

松永展幸が伝えた二天一流は現在、熊本に伝えられている野田派二天一流とは、形・趣・速さ・姿勢のすべてが異なっている。

以下は松永が示す二天一流の正しい勢法

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by japanbujutsu | 2013-05-26 12:14 | 兵法二天一流 Nitenichi ryu
仙台藩の秘流 剣徳流捕手

仙台藩を代表する柔術の一つに剣徳流捕手がある。

全国的には無名の流派であるが、実は昭和の中頃まで伝承者が存在した。

この流儀が無くなった理由は稽古が厳しすぎたからである。

後方に投げ捨てられた際、頭で受け身を取り、足裏と頭で身体を支えるブリッジの体勢を取る。

そしてクルリと反転して俯きに返り、サッと起きあがる。

首の強健さが要求される上に、頭をゴザに擦りつけるため髪の毛がどんどん抜け落ちる。

これでは若者は近寄らない。

いつしか修行者も絶え、失伝した。

流儀の内容に「立合 三十六箇条」があるが、これは真極流や浅山一伝流など、他の仙台藩伝柔術と同じ取り口である。

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これに居取六箇条を修めた後、三格位を学び、当身の伝を受ける。

道具は十手(九寸と一尺二寸)・手之内(四寸)・万力(指環)・打玉(鎖分銅)・捕鈎・六寸縄がある。

この伝書は仙台藩屈指の達人である山崎半也郷誼が天保十五年に差し出したものである。

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山崎は大征流捕縄の祖でもあり、多くの流儀に達した。

墓は仙台市の保春院にあるというが、筆者が訪ねたときにはすでに無かった。
by japanbujutsu | 2013-05-25 20:17 | 秘伝書の部屋 Secret densho
田中藩の制剛流俰(柔術)

ここに『田中藩武道史』というたいへん貴重な本がある。

その中に制剛流俰(柔術)が採り上げられている。

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そしてさらに貴重なのは、幕末における田中藩制剛流の修行者たちが、他藩から来訪する柔術家たちとの他流試合の勝敗を記録した資料を翻刻していることである。

嘉永七年(1854)、早川八郎治義利が先代の小池弥右衛門の後を承けて田中藩制剛流の師範に就いた。

早川八郎治は制剛流祖水早長左衛門から数えて十二代目の師範。

早川に師範が変わったときに新たに七十八人の者が入門したというから実力もあったのだろう。

ここに紹介する伝授巻は、その早川が安政三年(1856)に門人の竹田常次に差し出したものである。

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竹田常次は弘化五年(1848)入門、初伝が嘉永三年(1850)、中伝(ここに紹介した俰五身伝)が安政三年(1856)、上伝が安政四年(1857)、皆伝が万延元年(1860)、世話役が文久元年(1861)となっている。

これを見ると竹田は入門から皆伝まで十三年を要していることがわかる。

田中藩制剛流の柔士はあまり強い者がいなかったと見えて、全敗に終わることも珍しくなかった。

しかし、仲間のすべてが負ける中で、ただ一人勝つ者がいた。

竹田常次である。

例えば、安政四年の九月に天神真楊流磯又右衛門の門人坂倉左馬之助が試合に来たときには制剛流側が八連敗した後、最後に試合をした竹田が坂倉を破っている。

また、揚心古流戸塚彦助の門人立川千兵衛が安政六年八月に試合に来たときも、制剛流側が八連敗した後、竹田が勝利している。

記録を残すことは大切である。

目の前に当時の試合の様子が蘇る。
by japanbujutsu | 2013-05-22 21:10 | 秘伝書の部屋 Secret densho
起倒流は総合武術

起倒流は講道館柔道の創始者嘉納治五郎が修行した流派。

柔術(鎧組討)専科の流派だと思われがちだが、元来は総合武術である。

ここに元文元年(1736)に差し出された二代目寺田市右衛門正浄直筆の伝授巻がある。

形名を列挙した目録が起倒流では 『人巻』 となる。

基礎にして本体になるのが 「表裏二十一」 。

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普通、起倒流というと、この二十一本の形をいう。

もちろん、講道館柔道 「古式ノ形」 もこの二十一形。

しかし、古伝では、これ以外にも 「鎧組」 「居合」 「早縄」 「中(当身)」 がある。

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居合は五本ある。

しかし、明治以降にこの居合を伝えていた系統を寡聞にして知らない。

無くなるのはアッという間である。
by japanbujutsu | 2013-05-19 13:20 | 秘伝書の部屋 Secret densho
中学校武道必修は早急に撤廃せよ!

日本武道館が運営する「中学校武道必修化サイト」には、次のように書いてある。

中学校武道必修化の概要
平成20年3月改訂の中学校学習指導要領に、第1、第2学年の保健体育で武道が必修になることが明記され、平成24年度から完全実施されました。それまで、中学校の保健体育で、武道の領域は学年ごとに選択となっていましたが、この改訂により、男女共に全ての中学生が第1、第2学年において武道を学ぶことになりました。第3学年は、引き続き選択となります。

中学校保健体育で武道が必修となった経緯
平成18年12月に約60年ぶりに改正された教育基本法では、教育の目標として「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」が新たに規定されました。その後、平成20年1月の中央教育審議会答申の中で、「学習体験のないまま領域を選択しているのではないか」との指摘と、「武道については、その学習を通じて我が国固有の伝統と文化に、より一層触れることができるよう指導の在り方を改善」することが示されました。これを受け、新学習指導要領では武道を含めたすべての領域が必修となり、武道が「伝統と文化を尊重し……」と謳う改正教育基本法の教育の目標を実現する役割を担うことになりました。

とある。ここでいう「武道」でもっとも採用されているのが練習に一番カネがかからず、道着だけ着用すればすぐに練習ができる柔道であり、よってここでも柔道について論究する。
 (※本来の武道(武術)には「道着」なる用語はなく、「稽古着」といい、また「練習」とは言わず、「稽古」というが、今の現代武道は完全にスポーツなので、ここでもあえて道着、練習という用語を使用した。)

この文章を起草した人間は武道を本当に楽しいと思っているのだろうか。そして、武道をが本当に日本の伝統と文化を表象していると思っているのだろうか。

筆者は東大卒の頭でっかちの役人さんが考えていることなど毛頭納得するつもりはない。

武道が、柔道が、本当に素晴らしく、本当に楽しく、本当に日本の伝統文化を体験できるものだとしたら、中学校で柔道を学んだ生徒がなぜ、高校で柔道部に入部しないのだろうか。

結論から言えば、文部科学省が言う「武道」は「真の武道」ではなく、完全なスポーツであり、しかも身体が大きい者が絶対的に有利な競技である。武道が護身術に有用であるとしたら、身体の大小で強弱が決まるのは誠以て不合理である。

直接、身体と身体が接触する柔道はすべてルールに固められ、弱者が強者に勝つ機会は極めて少ない。体力に劣る者が同じ持ち駒で戦って大きい者に勝てるはずがない。もし、受身だけ教えて試合をさせないのだとしたら、それは柔道ではなく「受身道」である。

試合は競技者双方が同じ条件で戦うのが鉄則である。すでに体力で差があり、一週間にただの何時間かの練習で技もろくに身に付かず、そんな状態で試合をして、果たして体力が無く、闘争心の稀釈な生徒が柔道を好きになるのだろうか。

着物に袴をつけた武士の正装は、まさしく日本古来の伝統ある衣装である。剣道も弓道も薙刀も全部袴を着用している。柔道だけが袴を着けない。現在の柔道着スタイルは武士の正装から羽織り・紋付き着物・袴を取り去った、襦袢と股式だけの「誠にはしたない格好」である。
 (※空手は大正時代に沖縄から本土に入り、昭和三十年代以降大学を中心として普及した後進武道である。現在見られる空手着は柔道着を模して作られた)

裸に柔道着、夏は悪臭が漂い、冬は裸足で鳥肌が立つ。こんな柔道のどこに教育的効果を期待しているのだろうか。こんなものの何を以て「国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」ができるというのだ。

今や外国で一番人気のない武道が柔道と剣道。それを文部科学省のお役人さんたちは知っているのだろうか。知っているはずはない。知っていたら、必修化などというバカなことはしないはず。

日本の本当の伝統武術は、柔術でも剣術でもしっかりと袴を着用し、形の修行を通してしっかりと技術を身につけさせる。試合は絶対にしない。してはいけない。その代わり学んだ形が完全に身に付くまで何度も何度も同じ形の履修を繰り返す。そして早くても十年、ようやく技術が身に付くのである。それが本来の武道の在り方である。

所詮、体育の一環である授業で武道を教えるのは無理。以前の柔道の授業のようにただルールを教えて乱取りをさせる。こんなことで生徒が武道に興味を持つことができるはずはない。

無知な保護者が子どもに礼儀を身につけさせるために、町道場へ送り迎えをして通わせているが、今の武道で礼儀を正しく学ばせることははっきり言ってあまり期待できない。

サッカーや野球だって充分に礼儀を教えることはできる。

以上、簡単に柔道が教育にふさわしくない理由をいくつか述べた。
武道の必修に強く反対する。


中学、高校における柔道事故の死亡者は1983年から2010年の28年間で実に114名にも上る。(名古屋大学大学院:内田良準教授の資料より)
年平均4人以上の死亡者を出すこの数字は、他のスポーツに比べても、突出して高い数字である。

by japanbujutsu | 2013-05-18 17:21 | 武術論考の部屋 Study
一無流柔術の当身禁穴図

一無流柔術とはあまり聞かない流儀名である。

『武芸流派大事典』には一応、名前だけは出ているが、解説が何も書かれていない。

紹介する伝書は当身だけの独立した伝授巻で、人体の正面と背面が図示されている。

完全に中華思想に依っており、禁穴名は漢字一文字で示されている。

金的は「死去禁穴」と記され、技法として「蹴込」と記されている。

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伝授人は遠藤豊治方高。

被授者は嶋屋重右衛門。

授与年月日は延享四年(1747)五月二十五日となっている。

遠藤豊治が流祖だろうか。
by japanbujutsu | 2013-05-17 22:05 | 秘伝書の部屋 Secret densho

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