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国際水月塾武術協会 International Suigetsujuku Bujutsu Association

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本会が伝承している武術流派と古武道全般の技法・歴史・文化などを解説します。文章・記事・写真の転載は固く禁止します。

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江戸時代の鼻捻

江戸時代は戦乱のない平穏な生活が長く続いた。

甲冑・銃砲・槍・薙刀などの武器・武具類は無用の長物と化した。

武術の稽古で使うことはあっても、実戦で使う機会がないまま一生を終えた武士も多かった。

しかし、平和な世に犯罪や悪事は珍しくない。

庶民の喧嘩などは日常茶飯事である。

そこでは柔術や捕縄術の方が剣よりも役に立つ。

そのため、捕縛のためのさまざまな道具が柔術の流儀でいろいろ研究開発された。

鼻捻はその代表的な道具の一つである。

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十手や鉄扇、小太刀などの代用として鼻捻はたいへん重宝された。

現在も柔術の中に伝承されている短棒術や警察の警棒術の原形がこの鼻捻である。

まず、敵や被疑者の攻撃をしても致命傷に到らない安全な箇所を打って戦闘力を殺ぎ、素早く捕縛する。

鼻捻はそのための道具である。

ヨーロッパで講習会をすると、この短棒術はたいへんな好評を博す。

筆者は学生時代に浅山一伝流の短棒(捕手)術を二人の師範から学んだ。

これはわが協会の柔術制定形の中に組み入れてある。
by japanbujutsu | 2013-08-26 19:51 | 武具の部屋 Arms
秦晋桃分色李楊橘合歓

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すでに紹介した武蔵真筆の二行書 「秦晋桃分色李楊橘合歓」。

この文意の調査・研究は難を極めた。

何人かの識者にも聞いてみたりした。

今回は論語普及会事務局の岡野衛様を通じて、同会編集長の山本正進様が調べてくださった解釈を紹介します。

まず訓み下しは、

  秦晋の桃は色を分つれども
  李楊の橘は歓を合する(李楊は合歓橘である)




秦と晋は世々婚姻をなしたから両性の聯姻を秦晋の好しみというが、桃の色が違うようにやはり二つの国として存続した。一方、玄宗皇帝 (李姓) と楊貴妃は、全く一つの合歓橘であり、安禄山の乱で楊貴妃命を絶ち、玄宗皇帝も退位した。よい女性と巡り合わなければ自らを失うことになる。


これを武蔵の思想、人生観とどのように結びつけて解釈するか、これからも研究を継続したい。

ご協力をしていただきました皆様方には心より御礼を申し上げます。
by japanbujutsu | 2013-08-25 17:33 | 宮本武蔵 Miyamoto Musash
知られざる竹内流の分派

古武道がやや復活の兆しを見せた三十年ほど前、大著 『日本柔術の源流 竹内流』 が刊行され、竹内流の全貌がほぼ公開された。

しかし、その歴史に関する記述には誤りや問題点もあり、多くの課題を提示する形となった。

古武道に関する研究者が絶対的に乏しく、出版業界も低迷している昨今、少しずつでも正しい歴史を発表することは重要な作業である。

さて、今回は 「 知られざる竹内流の分派 」 と題して竹内流が陸奥の果てまで流れた話しをするが、これはすでに二十年以上前に発表したことがある。

今ここに 『 至心流之捕手目録 』 と題する伝書がある。

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その序文を見ると、竹内流伝書の序文をそのまま踏襲していることがわかる。

最後の相伝系図の筆頭も竹内藤市郎となっている。

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目録はかなり創意工夫、付加がなされていて、原形を留めていない。

しかし、その最初に記された 「 立合外 」 の五箇条、すなわち、

  腕流 違詰 小手乱 行違 後詰

は、明らかに仙台藩の強大流派、真極流とまったく共通しており、さらに津軽藩の本覚克己流とも同じである。

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詳しい考察は、古流柔術研究誌 『 和儀 』 および日本武芸新聞 『 水月 』 で論述しているため、そちらを参照していただくとして、ここではその流れだけを記しておく。

竹内流は最初美濃に流れて至心流となる。

それが越中へ流れて四心琢磨(多久間)流となり、信州に流れて止心流棒術となる。

東北庄内藩には至心流としてそのまま伝わり、この伝は昭和の戦後まで残ったが、今は絶えた。

庄内藩至心流は奥羽山脈を越えて仙台藩に流れ、これが真極流となり、もう一つの流れはさらに北上して津軽に入り、本覚克己流となるのである。

これらはすべて江戸初期のこと。

竹内流の全国的な広がりがよくわかる。
by japanbujutsu | 2013-08-24 11:14 | 武術論考の部屋 Study
鉄仲流柔術のこと

鉄仲流は剣・居合・槍・薙刀・柔・鎖鎌を含む総合武術である。

流祖は水戸藩士、赤松次郎則之。独歩斎鉄仲と号した。神蔭一刀流の師範でもある。

二代目が鉄叟流を開いた高尾鉄叟。

紹介する伝書は、明治16年の差し出しであるが、「鉄仲流」を称している。

そしてその門下生にも鉄仲流として教えた。

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柔術は『武芸流派大事典』に真心揚流を教えたとあるが、内容から天神真楊流の分派であることがわかり、やはり鉄仲流を称している。

伝書には「報国館」の印があり、高尾が明治時代になってからも報国館・鉄仲流の名称を使用していたことがわかる。

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鉄仲流は昭和の戦後まで東京に伝承されていて、演武会にもよく出場していた。

流儀は現存するが、活動はしていない。
by japanbujutsu | 2013-08-22 21:51 | 秘伝書の部屋 Secret densho
『 柔術剣棒図解秘訣 』 のこと

明治維新後、地方 ( 農村や藩領の周縁部 ) では武術の入門者が激増し、都市部では激減した。

このことを研究や調査もせずに地方も都市部も一緒くたにし、「 日本の武術は明治維新後は衰退の一途を辿った 」 などと平気で述べている人たちがいる。

また諸藩でも城を中心とした武家屋敷に住む武士たちが藩校で稽古していた武術も、藩校の廃絶とともに、そのほとんどが消えた。

参勤交代で全国諸藩から武士が集まる江戸はその最たるもので、明治初期に武術を稽古している者は世間から白い目で見られた。

剣術の江戸三大道場と呼ばれた三流儀の剣術道場も消えるのは早かった。

嘉納治五郎が学んだ天神真楊流でさえ、二、三の稽古場を残すだけとなった。

江戸の他、京都や名古屋も同じ状況だった。

秘伝だ、口伝だ、などと出し惜しみしている流儀は、武術そのものがどんどん消えていく世情だった。

そんな中、明治中期になると、わずかに残った古流の師範たちは、何とか後世に流儀を残そうと、流儀の形を詳細に解説した本を次々と出版していく。

その先駆けをなしたのが、今回紹介する 『 柔術剣棒図解秘訣 』 である。

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発行は明治20年、編纂者は井之口松之助。

天神真楊流柔術の他、荒木流棒術、香取流杖 ( 『 北斎漫画 』 の挿絵と酷似しているため、そのように判断 )、戸田流両分銅鎖、撃剣、捕縄まで解説している。

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就中、天神真楊流柔術の解説は詳細であり、保存に向けての意気込みが感じられる。

しかし、天神真楊流の師範たちは、これを以て良しとせず、さらに詳細に解説した 『 天神真楊流柔術極意教授図解 』 の発行に踏み切った。

古今東西、これほど詳しく形を説明した書籍は存在しない。

当時、形の名人と言われた吉田千春が著者であるから元祖磯又右衛門が伝えた形と寸分の狂いもないものと思われる。

こうした武術解説書に共通していることは、その本を見て、読んで、稽古をすることを門外漢にも奨励していることである。

完全に武術の全公開である。

しかし、本を発行しても、流儀が盛んになることはなく、一部の系統を除いて、全国の天神真楊流は絶えた。

武術が急速に衰退していく時代は三期。

第一期が明治維新後における都市部と諸藩領内。

第二期が第二次大戦後の地方。

第三期が現在で、全国各地。

これは最早、手遅れである。

だれの責任でもなく、日本国民全体の伝統文化や郷土を顧みないその体質がすべての原因である。

そして、そのような国民をつくってしまった政治家と学校教育の責任でもある。
by japanbujutsu | 2013-08-20 22:32 | 武術論考の部屋 Study
幻の居合 山井流

明治維新による武士階級の消滅は、武術衰退の第一期である。

このとき、四国大洲藩に伝承していた山井流居合も世から消えた。

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流祖は岡本伊兵衛。

林崎明神を流祖神に掲げるから、林崎流の流裔であることがわかる。

寛文七年 (1667) に、山井水を汲む心をもって山井流と称した。

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伝書には、居合極意として、

 
 二方詰 脇詰 幻 楊柳 殺活刀

が記され、その後に、

 活溌刀 鉄囲刀

の二箇条が付加する。

今ではすべての形が 「」 となってしまった。
by japanbujutsu | 2013-08-18 13:19 | 秘伝書の部屋 Secret densho
甲冑着用の武術???

甲冑を着用して行う武術のことを「介者武術」、これが剣術の場合は「介者剣術」というらしい。

いつからこんな造語が使われ出したのだろう。

対して平服で行う武術を「素肌武術」、これが剣術の場合は「素肌剣術」というらしい。

これもいつからこんな造語ができたのだろう。

「素肌武者」という言葉を知らないわけではない。

この場合の素肌武者というのは、もちろん甲冑を着用せずに戦場に出る武者のことを意味し、素肌者ともいう。

『盛衰記』に「四国九国の合戦も、素肌武者では手柄が成るまい」とある。

また甲冑を着用している兵士を介者という。

しかし、武術というのは平服になってから発達したものであるから、そもそも介者武術というものはない。

こんなことを書くと、戦国時代にも武術はいくらでもあったでないか、と反論する者もありそうだが、もしそのような愚論を言うのなら、もっと正しい武術史を研究した方がいい。

初期の竹内流は甲冑を着用して行われていたのだろうか、林崎流の居合も当初は甲冑を着用して座したのだろうか、そんなはずはない。

神道流や新当流(卜伝流)でも甲冑を着用した史実はない。

甲冑着用時の戦闘は技術よりも腕力・体力が先行することは周知のことであり、このような戦闘法からは武術は生まれない。

武術は平服を前提としてできている。

だから柔術や剣術の稽古で甲冑着用時の説明をするのはまことにナンセンスである。

曰く、「甲冑の隙間を狙う」のだと。

まずは太刀で敵に大きなダメージを与えてからでないと、甲冑の隙間など狙うことは自爆行為であることを知るべきである。

起倒流鎧組打という特殊な状況下を想定した流儀があるが、これなどは例外に違いなく、普通の柔術の延長上に武士が心得として学んだものである。

現在残っている流派における甲冑着用の武術が江戸時代に実際に行われていたかは大いに疑問である。

では、江戸時代には甲冑着用の稽古は行われなかったのだろうか。

これにも例外はあり、『会津剣道誌』には甲冑を着用して柔術の稽古をしている資料が掲載されている。

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しかし、これらは極めて特殊な例である。

武術は鎧武者時代の戦闘法とは理論・理念が根本から異なり、別なものとして扱う必要がある。

介者剣術だの、素肌剣術だのと言って、原典不明な言葉で偽りの武術史研究をするべきではない。
by japanbujutsu | 2013-08-16 19:54 | 技法研究の部屋 Skill
2013 ハンガリー支部講習会

8月5日から12日までハンガリーの首都ブダペストで武術講習会が開催されるため渡欧した。

講習会の合間にハンガリーの各地、ウィーン、それにブラチスラヴァを観光した。

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                      世界に誇るハンガリーの名窯ヘレンドを訪ねる

参加者はほとんどがハンガリー支部会員で、それにドイツとルーマニアの会員が若干名加わった。

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                         ベルリン支部長、C.シュレーダー氏

講習会後は二時間以上かけて九人の昇段審査も実施した。

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                                昇段審査

国際水月塾武術協会では有段者だけを日本本部の会員にしている。

ハンガリーでは黒帯も多く、試合柔術のヨーロッパチャンピオンもたくさんいる。

若者はほとんどが柔術専門で、高段者は古武道や居合も修行している。

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                               有段者の居合講習

ドイツやルーマニアでは古武道を学ぶ者が多いが、ハンガリーは少ない。

民族性だろうか。

柔術は丸腰で刀も要らなく、安価で修行ができるのも魅力かもしれない。
by japanbujutsu | 2013-08-15 20:37 | 演武会・講習会 Seminar
武蔵筆、もう一つの枯木鳥之画

有名で高価なモノには贋物が多いのは古今東西同じである。

武蔵の書画もどれほどの割合で贋物が出まわっているのだろう。

武蔵の真筆と称するいろいろな絵を見てきたが、同じ絵師による贋物が目立つ。

それがまだ贋物かどうかの判定はプロの鑑定を待たなければならないが、どうも武蔵にしては、絵が粗雑で判も怪しいのである。

今回は、そんな贋物と思われる武蔵の枯木鳥之画を紹介しよう。
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この絵に押されている 「 二天 」 の判はいかにも怪しい。



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以前に紹介した老人二人の絵にもまったく同じ判が見られる。

鑑定を待ちたい。
by japanbujutsu | 2013-08-15 17:14 | 宮本武蔵 Miyamoto Musash
花押の事

花押については拙著において何回か詳説しているので、その種類や特徴についてはここでは触れない。

花押はいわゆる武士のサインであり、「書き判」 とも呼ばれている。

武術の師範は伝授巻の署名において、この花押と諱は必ず書かなければならず、さらに花押には必ず朱印を押す必要がある。

さて、その花押。

形式と同時に様々な講釈があり、作成についてはそれらをよく心得る必要がある。

今回はそれを 『奉極御判形』 から見てみよう。

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これは形式上の分類では、もっともオーソドックスな 「天平地平の明朝体」 となる。

その一画一点に次のような意味がある。

福徳之点 除敵点 住所之点 眷属之点 衆人之点 命之点 運之点 知恵之点

これらをすべてクリアする必要はない。

デザインを考える上で特にどれを意識するかの違いだけである。
by japanbujutsu | 2013-08-11 17:42 | 武術論考の部屋 Study

by japanbujutsu