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国際水月塾武術協会 International Suigetsujuku Bujutsu Association

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本会が伝承している武術流派と古武道全般の技法・歴史・文化などを解説します。文章・記事・写真の転載は固く禁止します。

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花押の作成法則

武士の公式花押(サイン)の作成には決められたデザイン上の法則がある。

実際には江戸時代の武士でさえ、この法則を脱した花押を見ることがあるが、多くはしっかりと法則を墨守して作成されている。
デザインの母体となる基本文字は名前や諱、号などの一文字を使ったり、あるいは自分が好きな文字を使うこともあり、さらには文字ではないものをデザイン化する場合もある。

これから武術の師範になり、花押を作る機会があれば、参考にするとよいだろう。

花押には、次の8つの点が要求される。

一、智恵之点
二、福徳之点
三、除敵点
四、住所之点
五、眷属之点
六、衆人之点
七、命之点
八、運之点

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この8つ全てを入れ込む必要はないが、自分にとって重要だと思う点は、法則にのっとって作成する必要がある。
すくなくても5つ以上は入れたいものである。
江戸時代の武士の花押に「明朝形」(天平地平)が多いのは、この法則に則っているためである。
by japanbujutsu | 2014-08-30 17:02 | 武術論考の部屋 Study
振興社金鷹拳の系譜

金鷹拳の開祖は福建省詔安出身の劉明善(劉炮)である。
清朝の道光八年(1828)に台湾へ渡り、同十一年、雲林縣西螺広興庄に移住して、西螺七嵌の廖一族に儒学と武術を教えた。
劉は福建省の莆田少林寺で修行をしたと伝えられているが、金鷹拳が大陸に伝承されていた記録はない。台湾で劉によって教授された金鷹拳は廖良善から蔡秋風へ、さらに呉幸から陳炎順へと伝えられ、現在会長が六世総教練を継いでいる。

開祖  劉明善 Liú Mingshàn
二代  廖良善 Liào Liàngshàn
三代  蔡秋風 Cài Qiūfēng
四代  呉 幸 Wú Xing
五代  陳炎順 Chén Yánshù
六代  小佐野淳 Osano Jun


筆者は陳炎順師父に約二十年師事し、同時に林茂南老師から拳法を、劉國良老師から拳法・兵器・鼓楽を、饒文正・洪春林老師から拳法・兵器・舞獅を、鄭銅鐘老師から舞獅を学んだ。

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               陳師父没後、総教練となられた劉國良老師と套路の確認をする会長


金鷹拳は団体演練が主眼なので、これら四大部門を残さず伝えなければ、振興社の武術を学んだことにはならない。拳法と兵器のみという考えは北派拳法の慣習であり、個人の修行を重んじる門派の考えである。台湾南部に伝えられている拳法は、中国華南の拳法なので、文化的な思想が北派とは大きく異なる。












by japanbujutsu | 2014-08-27 17:20 | 台湾彰化金鷹拳 Kung-fu
長袴のこと

演武における服装、特に袴について簡単に述べてみたい。

袴には両足を分けてはく馬乗袴と、スカート状に仕切のない行燈袴がある。
武術の演武ではほとんど馬乗袴が使われる。

また、同じ袴でも礼服に用いる長袴(裾を引きずってはく)や、逆に膝辺を紐で縛る小袴などがある。

この小袴は武術の絵目録によく見られ、稽古でも動きやすいスタイルなので、当時はよく用いられていたのであろう。

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上図は股立をとっているようにも見えるが、捲り上げてはいないので、小袴であろう。

しかし、長袴は礼服であるし、こんなものを引きずっていたら武術の稽古などできたものではない。
やはり伝書における描写法の一つなのだろう。

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前回の裸体捕と同じように、伝書に描かれている姿がそのまま稽古や演武で行われた姿態ではないことを知るべきである。

なお、現在の一般に使われている武道用の袴は、江戸時代のそれよりも股立ちが非常に小さい。
昔の袴は股立が膝のすぐ上のところまで空いている。
また、現在、躰道で使われているような細いズボン状の野袴は江戸時代にはほとんど使用されていない。
稽古用の袴でやや細めに仕立ててあり、丈も短めの馬乗袴は稽古に多用され、重宝された(『天神真楊流柔術極意教授図解』の挿絵参照)。
by japanbujutsu | 2014-08-25 17:25 | 武術論考の部屋 Study
裸体捕のこと

柔術におれる裸体捕は極めて特殊な取り口である。
確認できるものとしては、天神真楊流の「崩之事」の段に「裸體捕之事 三手」があり、『天神真楊流柔術教授図解』に載せている。これは、はっきりと裸體捕と明記しているので実伝として稽古されていた例である。しかし、流派は幕末の成立であり、刊本は明治の発行である。原形の楊心流に裸體捕があったかは大いに疑問である。

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最近発売された『秘伝』の記事に、小栗流の固め技を裸体捕として紹介しているのを見て、疑問に思ったのは筆者だけであろうか。参考としている小栗流の文献は公刊本でよく知られている「小栗流和組物之図」であるが、この伝書のどこにも裸体捕という文字を見ることはできないし、小栗流の他の伝書を見ても、裸体捕の目録を見ることはできない。

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これは伝書で形を示す際に用いられる描写法の一つであり、紋付き袴姿で形を描くと四肢の様子がよく分からないため、便宜上、裸体で描いている。特に固め技では手足の絡みが重要であるため、四肢の位置関係がよくわかるように裸体で図示しているだけなのである。第一、武士の習い事に「裸体」という設定があるわけない。

このことは、例えば信州伝無双直伝流和(下図)や弘前藩伝本覚克己流和術の絵伝書を見てもわかるように、平服による柔術形を敢えて裸体で描いているわけである。

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剣術でも同様の伝書を見ることができる。剣術の稽古を何故に裸体で行う必要があるのだろうか。そんなことがあるはずはない。伝書における描写の一方法に過ぎないのである。新陰流の古伝書を見て、「昔は猿が剣術をしていたのか?」と思う人がいるだろうか。

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上図は本覚克己流の「矢倉落」の形である。右手は本来、敵の胸襟を掴んでいるのであるが、形を明確に図示するために裸体で描いている。実際にはこの形は裸体では打つことができない。

あやまった武術認識を世に発信すべきではない。
間違いは誰にもあることなので仕方がない。
要は訂正をすればよいことなので、向後の研究を期待したい。
by japanbujutsu | 2014-08-22 17:54 | 技法研究の部屋 Skill
  『剣 日本の流派』 

セブンイレブンで恐ろしい雑誌が横積みになっていた。
『剣 日本の流派』

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一体、だれがこんな本を買うのか。
という我は、ひどい出版業界の現状を知るために「買ってしまった一人」。

大体タイトルがおかしい。
内容から言えば『日本の剣術流派』だろう。

この雑誌の何が恐ろしいかと言うと、書いてあることがことごとく間違っていて、紹介している内容は一部の系統に留まり、捏造と誤解に満ちている。

拙著が参考文献の最初に挙げられているが、こんなに間違いだらけの雑誌の参考文献になったのは本当にいただけない。
当然、筆者には何の連絡もないし、雑誌の寄贈もない。

装丁とレイアウトがいいだけに残念な雑誌である。
諸氏は絶対にこのような際物雑誌を鵜呑みにしたり、参考にしたりしないように。
by japanbujutsu | 2014-08-21 22:58 | 武術論考の部屋 Study
靖国神社奉納武道大会

昭和四年五月一日、千葉長作を会長とする日本武道会主催の靖国神社春季例大祭・第65回奉納武道大会で、中澤流護身術を演武した五味梅子が優勝した。

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今、その賞状を筆者が所蔵している。

五味梅子は開祖中澤蘇伯と同郷の山梨県人と思われ、翌昭和5年に建設された山梨顯修館道場完成に尽力し、顯修館師範浅井氏から感謝状を与えられた五味清重はその父ではなかろうか。

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千葉長作
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1860-1935 明治-昭和時代前期の武道家。
万延元年生まれ。13歳で全国武者修行にでる。20歳のころ山岡鉄舟に無刀流を学ぶ。甲府に共撃館、横浜に日本講武会を設立。明治40年、矢吹秀一と東京本郷に日本武道会を創立、会長となる。昭和10年1月5日死去。76歳。山梨県身延出身。本姓は地場。号は如山。大正2年、千葉周作の子、東一郎の武門(千葉道場)を継ぎ、自宅道場で多くの門弟を養成した。また、各地で武道大会を開催し、靖国神社で毎年春秋2回の奉納武道大会を開催するなどして、武道の発展に寄与した。しかし、実質的な彼の後継者はいない。
by japanbujutsu | 2014-08-19 17:06 | 中澤流護身術 Nakazawa ryu
微塵(ミジン)

今回は、制剛流(荒木流)に見られる、微塵という道具を見てみたい。
この道具は三つの球形分銅が鎖で連結された道具である。
捕り物具であることは間違いない。

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技法はとうの昔に失伝しており、また使用法を記した文献もないようなので、推測で述べるしかない。
しかし、武具研究家の名和弓雄氏は、「古文献には・・・」 として、次のような使用法を『図解・隠し武器百科』に紹介している。

①手だまりの環に指を入れ、打ち振れば鎖先の分銅三個が敵を打つ。
②分銅一個を握って打ち振れば一尺五寸の長さになり、二個の分銅が敵を打つ。
③敵刃をからめて引き落とし、急所を殴り、敵が遠のけば投げつける。骨砕けて微塵となる。

古文献とはいったいどのような資料であろうか。
示された三例はいずれも自滅行為である。
そのような技を使うのに、わざわざこんな変異な道具は必要ない。
これを信じて戦いに挑む武士は皆無であろう。
命がいくつあっても足りない。
三つ又の鎖は同じ長さなので、一つの分銅を握って二つの分銅を振り回すということはあり得ない。飛ばした分銅が戻って自分の拳を打つこと必定である。
また手だまりの環に指を入れるというのは、さらに難儀な技で、なぜに三つも分銅が必要なのか、まったく理解に苦しむ。紹介した伝書に描かれた図では環に指が入らないから、この技法はあり得ない。

軽く振って投げつけるというのが、妥当のようでもあるが、外れると大事な道具が敵に奪われてしまう。投擲道具は、外れたときに大事な道具・武器を敵に奪われるということを想定しないのだろうか。

識者の意見を伺いたい。

ちなみに、上記伝書に出ているカンナワ(環縄)という道具は、以前にこの項で紹介した特殊鈎無し十手の手貫きと同じものであることがわかる。
by japanbujutsu | 2014-08-16 17:35 | 武具の部屋 Arms
摩利支天像のこと 

真言密教と武術の関係についてはもう30年以上も調べている。
著書や論文などでも何回か拙論を開陳している。
柳生心眼流には修法の一つとして伝えられていたが、筆者はこれを相伝しなかった。
これについては人それぞれいろいろな考えがあるので、ここでは触れない。

さて、その真言密教の本尊とされる摩利支天。
これは大日如来の化身で、甲斐の駒ヶ岳、木曽の御岳など全国の修験道関係の霊地で祀られている。
怨敵や悪魔を退ける調伏の祈願には特に強い力を発揮するので、武士の守り本尊として信仰されていた。
摩利支天の姿は日輪を背にしているためまぶしく、悪魔の目から逃れることができるということから、「隠形」の修法を起こすことができるといわれている。
忍者が登場する映画などで、消える前に印を結ぶのは摩利支天の「隠形」の印である。
タイ捨流では、現在でもなお摩利支天経を唱えてから稽古や演武に入るという。

ところで、摩利支天が白い猪に乗って描かれているのは、摩利支天が疾駆する様子を猪に喩えたといい、各寺院でも猪は摩利支天の眷属であり、智慧の迅速さや勇敢さをあらわすものと説明される。

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しかし、古代インドでは、猪は根本神ヴィシュヌの化身の一つでもあった。
さまざまな姿に変化したヴィシュヌは猪に姿を変え、海に沈んでいた大地を掬いあげたという。

もう一つの画像は摩利支天に似た神像が白狐に乗っている。

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最初はこれを荼吉尼天と考えた。
荼吉尼天は一般に白狐に乗る天女の姿で表されるからである。
手にする物も剣、宝珠、稲束、鎌などである。
しかし、画像はどう見ても天女ではない。
第一、髭がある。

(続く)
by japanbujutsu | 2014-08-14 21:41 | 武術論考の部屋 Study
関口流先師祭 Sekiguchi ryu festival for each generation masters.

『肥後武道史』に大変貴重な「関口流先師祭」の記録が掲載されているので、ここに再録しておく。

昭和七年七月、関口流居合術先師祭を熊本市島崎町木村好古氏邸道場において執行したことがある。大石永勝、木村好古、小阪五郎、西郷亀藤太諸先輩をはじめ、門人多数出席。流祖礼拝、記念撮影の後、八十一歳の高齢木村好古氏より講話あり。居合術の実演に移り、少年組を終りて林田季喜、杉本辰男、匂坂正義各氏の抜刀あり。最後に木村好古氏高齢の故を以て青木規矩男氏代わって流儀十一本の型及び試切介錯の型あり。用刀は木村氏の愛刀越前守助広にして見事なる切れ味を見せ、高弟門弟の諸氏は坪井米屋町宗岳寺にある肥後流祖井澤蟠龍先生の墓参をなした。因みに当時、関口流師範の伝統を継げる人は大石永勝氏であった。

青木の関口流相伝履歴は、昭和6年介錯相伝、昭和8年目録相伝、昭和19年免許皆伝師範相伝となっているので、昭和7年は介錯相伝を受けた翌年であり、このとき大石門ではすでに青木より上位になる門人がいなかったことをこの記録(青木が最後に演武)が証明している。最初に演武している三氏はその後、相伝の記録を欠いているので、免許には至らなかったのであろう。

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演武写真は青木による関口流抜刀術十一本の最後の形「巡懸切留ノ事」 。最初の敵を突き刺す前の体勢であるが、尻が踵に乗っている。なぜか現在、この体勢と同じように演じている人たちがいない。皆、尻が上がって腰が伸びてしまっている。古伝の困難な動作はこのようにして容易な動作に変換され、古流の真の動きが失われていく。
by japanbujutsu | 2014-08-12 17:17 | 関口流抜刀 Sekiguchi ryu
陳炎順師父の没後、師父の御霊前にお参りし、拙著「金鷹拳」を納骨所に奉献した。
そして得意套路を現総教練劉国良老師他数名の教練に示技して、日本総教練の資格を拝受した。

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わが水月塾では拳法のみならず、兵器・舞獅・鼓楽の四大部門すべてを継承し、伝えている。
武術は伝統文化であるから、その一部だけを学んだのでは意味がない。
拳法は単演套路だけでも三戦が4套、揲内が14套、揲外が十数套ある。
使拳・使脚の理論が非常にしっかりしており(現在ユーチューブで黄色のシャツを着て演じている人たちの拳法はデタラメであり、あれを金鷹拳とよぶべきではない)、拳法と兵器の理論は全く同一である。
いつか、時間に余裕ができたら、どこかの団体に本格的な指導をしてみようと思っている。

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金鷹拳を正式に演じるには少なくとも20名の拳士が必要である。
by japanbujutsu | 2014-08-10 21:17 | 台湾彰化金鷹拳 Kung-fu

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