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国際水月塾武術協会 International Suigetsujuku Bujutsu Association

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本会が伝承している武術流派と古武道全般の技法・歴史・文化などを解説します。文章・記事・写真の転載は固く禁止します。

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荒木流居合

筆者がかつて昭和の時代に警視流居合とともに学んだのが荒木流居合である。

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正式に入門して学んだわけではないので、長い間稽古もせずにいたが、門人からの要望で何人かの者に伝授した。
正式に学ぼうと思って群馬の荒木流に連絡を入れたら、居合だけでは教えることができないと言われ、古武道の閉鎖性を残念に思った。その際、筆者が伝承している形の手順を少し話したところ、現在、群馬で伝承している居合(抜剣)の形とはまったく異なるという。実際、明治神宮で演武しているのを見ると、まったく違っている。不思議でならない。筆者の伝も群馬の系統だからである。

居合の名目は、
 落花 千鳥 折返 岸浪 後詰 誘引 筏流、の七本である。

これを筆者が所蔵する荒木流総目録で見ると、
 落葉 千鳥 岸之浪 五爪 勇■ 威鹿ダ流シ 折返シ

となっている。当て字を除けば目録は一致している。

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居合経験者であれば一度の講習で修得できると思う。
希望があれば申し込まれたい。


     
by japanbujutsu | 2014-10-30 17:48 | その他の流儀 Others
続・剣道、居合における踵の問題

江戸時代までの撃剣、すなわち竹刀剣道においては、しっかりと踵を床に着けていたことはすでに述べた。

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そして、今回の写真にあるとおり、それは明治時代でも変わらなかった。

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もちろん明治時代には踵をわずかに浮かせる向きもあったことは事実であるが、当時はほぼすべての剣士が古流を修行していた実態があり、踵を浮かせることを嫌った流儀が多く存在したことを写真が実証している。

すでに紹介したように、小野派一刀流や中西派一刀流でも昔の剣士は踵を着けて形を演じていることが写真に現れている。無刀流もまたしかりである。

居合においては昭和以降、剣道との兼修傾向が強まり、全日本剣道連盟に加盟した流派はことごとく踵をつけた撞木の構えを否定された経緯があり、ほぼすべての流派が夢想神伝流(長谷川英信流)の足構えに倣ってしまった。
古流独特の姿勢を否定されたのである。
踵を上げた構えでは切ったときに腰を据えられないため、深く切り下げることができない。
試し斬りをしている人で踵が上がっている人はほとんどが剣道経験者である。

私自身、来歴が明確で、伝統をしっかり守っている流儀で踵が上がっている例を見たことがない。
他流や現代武道に左右されることなく、自流の技や形をしっかりと受け継いでほしいものである。

私が継承している神道無念流の居合でも、剣道の兼修者は足幅を広くして撞木に開く足構えができず、師匠は「あの人たちは直らないからあれで仕方がない」と私に話したことがある。
by japanbujutsu | 2014-10-28 21:45 | 武術論考の部屋 Study
第18回松代藩文武学校武道会 秋の演武会

10月25日、恒例の松代藩文武学校武道会秋の演武会が開催された。
好天に恵まれ、予定通りの日程を終えた。

当協会からは大石益照、山根章、会長が参加し、神道無念流立居合、力信流剣術、力信流居合、関口新心流柔術(松代藩流儀:復元)を演武した。

松代藩伝関口新心流柔術

「突込」
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「風呂詰」
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「引脇差」
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「旅之松」
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「手枕」
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力信流剣術
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by japanbujutsu | 2014-10-26 22:31 | 演武会・講習会 Seminar
関口流抜刀の抜き付け

現在、伝承されている関口流抜刀(居合)は和歌山の本家を除けばすべてが熊本伝の青木規矩男が相伝した系統である。

その居合の形の中で、肝心要の動作「抜き付け」が正確に演じられていない向きがある。

何が正確で、何が不正確かということを客観的に判断できる材料(資料)は青木が演じる形の写真である。
幸いなことに、青木は関口流抜刀の全形を写真に撮影して、流儀の相伝と共にこれを授けたのである。
この写真の形と異なる業前を演じていて「これが本当の抜き方だ」と主張するのは真に説得力がない。

青木は「抜打先之先」の形における抜き付けを次のように行っている。
すなわち、柄を顔の真横に引き上げて、右足を出し(出し方は口伝につき省略)、左足を大きく後方に退いて(引き方は口伝)真上に抜き付ける。

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左足を大きく引くので歩幅が広い。残念ながらこの足捌きでさえ、すでにほとんどの道場で失伝している。
また、ほとんどの道場では刀を前に抜き出してから振りかぶっているが、これでは先之先を取ることは不可能である(先之先の取り方も口伝)。
そしてこの足幅の広い構えからは高く跳躍することは不可能である。現在、いくつかの系統では飛び違いの動作を高く跳躍して行っているが、あれでは飛び違いの動作は意味がなく、体に働く力は重力だけになってしまう。
飛び違いの動作は左右の足を踏み換える力で体を右半身から左半身に移し、その変換力で斬るのであって、重力で斬るのではない。
基本的には抜き付けてから斬るまで頭の高さは変えてはいけない。
この一動作を見ても失伝がいくつもあることがわかる。
人によって趣が異なるのは仕方のない現象であるが、技の根本原理だけは崩してはならない。

柄は顔の横まで引き上げる。

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左足を大きく引いて真上に抜き上げる。一切は口伝。

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by japanbujutsu | 2014-10-24 17:19 | 関口流抜刀 Sekiguchi ryu
整骨・整復・整筋

江戸時代における整骨・整復・整筋の技術は柔術士が修得し、それを生業とした。

それは明治時代まで続いたが、近代の西洋外科移入にともない、日本古伝の技術を伝える者は今は名倉堂以外にはなくなってしまったのではなかろうか。

制度が伝統を崩壊した好例である。

整骨・整復・整筋は命に関わる場合はほとんどなく、いわば師伝による経験知で以て施術した。
資格は他の芸事や医術と同様に、師匠から弟子への相伝によって行われる。
だからこの世界にも流儀が存在した。
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名倉と言えば骨接ぎの代名詞として、「千住の名倉」は全国に知られている。
名倉家は、名倉重直が足立区千住に移り住み、その四代後の名倉弥次兵衛直賢が、骨接ぎを始めた。これが日本で初めての接骨院である。柔術は武備心流を伝えた。

全国にある「名倉」関連の院は、名倉の下で修行を積み、家名継承を許された院である。
近代医学が進む中、現在でも日本古来の無血療法(手術しないで治す方法)を伝承している。
by japanbujutsu | 2014-10-22 19:38 | 武術論考の部屋 Study
武蔵流剣術

宮本武蔵の流儀といっても数多くある。

晩年に熊本で起こした二天一流でさえ、各藩に伝承されたものは歴代の相伝者によって創意工夫がなされて変質していった。

ましてや壮年期に起こした武蔵流や円明流などの内容は二天一流とは大きく相違している。

ここに一つの伝書がある。
「武蔵流剣術初段目録」。

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もちろん宮本武蔵が元祖であるが、三代目の楠田円石が改編して流祖のようになっている。
楠田の師は姫路藩士で由井正雪の師石川主税である。

この流派は岡崎藩に伝承し、流裔に三橋鑑一郎が出ている。
また明治年間の師範那須春吉も名人と謳われ、門下に多数の精鋭を有した。

この流派では五方の形、あるいはそれに類する形を伝えず、もっぱら竹刀剣術を教えたが、その重要な技は目録に残して、伝書でこれを伝えた。

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三橋 鑑一郎は、大日本武徳会第1回精錬証及び範士。
二刀をとったら無敵で「蟹の三橋」の異名をとった。
by japanbujutsu | 2014-10-20 17:23 | 宮本武蔵 Miyamoto Musash
止心流棒術のこと

信州松代藩伝の武術に止心流棒術がある。
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これはもともと総合武術として濃尾地方に伝承されていた止心流が峠を越えて、その棒術だけが伝播してきたものである。

止心流の元祖は臼井修理大夫忠重で岩入と号した。
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臼井は元禄四年(1691)に没したが、その伝は多くの門人に継承された。
その一人豊田弥右衛門から元禄十年(1697)に相伝を受けたのが、この伝書の発行人松井伊兵衛である。

ところが、『武芸流派大事典』では松井順助という人物を祖としている。彼は文政八年(1825)に安曇郡四ヶ庄の暴徒を鎮圧して名を挙げたという。
同じ松井姓なので順助は伊兵衛の末裔だと考えられる。
したがって、事典のいうところの順助をこの流儀の祖とするのは誤っている。
by japanbujutsu | 2014-10-17 17:18 | 秘伝書の部屋 Secret densho
渋川流柔術の「胸押」と「四手押」

渋川流柔術には「胸押」と「四手押」という相撲の稽古と同じ方式による稽古法が伝えられている。

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元々、関口流にあったものであるが、現在の関口流には伝えられていないようである。

三間×二間の場を設けて行うところは、丸い土俵で行う相撲と相違している。

水月塾では渋川流柔術のすべての手数を復元して稽古を行っている。
by japanbujutsu | 2014-10-15 23:09 | 武術論考の部屋 Study
鉄杖のこと

本日も柳生流杖術の絵目録を題材にしてみたい。

その最後の挿絵に描かれた杖が何と「鉄杖」になっている。

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この杖が鉄製であることを伝えるために、棒端に環を描いたのだ。

このちょっとした工夫を見逃してはならない。

もしかしたら全形を鉄杖で演じる可能性もあるわけだから。

だいたい実際に杖が剣と戦う場面に遭遇したら、木製の稽古杖では役に立たない。

そのあたり、神道夢想流などではどのような解釈をしているのだろう。

剣術だって形稽古は木刀でするけれど、実際の斬り合いは真剣を使うことは常識である。
by japanbujutsu | 2014-10-13 18:48 | 武術論考の部屋 Study
今回は「柳生流杖絵目録」の挿絵を紹介する。

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まずは袴の着用法に注目したい。
以前にも紹介したが、現在ではこのような着用法をする者は皆無である。
これは本来、甲冑着用時の袴の着用法で、鎧直垂の袴を履き、裾を上括(しょうくくり)で括るやり方である。
上衣も袴の外に出していて、むしろ袴を着けていないときと同じ姿態であり、非常に行動的なスタイルである。
また、その上衣は長袖で、これも手首の部分で締めている。
顔が中華風であり、服装も大陸との折衷なのであろうか。
江戸期の武術文化はまだまだ不明なことが多い。
研究環境に恵まれていないのが残念な国である。

さて、この柳生流杖術の系譜であるが、伝授文には次のようにある。
「右柳生流杖奥山佐衛門太夫忠信以来相伝・・・・・」
そして系図は、
上和泉伊勢守信綱
長尾美作守重宗
柳生但馬守
益永白円入道
と続き、信抜流と同じ系譜になる。
by japanbujutsu | 2014-10-09 17:36 | 秘伝書の部屋 Secret densho

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