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国際水月塾武術協会 International Suigetsujuku Bujutsu Association

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本会が伝承している武術流派と古武道全般の技法・歴史・文化などを解説します。文章・記事・写真の転載は固く禁止します。

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柳生志限流と八極拳

柳生志限流は一応敵を置くが、ほとんど敵の反撃を無視して(敵も実際には反撃できない)拳を打ち、振り回し、蹴り飛ばす。時に敵から離れ、一人で腕を振りながら敵に近づいていく。敵に当身をくれながら、敵の周りを一周する形もある。前後左右の四人捕りも拳を振り回して一人ずつ倒していく。こんな柔術は日本のどこを探しても存在しない。

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八極拳の対練(組手)は右半身になったり左半身になったりして身体と身体をぶつけ合ったり、時に逆手を掛けたりするが、対練ではスピードがなくなる欠点がある。

柳生志限流の拳振りは、専ら左前の半身による遠心力を使い、凄まじい勢いでブンブンと振り回す。両者の共通点は専ら一重身で敵対することであり、他の拳法のように正面体を取らない。また敵への当身の入れ方や力の発し方、抜き方など柳生志限流と八極拳の共通点はいろいろある。この体動(簡単に言うと武者震いと遠心力から生まれる瞬発力)は斎田伝の柳生心眼流にも見られ、また島津師範の心眼流にも見られるが、星国雄系や佐藤金兵衛系には見られない。

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                              柳生志限流柔拳法

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                                 八極拳対打

柳生志限流では星国雄系と同じ親指を中に入れた拳を用いるが、稽古を見るとあまり拘りはなく、開手が非常に多い。この点は八極拳よりもむしろ八極拳とともに伝えられた劈挂拳の使用法に近いものがある。劈挂拳の分解組手を柳生志限流の七本の取り口で演じたら、そっくりになるかもしれない。柳生志限流では劈挂拳と同じような腕を上から前、下へと廻す(つまりクロールの方向)技法も多用する。この腕を振りながら入身していく感覚が劈挂拳にそっくりなのである。また、志限流の蹴りは金鷹拳と同じ方法によるバランスの取り方を用いる。

柳生心眼流の拳法を鎧を着て演じたり、また、初心者に説く掛け声を「印可奥伝」の教えであると、何もこの武術のことを理解していない人たちもいる。

柳生志限流の拳法伝を見るとき、鈴木兵吉の流れを汲む斎田伝との技法の共通点が散見されるが、鈴木と高橋市内との関係の解明を急がなければならない。ただし、斎田伝の拳法伝は「切」までの二十八箇条なのに対し、柳生志限流の拳法伝は初学の伝だけでも五十六箇条あり、皆伝までには柔術の形も含めて四百箇条がある。
by japanbujutsu | 2015-03-30 17:57 | 柳生志限流柔拳法 Shigen Ryu
柳生志限流柔拳法の内容


柳生志限流は柳生心眼流に比べてはるかに中国拳法色の強い雰囲気を持っている。
まず、礼法では「折敷礼」を行うのであるが、着くのは右膝で、両手を着いて礼をなす。相手が自分より高位の場合は両膝を着く。

拳は正式には星国男系と同じように、親指を中に入れて握るが、皆、普通の握り拳でやっており、開手による当身を多用する。

身体の使い方や力の出し方は、筆者が斎田伝と名付けた鹿島台に伝承する柳生心眼流兵術とほぼ同じである。とにかく腕を頻繁にグルグルと振り回す。その間に当身が数発入る。

高橋市内の本拠栗原郡鶯沢村が、斎田の師匠である鈴木兵吉の居所梅崎村に近いので、両者には何らかの関係があるのではないかと思う。

以下の柳生志限流の内容を見ると、柳生心眼流と柳生志限流のどちらが親流儀なのかは判然としない。
あるいは両流儀は兄弟流儀である可能性もある。

兵法表 7
兵法裏 7
中極表 7
中極裏 7
不動岩石落表 7
不動岩石落裏 7
腹切表 7
腹切裏 7
切神表 7
切神裏 7
白紙取祇神明 7
居合剣切 7
 ※ここまで水月塾で伝承。さらにこれ以降約300手の形がある。この時勢では失伝をただ待つだけである。


稽古風景を撮影した古い時代の写真。
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by japanbujutsu | 2015-03-28 17:59 | 柳生志限流柔拳法 Shigen Ryu
柳生志限流柔拳法の伝書

岩手県の釜石市に昭和の戦前から戦後にかけて伝承された柳生志限流柔拳法の最後の師範、故宮本鶴松が筆者の師匠である。

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宮本師範がその師、三浦義次から授けられた伝書四巻は、今、すべて筆者に受け継がれている。

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膨大な柳生志限流の全伝を受け継ぐことはて゜きなかったが、初伝と中伝の途中までの合わせて八十八箇条は筆者が相伝を受けた。

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                             宮本鶴松師範と筆者

また、千葉寛悦師範からも別伝を学んだ。

もうここまでの形を打てるのは日本に筆者しかいない。

ドイツのクロナッハ支部は柳生心眼流専科の道場なので、この柳生志限流もかなりの部分まで相伝が進んでいる。

今では柳生心眼流の星貞吉と同時代に宮城県の栗原郡にはもう一つの日本伝古拳法が存在したことを知る者もない。


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                                三浦義次師範

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                          武道研究会会員一同(昭和26年)
by japanbujutsu | 2015-03-26 17:26 | 柳生志限流柔拳法 Shigen Ryu
柳生志限流の歴史
 
開祖 高橋市内勝義(右写真)b0287744_14533063.jpg
二代 三浦宗四郎義次
三代 宮本鶴松柾道
宮本門人 小佐野淳(84箇条相伝)

開祖高橋市内の出身地を記した伝授巻が存在している。それによれば高橋は宮城県栗原郡鶯沢村で明治後期に柔術を教えていたことが判明する。伝授巻には「高橋一義」とあるが、高橋市内と同一人物である。

また、明治三十七年に高橋市内は、同門の馬場秀一、伊藤忠八、志賀儀雄、佐藤源太郎ら五名とともに、門人山口留造に伝授巻を差し出している。この伝授巻にはすでに「柳生志限流」の名が使われており、高橋が創始した柔術なのかは断定できない。彼らが明治三十一年に他界した星貞吉の門人であることは十分に考えられるが、星貞吉の門人に彼らの姓名を見いだすことができない。

宮本鶴松氏が三浦宗四郎義次より授けられた柳生志限流の伝授巻は、
 目録 『智之巻』
 鋒閁詰・活法 『勇之巻』
 整復術 『仁巻』
の三巻であるが、これは高橋市内直筆伝授巻とは内容が異なっており、もちろん柳生心眼流兵術とは全く異なっている。

また形の取り口が大きく相違するため、ひょっとすると高橋は星貞吉と同門なのかもしれない。すると柳生心眼流兵術(拳法)は貞吉の創始ではないことになる。今後の最大の課題はその部分の解明にある。

なお、宮本氏の伝授巻『智之巻』の巻末署名部分には次のように書かれている。

 戊戌八月上浣
  柳生眞蔭流 今泉義為

 壬寅三月     
  柳生志限流 高橋勝義

 右智巻之條々修業習得候條柳生志限流柔拳法皆伝初参段授与候者也
  柳生視豊流 三浦義次

戊戌は明治三十一年、壬寅は明治三十五年である。年数的には一応合うことになるが、相伝してから、次代に相伝するまでの期間が短い嫌いがある。

柳生眞蔭流の今泉義為とはいかなる人物なのであろうか。これも今後の調査課題である。
高橋は小野派一刀流剣術も極めていたというが、剣術では飯が食えないと悟り、剣術は指導しなかった。昭和十五年没

三浦宗四郎は宮城県の出身で、釜石の警察署長の任にあり、その関係で武道研究会を立ち上げ、住民に護身術として柳生志限流を指導したのである。なお、三浦は自ら柳生視豊流と称している。

釜石は鉄鋼の町であり、また漁港の町でもある。戦前、この町には喧嘩好きの朝鮮系労働者や余所から入港してくる荒くれ者が多く、彼らから身を護るために柔術は大歓迎された。そして、昭和三十年代までは市内の各所で盛んに稽古がなされていたが、四十年代の高度経済成長期以来、急速に衰え、現在は見る影もない。
by japanbujutsu | 2015-03-24 17:46 | 柳生志限流柔拳法 Shigen Ryu
四心多久間流柔術のこと

富山に伝承している四心多久間流柔術の源流が岡山の竹内流であることを最初に発表したのは筆者である。
その流れは以下のような分派を生んでいるが、これを発表したのも筆者が最初である。
竹内流→至心流→四心多久間(琢磨)流→真極流→本覚克己流。

さて、この四心多久間流の形を二十数年前に拙著で紹介したことがある。
その折りにある無学の輩が、それに対して「某道場の技を勝手に本で発表している」とクレームをつけてきた。
実際に某道場の技を稽古している者であれば、筆者が発表した形が全くの別物であることは容易に判断できたはずである。
その無学の輩は明らかに門外漢であることがわかる。

第一、筆者が本で発表した四心多久間流の形は昭和まで栃木県に伝承していた系統のもので、某道場とはまったく関係がない。
その無学な若者は当然、筆者に何の確認をとることもせず、ただの憶測でクレームをつけたのである。
武術・武道を学ぶ者、安易な言動をすべきではない。

本日、紹介するのは、四心多久間流柔術の一派で、四心琢磨流の形。竹内流の色を強く残している。

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by japanbujutsu | 2015-03-22 17:11 | 武術論考の部屋 Study
「左剣」 の最初の抜き付けについて

「左剣」 は先の先を取る技であるから、我から動き、その直後、敵が短刀の柄に手をかけた刹那、その小手を刀身で押さえる。

この動作を現在は小手ではなく頭を押さえている(そのため刀を止める位置が高い)向きがあるが、やはり小手が正しいだろう。
青木の写真でも刀身を深く落としている。そのためには足幅を広くして腰を落とす必要がある。
次の関口流居合の古い絵伝書を見ていただきたい。
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刀が返っており、刃が小手を切っていないことがわかるだろうか。
そう、鎬で小手を押さえているのである。
もっともわかりやすいのは術者の右手の握りである。
あるいは絵師の思い違いだろうか。
小手は切らずに一太刀で首を落とす。
これが関口流左剣の極意かもしれない。
by japanbujutsu | 2015-03-19 17:29 | 関口流抜刀 Sekiguchi ryu
備忘録 『 柳生心眼流稽古記録帳 』 Memorandum of Yagyushingan ryu

本当に古流を一手も残さず後世に伝えようとするならば、それなりに稽古内容を記した備忘録を作成することが大切である。
近所から道場へ通ってくる者は技の一つや二つ、忘れても次回また稽古するだろう、くらいの気持ちでいるから、いつになっても技は身に付かないし、少し休めば忘れてしまう。
これでは話にならない。
ただやっているだけで、次代に継承させていく意思などまるでないのだから。

私は今から30年以上前、東京の柳生心眼流指南所竹翁舎に通い、外弟子(血判を入れず)として約3年間、マンツーマンで指導を受けた。
その時の記録が今回初めて開陳する稽古記録帳で、技数にしておよそ三百手が図入りでノート数冊にびっしりと書き込まれている。
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帰りの電車の中で文字に記録し、帰宅してから図解する。こんな日々が3年間続いた。写真や映像は一つもない。
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私はかつて修行した流儀で師匠との稽古をビデオ撮影したことなど一度もない。
ビデオに撮るとそれで安心してしまって稽古がおろそかになりかねない。
ほとんどの流儀で弟子は私一人であり、稽古はいずれもマンツーマンであるから、映像を撮ることなど不可能であった。
今は弟子達には道場内でのメモを許可している。
諸君の奮起を期待する。
by japanbujutsu | 2015-03-16 17:08 | 武術論考の部屋 Study
嘉納治五郎と横山作次郎

嘉納治五郎が古流柔術家の道場をよく巡回していたことは、各地に残る写真でわかる。
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前列の中央が嘉納で、右が横山。
その他はわからない。
前列の三人は師範格であろう。袴を着用している。
後列の三人は袴を着けていない。
袴の折り目がまったく付いていないのを見ると、これは稽古袴であることがわかる。

ところで、武術には関係ないが、この写真を見て、違和感を感じないだろうか。
そう、後列中央の人物の左半身が嘉納と横山の間に割って入っているのである。
こんな失礼なことはないはずであり、写真をよく見たが・・・
合成写真でもなさそうである。
by japanbujutsu | 2015-03-14 17:52 | 武術論考の部屋 Study
甲冑を着用した剣術 再考

デタラメな解釈の一例
甲冑を装着した武者同士の太刀による戦闘方法は、当然、巨人がただ刀を振り回せばよいものとは異なり、介者剣術と呼ばれ、深く腰を落とした姿勢から目・首・脇の下・金的・内腿・手首といった、鎧の隙間となっている部位を狙うような戦法であった。甲冑武者同士の戦闘は最終的には組み討ちによる決着に至ることが多く、その技法が組討術であり、後の柔術の源流の1つとなった。」(ウィキペディァ「剣術」)

諸賢はこんな無知な者による書き込みを絶対に信用してはいけない。このようなデタラメが世に広がり、剣術史の歪んだ解釈が広がっていく。
既述したように、鎧を着用して深く腰を落としたら次の動作に迅速に対応することができない。
鎧の隙間を狙うような高度な技術に固執していたら命なんかいくつあっても足りない。
なぜ最終的に組み討ちに至るのだろうか。それはお互いの技が決まらないからだろう。鎧の隙間を狙った技が決まるのだったら組み討ちになるわけがない。

新陰柳生流では, 順逆の太刀を中心とする介者剣術期の技法を使う構えを「沈なる身」構えという. この構えの特徴は, 重心が低いところにある

だれがこんなウソをついているのだろうか。腰を落とす=介者、などという安易な解釈は絶対に鵜呑みにしないことである。

今回紹介する絵伝書は、鎧武者と平服武士が対峙している場面であるが、両者の腰の高さは変わらない。
これは伝書に絵を描く際、美術的装飾性に重きを置くための表現方法で、実際にこのような場面があったわけではない。

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by japanbujutsu | 2015-03-12 17:42 | 武術論考の部屋 Study
居合と剣術の狭間

武術として居合と剣術は明らかに相違するが、両者がそれぞれの技術・想定の中に入り込み、一体となって演じられることはよくあることである。

例えば力信流剣術は両者が帯刀した状態から開始し、最初の合わせは抜刀から行う。一人で行えば、誰が見ても居合である。
そして、神道無念流立居合の場合には、立っておこなうために前後に大きく移動し、抜いてからの動作が長く、相手を付ければ完全に剣術になる。
この二つの剣術と居合の技を比べると相手を付けて組稽古をすることを主眼にしているのが剣術で、一人で相手を想定して行うのが居合であり、技術的には大きな差異がない。

本日、紹介するのはある流派の絵目録である。
絵を見ると裃を着て座している上級武士に着物姿の中・下級武士が二人で斬りかかろうとしている場面である。

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上級武士は座っているところを不意に襲われ、下級武士はどのようにして部屋に侵入したかはわからないが、二人で刀を八相に構えている。
二人は大小を帯びているので、公務で登城していることがわかる。
こんな想定がありうるだろうか。
by japanbujutsu | 2015-03-10 22:16 | 秘伝書の部屋 Secret densho

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