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国際水月塾武術協会 International Suigetsujuku Bujutsu Association

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本会が伝承している武術流派と古武道全般の技法・歴史・文化などを解説します。文章・記事・写真の転載は固く禁止します。

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伝書釈義 神道無念流目録 ②

次には流儀で伝える形の目録が記載されている。

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一円中太刀大旨   口伝
常一知神        口伝
五加五行        口伝
非打十本        口伝
立居合十二剣     口伝
統合二剣        口伝

しかし、この目録は流祖福井が戸賀崎熊太郎に授けた目録に比べると、多くの形が欠落していることがわかる。
すなわち、流祖の時代には、五加五行の次に、「九加九字十字」があり、立居合十二剣の次に「居合五剣」がある。さらその後、三学陽剣が九箇条、電光が八箇条、位太刀巻石火が七ヶ条あり、最後に「惣合 二剣」がある。

ここでは非打十二剣の意義付けを書いておく。
非打とて、主太刀より生ずるの名なり、打方は邪、主太刀は正なり、正を以て推し、十分の気の先をかける故、邪迫て打出すなり、依て主太刀は求めて打に非す、敵に応し後先のわざを以て自ら勝を取るなり、只七本一剣のみ、後先のわざにあらず、敵を動して、先を打也、是試合口にて事を論するもの也、いかにもするどくつかうべきなり

居合の口伝釈義もあるが、これは実技を継承している関係で、ここでは述べないことにする。
by japanbujutsu | 2015-05-31 17:51 | 神道無念流居合 Munen ryu
伝書釈義 神道無念流目録 ①

今回から少しずつ、神道無念流の伝書を読み解いていく。
まずは『神道無念流目録』から。
伝書の相伝順序からすると『神道無念流初巻』、『神道無念流演武場壁書』の次に授けられる三巻目の伝授巻である。

この伝書の詳細(口伝)は、現在どこの神道無念流にも伝えられていないものと思われる。
伝書の冒頭には次のような記述がある。

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 神道無念流
   五加
                                          親拝
 摩利支天 未発象   (打仕二本の刀を物打ちで合わせた図)  神拝
                                          師拝

ここで重要なのは「未発象」という言葉の意味であろう。
戸賀崎家に残る『神道無念流剣術免許弁解』によって、その概要を知ることができる。

それによれば、「初本」の解説に、
「初に打合す処、未発の象なり、始は是のみにて、外にわざなかりしを」とある。
また、「二本」の解説に、
「依て受方、其未発を打故、かすんで切返すなり」とある。
さらに「四本」には、
「・・・横に受るにあらず、只かすんで合ずるなり、然るときは皆未発の象に結ぶなり」とある。
そして、その総括として、
「故に五加惣て勝負なし、未発の象に起て、未発の象にとどまる、是全一円の理なり」と結んでいる。

つまり、未発象とは打仕双方が中段に構え、物打で交わる形(象)を表しており、正に描かれた図のとおりなのである。
勝負を決めない武術形はいろいろあり、筆者が相伝している流儀でも浅山流の棒術や天道流の剣術では未発のまま形が終わる。
by japanbujutsu | 2015-05-29 17:11 | 神道無念流居合 Munen ryu
諏訪上社 居合奉納演武

23日(土)、晴天。

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長野県諏訪市の諏訪上社において戸山流居合道長野県連盟の奉納演武会があり、古流居合ではただ一人、筆者が関口流抜刀を演武した。

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今回で11回目となる。
連盟名誉会長の関澤初夫先生より知遇を得て、毎回演武させていただいている。

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                           関澤先生による四方祓い

一人参加なので、関口流の演武写真がないのが残念である。
by japanbujutsu | 2015-05-26 17:29 | 演武会・講習会 Seminar
武術の形と実践

武術をある程度(数年以上)稽古している者であれば、大方は理解しているであろう思われる形と実戦の違い。

だから本来、ある形を採り上げて「この形は実戦的である」とか「こんな形は実戦で使えない」などというのはこの上もなくナンセンスな発言なのである。

形は体や武具の「使い方」を学ぶための一つの手段であり、その中には実戦とは大きくかけ離れた技も多く含まれているのである。
だから以前にも述べたとおり、形の想定は実際にはありえないものも多くある。

特に居合において我敵双方が大刀を差して向かい合いで座るなどという想定は、現実の武家社会にはあり得ないし、殿中居合などというものも実際には存在しない。
居合は運刀法を学ぶための方策として、坐して技を行う方法を採用したにすぎない。

剣術や棒術でお互いに道具(武器)が届かない位置で打ち合う「合(ごう)」の技がある。

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                          棒術の形に見られる「合」の技

これは、互いに刀や棒を打ち合ったときの感触を学ぶための技術であり、実践ではまず見られない技法である。
お互いに届かない場所で武器を合わせ、そのときのお互いの姿勢や動作が一つの芸術作品として存在する。武術が武芸と呼ばれる所以である。
もし、勝つことだけを目的にひたすら技を鍛錬するのであれば、技の美しさなど関係ないはずである。
しかし、武術は武士の教養であり、嗜みであり、芸術であるから、その技には「美しさ」が要求される。

それでは武術は実戦ではまったく役に立たないのかというとそんなことはない。

武術を学ばなくても勝つことはできるが、武術を学ばなければ「技を使う」ことはできない。

この辺のことについては、いろいろな機会に述べているので、ここではこれ以上述べないことにする。
by japanbujutsu | 2015-05-24 17:56 | 武術論考の部屋 Study
研究家?

筆者のことを「研究家」と呼ぶ人たちがいる。
もちろん武術(古武道)の分野での研究家という意味で。
しかし、結論からいうと筆者は武術の研究家ではない。
なぜならば、武術の研究をプロ(職業)としているわけではないからである。
あくまでも趣味の範疇であり、自分自身の生涯学習の対象にしているに過ぎない。
だから、武術の学究的な研究など本来の筆者にはまったく肌に合わないのである。
宮本武蔵の研究など、いろいろな本に目を通すだけで眩暈がしてくるし、絶対にその世界に足を踏み入れないことも自覚もしている。
ところがである。
筆者のような浅学非才な者が趣味の範疇でしている武術の歴史調査や有識故実、伝書読解など、武術を修行している者なら本来手がけなければならないことを、「日本の古武道家たち」は全くやろうとしないのである。
何度も言うように、武術は日本の武士文化遺産だから、今の世に流儀の歴史なり文化なりをまとめておかなければ、未来にそれらを正しく伝えることができなくなる。
そうなれば武術は単なる格技に堕落し、格調高い武士の教養が、その抜け殻だけ一人歩きして、とんでもない浅薄なチャンバラになりかねないのである。
そうならないためにも、われわれはもっと武術の実技を稽古するとともに、本来流儀が伝えてきたさまざまな所産を同時に受け継いでいかなければならないのである。
筆者は一介の武術の相伝人に過ぎないのだけれど、もしも、周囲から「研究家」などとよばれるならば、それはそれで筆者のしている趣味が研究のレベルとして受け入れられていることであり、こんなに光栄なことはないのである。
しかし、もしもそうであるとするならば、いかに我が国の武術の研究が低次元を彷徨っているかということが、あからさまに実証されているわけであり、この日本にはろくな「研究家」がいないということの証明にもなってしまう。
古武道を学ぶ皆さんには、もっともっと武術の歴史・文化・思想を勉強してほしいと願う。
そうしなければ、必ずや日本の武術は半世紀後にはすべて海外に持ち出されてしまうことになるだろう。
しかし、それだけは絶対に阻止しなければならない。

古の武芸者たちは、強くなればなるほど、技術が上がれば上がるほど、有名になればなるほど、文化的・文学的活動にも精を出している。
宮本武蔵の『五輪書』、柳生宗矩の『兵法家伝書』、渋川時英の『薫風雑話』、井澤蟠龍軒の『武士訓』、平山行蔵の『武芸十八般略説』など、職業執筆家ではない彼らが、何故にそのような優れた著作を遺すことができたのか、もう一度考えるべきであろう。
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by japanbujutsu | 2015-05-22 17:04 | 武術論考の部屋 Study
五鳥図

今回紹介する武蔵の画は、彼が没する前年の正保元年(1644)に描かれたもので、彼が病に伏していた年である。

絵全体に迫力はないが、最晩年の彼の境地がよく感じられる作品であると思い、蔵品に加えた。

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それは力の剣ではなく、気の、そして精神の剣として案出した「五方ノ太刀」の趣をこの絵が具現していたからだ。

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五匹の鳥はあたかも「五方ノ太刀」を表していて、空木土、すなわち天人地三才の空間に五行を配したようにデザインされている。

二匹を天に舞わせたのは号の「二天」を表象しているのだろう。

清楚な作品の中にも武蔵の強い意気込みを感じることのできる名作と評価したい。

署名は正名と読めるが、かすれていて判然としない。
by japanbujutsu | 2015-05-20 17:38 | 宮本武蔵 Miyamoto Musash
鎧武者の戦闘法と武術

一部の人たちの誤った武術認識が正しい武術史を歪曲させてしまい、不合理な解釈を蔓延させている。
今回は戦国時代の「戦闘術(武術ではない)」について少し触れてみたい。

戦国時代の戦法はいずれも甲冑を着用した集団戦であり、その末期には騎馬が銃砲に破れたことにより、時代は急変し、まもなく江戸の長い泰平期を迎えることになる。

戦国時代の戦法は銃砲・弓を除く地上戦では槍が最も有効であり、続いて薙刀となる。
白兵戦が主体になってくると、そこに人間同士がぶつかる接近戦が始まり最終的には剣や組み討ちが勝負を決するようになる。しかし、そこに見られる闘いの技術は力と作戦による所大であり、武器の細かな技法など入り込む余地はない。口伝も秘伝も集団戦にはまったく役をしない。

江戸時代以降の柔術を説明するのに甲冑武者を例に出したり、江戸時代の流儀剣術を演じるのに甲冑を着用するなど、時代錯誤も甚だしいのである。

甲冑を着たその時点でもはや柔術も剣術もない。あるのは戦闘術であり集団歩兵戦術である。
江戸の平和な町中で鎧武者が行き違うことなど100%あり得ないのだから。

もし、武術の稽古で鎧を着て演じるとしたら、それは武術ではなく太刀による「斬り合い」の訓練をしているにすぎない。そして使う刀は打刀ではなく、刃を下に向けて吊る「太刀」である。

流儀武術の勃興は戦国時代に始まるが、それは甲冑戦闘とは別の次元で成立したものであり、教義が確立するのは江戸時代になってからである。竹内流も戦国時代に端を発するが、その内容は短刀を以て演じる捕手術であり、鎧で闘う戦闘術とはまったく異なる次元で萌芽してくるのである。

ここに江戸時代に描かれた無双直伝流和の絵目録があり、鎧武者を描いているが、太刀の穿き方も正しく、演じている内容も平服の柔術とは異なっている。

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これは心得として組み討ちの稽古を採り入れたのに過ぎなく、平時は例外なく平服で護身柔術を稽古していたのである。

平服の武術形を甲冑を着て演じることの不自然さに良識を以て気付いてほしいと思う。
by japanbujutsu | 2015-05-16 17:08 | 武術論考の部屋 Study
足袋のこと

男性が履く足袋は基本的には黒足袋であるという固定観念がある。
しかし、元来は白足袋に男女の別はなく、兼用である。
また、職業や立場によっては白足袋を履かなければならない場合もある。
その職業とは芸事の家元や僧侶・神官、芸能人(役者・落語家など)である。
一般人が白足袋を履くのは紋付を着た時である。

これが一般的な解釈。
しかし、武家の習い事である武芸の世界では、田舎の稽古場はともかくとして、藩校での稽古の場合には白足袋を使用した。
居合や柔術は畳の上で稽古をしたからもちろんのこと、弓術も足袋は必需品である。
日常の稽古では黒足袋でもよいが、紋付きの正装時には白足袋でなければならない。
神社への奉納演武や貴人への御前演武でも白足袋は必需品である。

水月塾では演武の際にはどのような演武であっても必ず白足袋を履かせるため、日常の稽古でも極力白足袋を履かせている。

さて、ヨーロッパでのセミナーにおいて、もう十数年も前のこと。
ここ数年のセミナーでは主催者が事前に参加時の注意を促してあると思われ、いなくなったが、当時は悲惨な状況だった。
何が悲惨だったかというと、参加者の服装である。
まず黒の空手着はいいとして、地下足袋で体育館や道場へ入ってくる。

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ここは工事現場ではない、と追い返す。
アクセサリーをしてくる。
外しなさいと強制する。
指輪もネックレスもすべて外させる。
女性の場合、化粧も落とさせる。
酷い場合にはTシャツに空手の下衣を履いて来る者もいる。
全部退場させる。
挨拶で両拳を作り「押忍(オッス)」と言う者も退場。

こういった者たちは気の毒にも誤った武術観を直されることもなく、通り過ぎて来た者たちであり、それを無様、無礼、非常識だとは思っていないのである。
困ったものであるが、日本の無知な指導者が現地でこれを許しているから、それでもいいのだと勘違いをしている。
こうした非常識を是正していくのもわが協会の役目である。
by japanbujutsu | 2015-05-14 17:26 | 武術論考の部屋 Study
抜刀=試し斬りではない!

現在、全国組織を形成している戸山流は、大正から昭和初期にかけて陸軍戸山学校で制定された軍刀操法を、太平洋戦争後に居合道の流派としたものである。

大日本帝国陸軍における歩兵戦技の研究と教官養成を行う陸軍戸山学校において、明治27年に片手軍刀術を、大正4年に両手軍刀術を制定した。
大正14年、戸山学校剣術科長の森永清中佐は、中山博道が居合から考案した5本の形を採用した。その内容は、古流居合のような座位での技はなく、近代戦に適合するために全て立ち技のみであった。
昭和17年には、突撃戦に適合するために、走りながら斬撃する内容が追加された。

昭和27年、戦前に体系付けられた軍刀操法は「戸山流」と名付けられ、居合道として一般に広められていった。戦前は軍服や体操服にベルトを着用し、軍刀を使用していたが、戦後は伝統的な居合流派と同様の稽古着や紋付・袴を着用し、打刀拵を使用している。技法的には他の居合流派に比べ、試し斬りを重視していることが特徴である。

戸山流から派生した武道に「中村流抜刀道」がある。初代宗家は中村泰三郎。旧日本陸軍戸山学校にて実践剣術・戸山流抜刀術を修練。戦後も、永字八法より案を得て「八方斬り」を創意するなど、刀法の研究を続ける。戸山流抜刀術にその経験をくわえて、中村流抜刀道として創始した。
のちの国際抜刀道連盟の前身となる国際居合抜刀道連盟を組織し、本部道場・鶴誠会を主体に中村流抜刀道の普及に努めた。筆者は国際武道院在籍時代にお世話になった。

これら戸山流、中村流の多くの門派が全国各地に存在し、そのほとんどは試し斬りを主体にしている。そのためいつの間にか抜刀術=試し斬りという、誤った考えが広がってしまった。まことに無知極まりない。
あくまでも抜刀は「居合の替え字表記」である。

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以前にも書いたが、古流居合の多くが試し斬りをタブーとしていたことを知るべきであり、ましてや演武会で試し斬りをするなど言語道断である。
by japanbujutsu | 2015-05-12 17:38 | 武術論考の部屋 Study
抜刀 居合 薙刀 柔(和・俰) 棒

現代武道は何でもかんでも○○道という。
そのため古武道は何でもかんでも○○術といっている。

しかし、実際のところ、伝統的な慣習ではどうであったかというと、むしろ「術」を付けない場合の方が多かったのではないかと思われる。

たとえば、筆者の学ぶ穴澤流は、正式には「穴澤流薙刀」といって、術の字を付けない。
肥後伝関口流も今は「関口流抜刀術」と表記しているが、江戸時代は「関口流抜刀」であった。

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もちろん抜刀と書いて「いあい」と読む。
仙台藩伝浅山一伝流柔術も古くは「浅山一伝流柔」である。
これらは決して「術」を省略しているわけではなく、最初から付けていないのである。

伝統は変えてはいけない。
by japanbujutsu | 2015-05-10 17:01 | 武術論考の部屋 Study

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