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国際水月塾武術協会 International Suigetsujuku Bujutsu Association

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本会が伝承している武術流派と古武道全般の技法・歴史・文化などを解説します。文章・記事・写真の転載は固く禁止します。

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関口流の稽古用居合刀

先に居合の稽古に用いる刀は、稽古専用のものであることを述べた。
だから筆者を含めて日本全国ほぼすべての者が誤った刀で稽古や演武をしていることになる。
我々が稽古で使用している刀は武士が公用で帯刀する大小の「大」であり、鍔には象嵌が施され、化粧鞘を遣い、目貫までもが美術品の格を備えている。
こんな刀を武術の稽古に使うはずがない。
事実、影山流には 『影山流大小拵様』 の伝書があり、流儀専用の刀を用いていたことがわかる。
武道具店もそんな知識はないから、公用刀しか扱っていない。
稽古用の刀が売っていないのだから、我々はそれを特注するしかないのであるが、実はその稽古用の刀も詳しく説明された文献が影山流以外になく、真に困りものである。

ところで、紀州関口流が稽古で使用していた居合刀の図が 『南紀徳川史』 に掲載されている。

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注目点は「無反」の文字であるが、図を見ると反りがある。
これはどういうことだろうか。
関口流の居合は反りを利かせて抜き放つため、無反り刀では抜き付けにかなり無理があると思う。
そして、重要なのは、この絵には鍔が描かれていない。
矛盾しているのは居合形の絵伝書に描かれている刀には鍔が見られることである。
これは理解できない。

後考に待ちたい。
by japanbujutsu | 2015-06-28 17:48 | 関口流抜刀 Sekiguchi ryu
『剣道独稽古』のデタラメを暴く

まずは『剣道独稽古』のイラストを見ていただこう。

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読者諸賢はこのイラストのデタラメをいくつ見抜けるだろうか。
江戸時代においてすでにこのような矛盾に満ちたスタイルが絵師によって描かれているのは武術の故実を探究する者にとって大きな迷惑である。
浅薄な知識で描かれた想像と創作に満ちた絵はどうしようもない。

それでは天狗から。
まず、鞘に目をやると甲冑着装時の太刀下げスタイル、すなわち刃側が下を向いている。
百歩譲って鞘返しの抜き上げからそのまま鞘を返さずに上段に構えたとしよう。
ところがである。
刀を見ると明らかに打刀ではなく、無反り諸刃の「剣(つるぎ)」である。
これでは剣が鞘に納まらない。
大小差しの女性の太刀鞘もひっくり返っていて、剣を構えている。
大きく見開いた天狗の目と閉じた女性の目は合っていない。
女性は天狗の剣を心の目で見ていると言いたいところであるが。
新陰流の乱勝を想定しているのだろうが、あまりにもひどすぎる。
江戸の文献にも注意が必要である。

かつて某柔術流儀の絵伝書を見たら、受の突きが空手式になっていて、すぐに今出来の絵であることがばれたが、今も昔も変わりはしない。
by japanbujutsu | 2015-06-26 20:04 | 武術論考の部屋 Study
天道流稽古用鎖鎌三態

鎖鎌の場合、刃も鎖も分銅も鉄で造ったものは稽古には使用しない。
本式の実戦用とでも言いたいところだが、この本式が戦いに使われたことは歴史上未だかつてない。
先般記述したように、刀も公用の二刀差しは居合では使用しない。
居合には居合用の刀がある。
現在、居合道の大会でほぼ100%使用されているのは居合用ではなく、公用刀の「大」であり、これは日本武術史上における最大の誤伝であるかもしれない。
居合用の刀が幕府の令(定寸)にまったく従っていないのは、その刀の使用が稽古場内に限られていたからであり、武術で使用する刀は流儀の掟に従って、いかなる長さのものでも使用できたからである。
現在、鎖鎌を伝える流派において鉄製の鎖で演武をしているところがあるようだが、これも正しい相伝を受けたものではないことがわかる。

さて、今回は、筆者が相伝している天道流の稽古用鎖鎌を紹介する。

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左から3つは天道流の掟にしたがって制作されているから、その形態で天道流であることがわかる。
左から筆者の稽古用、昭和時代のもの、明治時代のものとなる。
一番右のものは天道流のものかどうかわからない。
寸尺が若干異なるが、刃先に革が付いているのが気になるところである。
はたして何流のものだろうか。

古流で木刀や棒など市販の大量生産品を使っている流派があるが、すでにそれらは正確な相伝を失っていることになる。
by japanbujutsu | 2015-06-24 17:03 | 天道流武術 Tentô ryu
掛け声のこと

まず、世間の人たちの大きな誤解を指摘しておく。
武術・武道をする日本国内外の多くの者は掛け声と気合いの区別ができていない。
日本人の指導者が誤ったことを海外で教えるから、彼らはろくな知識を持っていない。
気合いは声を発しなくても掛けることができる。
掛け声は確かに気合いの一部ではあるが、そのすべてではない。
そのところの区別・研究を指導者はしっかりとしてほしい。

筆者はこれまで掛け声のない流派・武術を修行したことがない。
だから、個人的には掛け声のない武術は武術ではないと思っている。
その点、スポーツ競技の剣道などは掛け声を重視しているから、まだ武術の一面を少しは保持しているといえる。

さて、神道無念流では「懸声の事(利)」として次のように説いている。

勇気を増し、太刀の勢を加え敵を威嚇し、其挙動を制す。是によって精神を緊張せしめ、心身の勢力を集注し得るものなり。懸声も一種の武器なり、三つの声と称することあり。其の一は勝を知らす声と云。勝ちて後大きく声をかくれば、敵は其の声に驚き其のまま畏怖して、続いて打出し得ざるものなり。(以下略)

仙台藩伝浅山一伝流柔術・小山一刀流剣術の達人、相澤永長斎は、いかなる敵も掛け声一つで動けなくしてしまったという。その掛け声は稲妻よりも大きく、聞いた者は剣を交えることなくその場に卒倒したという。

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画像は甲高い掛け声を発して形を打つ力信流棒術。
岡山県畑鮎村の古の稽古では、山地一帯にその声が響き渡り、「また棒の稽古が始まった」と、それが村人たちの口癖だったという。
by japanbujutsu | 2015-06-22 17:02 | 神道無念流居合 Munen ryu
神道無念流立居合口伝

未だ門下にも示していない神道無念流立居合の口伝であるが、実技を伝承していない者には知識にはなっても実践することはできないから、ここに公開する。

そうはいうものの、実は他流の居合にも十分通用する口伝であり、その点は各流派で大いに研鑽してほしいと思う。

神道無念流立居合口伝
鞘離れ、体の締まり、手の内の冴えに心を用ゆべし。鞘離れは始はすらすらと抜き、鯉口に三寸にて鋭く抜き離す也。始より余り急に抜けば、鯉口へ切込むもの也。体の締まりは、打込みたるとき、下腹を張り、腰に力を入れる心持あり。手の内の冴えは打込む時、体につれて力を入れる心也。始終力一杯に握り詰めては、切れぬもの也。手の内を緩めるにはあらざれども、自然のやはらきある内より一段の締まりありて、切味宜しき也。修行して自得すべし。(以下略)

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何だ、大したことではないじゃないか、と言う諸君。
実はこんな基本的なことでさえ、多くの居合修行者はできていないのが現実である。
高段者の「枯れた技」こそ、本来の居合の技であると思う。
極意に達した人の居合は実に綺麗で、迫力もある。
by japanbujutsu | 2015-06-20 17:42 | 神道無念流居合 Munen ryu
伝書釈義 神道無念流目録 ⑤ 八幡尊霊

目録の最後は八幡尊霊の太刀太極図で締めくくっている。

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八幡尊霊
凡欲学兵道者必先
常可神念

太極
(太刀太極図)
陰陽

これについては『神道無念流剣術免許弁解』に次の一節がある。
神運万霊任心変化必然也。上に云、剣も手も心も法も相忘るとは、何事も我腹の内にとけ合て、只一円の太極になりたるなり。そこで精神の運動、玉をまろばす如くにして、万端を備へしたましい心に思ふままに千変万化すること必ず間違なきなり。

また、太極円の図については、
一円心より悠急に至るまでの条々、悉く心の中にとけ合て、其機に臨み其変に応して、変化自在を得へきこと、其理の深く其味の妙なること、筆にも詞にも尽されぬ故、下に神号と一円の図を出して悟らしむるものあるべし。


兵道(武術)を学ばんとする者は先ず神を念じなければならない。
by japanbujutsu | 2015-06-18 17:39 | 神道無念流居合 Munen ryu
女柔術

江戸時代の武術は武士、男の社会であるから、女は稽古ができても相伝は許されなかった。
千葉定吉の三人姉妹は北辰一刀流長刀兵法の目録伝授巻に名を連ねたが、伝書を発行したのは定吉本人である。
坂本龍馬もこの伝書を授けられているが、彼は薙刀を学んでいない。千葉佐那を許嫁にしたための義理伝授であろう。
女の武術は薙刀と鎖鎌が主であったが、時に柔術を学んだ。
もちろん護身のためである。
紹介する画像は女が二人の男に捕まった場面であるが、一人の腕を捻って背中に固めておき、もう一人を巻投げにしている。

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武家の子女には迂闊に手を出せなかった。
by japanbujutsu | 2015-06-16 17:46 | 武術論考の部屋 Study
四方投げ 

投げ技の「原則」は敵を背中から落とすことである。
したがって「四方投げ」もまた背中から落とすことが大原則である。
そのためにはしっかりと敵を投げる方向に対して背中を向けさせることが必要である。
四方投げは肩関節技であり、手首や肘の関節を決めるのは技の原理を逸脱している。
従って肘は完全に深く鋭角に屈曲させ、手は肩の後ろに来るように腕を返す(下のイラスト参照)。

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敵の腕を屈曲させずに開いて投げるような技を一部の合気系柔術でみるが、それらは正式な技法を受け継いでいない。
また、以前にも述べたが、四方投げで投げられた敵は宙を舞うことなどできない。
そんなことをしたら頭から落ちること必定である。
合気道のように宙を舞って受けるのは、予め受が捕の技を心得ているからであり、捕もまた相手が受けを取れるように投げている。
しかし、それは決して古伝の技術ではない。
最後に中澤流神伝護身術の四方投げを紹介しておく。

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by japanbujutsu | 2015-06-14 17:56 | 技法研究の部屋 Skill
伝書釈義 神道無念流目録 ④ 兵法の至極

目録の「人心」 の次は兵法の至極について書かれている。
それまでは楷書で書かれているが、この文だけは草書で書かれている。

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兵法の至極は唯こころひとつに工夫肝要なり。然は術の業は色々にあやありて、ととまる処の妙剣は中の一字にきわまりて、別の事さらになし。敵にむかへ勝負の妙道あり。一心常にこころを主人として、うちにあれは実に其屋不能入外容、一大事有之乎

文中にある「中の一字」について『神道無念流剣術免許弁解』では次のように述べている。

離於い強弱柔剛而以中一字体配之也
それ故強き弱き柔か剛きなど云ものには、とんとはなれて論することなし。ただかたよらず、まがらぬ処の中の一字を我身にひたと引受あはせるなり。中の字は一尺の物五寸を中とする意にてはなし。天地の備はりたる処を中と云也。一尺のものにて二寸の処に中の有ることもあるべし。又五寸七寸の処にあることも有べし。物をはかりに掛て、ふんどの留る処先つ中の意なり。それをいつも五寸の処を中と思へば、大なるあやまりなり。体は中庸の体群臣とある処の注に猶接納とあり。まじはるの意なり。又礼記文王世子の篇に体異性と云処の注に猶連結とあり。つらなりむすぶの意なり。配は配偶配合などの熟字ありてならぶとよみ、又あはすの意なり。さすればこの体配は中の一字を我身へまじわりつらねて一つに合すると云ふこと也。

つまり、この「中」を自分の心と一つにすれば歪みもなく、偏りもなく、天理は心にある故に真に「一円」になると説く。自分から切ったり、打ったり、捕らえたりせず、何もすることはない。それは明月が澄み渡り、万物を照らしても別にすることはないのと同じであり、これを「未発」と言って、これが剣術の至極の妙要だと説いている。

よくよく吟味すべし。
by japanbujutsu | 2015-06-12 17:50 | 神道無念流居合 Munen ryu
居合刀について考える

武術を長年にわたって嗜んでいると、さまざまな疑問、疑念が浮かんでくる。
以前から感じていた疑問の一つに「居合刀」がある。
居合刀の何が疑問かというと、刀身や拵え、つまり居合刀の姿そのものについてである。
江戸時代に居合の稽古に使ったという刀は何の装飾もない、極めてシンプルなスタイルをしている。

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             影山流で使う居合刀 装飾は何もない 下緒は鞘に巻き付けてある

以前にも述べたが、居合で使う刀は、武士が日常帯刀している大小とは、根本的に違うのである。
これは非常に重要なこと。
現代の居合人の刀はどうだろう。
大会で刀を見ると、鍔から鞘から下緒に至るまで、それはそれは豪華であり、おまけに袴まで競争の類に入っている感がある。
今の人たちが居合で使っている刀の拵えは、明らかに武士が登城する際に差している大小の「大」なのである。結論を言うと、要するにその刀は居合用ではないのだ。

本来、居合用の刀は何の装飾もなく、実用本位であり、刀身には樋も波紋もなく、刃もない(刃引き)。

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               窪田清音が使った田宮流の居合刀 刃渡り三尺三寸 総重量8.8kg

稽古では紋付きは着ないし、公用の大小も差さない。
手差しの稽古着に「居合用の刀」である。

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                   福沢諭吉が立身新流の稽古に使った居合刀の拵

技や形を継承することだけが武術の継承ではない。
肝心の刀や稽古着、形以外のさまざまな所作、道場での作法、自流の歴史や遺産、学ばなければならないことは山ほどある。
by japanbujutsu | 2015-06-10 17:10 | 武術論考の部屋 Study

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