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国際水月塾武術協会 International Suigetsujuku Bujutsu Association

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本会が伝承している武術流派と古武道全般の技法・歴史・文化などを解説します。文章・記事・写真の転載は固く禁止します。

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南蛮殺当流拳法

”忍者” 藤田西湖が伝承したとされる柔術の流儀。
私は高校時代に購入した松田隆智 『謎の拳法を求めて』 で初めてこの流儀のことを知った。
しかし、この流儀、明治から昭和の戦前にかけてまったくその実在が確認されていない。
b0287744_17401583.jpg流祖は橋本一夫斎。
戊辰戦争時、敵の鎖骨や首を鎧の上から粉砕するなどの武勇伝があるが、講談での作り話に過ぎない。
そのネタ本は明治39年に発行された復讐文庫第五編 『南蛮流柔術元祖 橋本一夫斎』。
藤田はその同名二代目一夫斎から伝授を受けたというが、時代を合わせるための作為だろう。
元は南蛮一法流柔術といい、初代一夫斎が南蛮殺当流柔術とし、三代目の藤田が南蛮殺到流拳法を名乗った。
技法は形がなく、教授の階梯もなく、技は無限に広がるといっているが、内容は空手の約束組み手の亜流と思われる。したがって、正統な古流武術の教授体系を有していない。

橋本一夫斎までの史実を追うとすれば概ね次のようになる。
そしてこの流儀は一夫斎の死を以てこの世から消えている。

流儀の大元は難波一甫斎久永が祖の難波一甫流腰廻 (捕手・柔術)。
延岡藩に伝わったのはこの末流で、単に南蛮流と称したが、これは難波の替え字に過ぎない。
延岡藩での流儀名は橋本一夫斎によって南蛮一法流とされたが、これを前記の講談本が南蛮殺当流と仕立てた。

南蛮というのは単なる替え字であるから、本来のヨーロッパや東南アジアを表す言葉とは何の関係もない。
by japanbujutsu | 2015-08-30 17:05 | 武術論考の部屋 Study
柔術の当身に用いる拳形

柔術の基本理念は「神武不殺」「殺活自在」である。

そのために多くの場合、当身に用いる拳は親指を内側に握った形にする。
これは拳そのものに力を込めることができない握りで、護身のための拳形である。
一方、空手や中国拳法に用いる拳は敵を突きで倒すための親指を外にした拳であり、固く攻撃的である。

柔術の拳で親指を中に握るのは、親指の逆を取られないためではない。
むしろ他の四指の逆を取られてしまう。
あくまでも拳に力を込めないための仮当てに用いる方法である。

中澤流護身術では終始、親指を内側にしてしている。

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最近読んだとある小説に、この拳の名前を「お友だちパンチ」と表現していたのは言い得て妙である。
by japanbujutsu | 2015-08-28 17:29 | 技法研究の部屋 Skill
中国内家拳と合気

中国内家拳(太極拳・形意拳・八卦掌)と合気柔術の 「合気」 の関係を最初に論じたのは、鶴山晃瑞氏である。

鶴山氏はその著書 『図解コーチ 合気道』 で次のように論じている。
「著者の研究では、会津藩に伝えられた”合気柔術”は中国拳法内家理論の影響をたぶんに受け入れていたことが明確となった」と。

これまで、さまざまな武道家が 「合気とは何か」 という問いに答えを出してきた。
古流の武術では 「我と敵が一体一気になるを合気」」 と言ってこれを嫌っている。
また「柳が風に折れないのを合気、風が柳の枝を折るのが気合い」とも言う。

一方、鶴山氏は「合気とは力をゼロにする」と説いている。

しかし、私が数名の師範から学んだ合気の技法を総括すると、そのいずれとも異なっている。
鶴山氏が著書で引用している鬼一法眼の言う 「来らば即ち迎え、去らば即ち送る。対すれば和す。五、五は十なり。二、八は十なり。一、九は十なり。即ちこれをもってすべて和すべし」 という言葉がもっともその真理をついているであろう。

これを稽古で習得するには、そのための合理的な養成法を必要とするが、実は柔術にはそのような稽古法がない。形の中で自得していく以外にないのである。
逆に言うと、合気はどのような柔術の中にも、その形を正しく打つことができれば合気はその中にあるものである。

その合気を具体的に養成する方法に太極拳の「推手」がある。
このことを指摘した人はこれまでいないだろう。
否、いるかもしれないが私は知らない。
鶴山氏が会津の合気柔術が内家理論の影響を受けたと言っているが、それはあり得ない。
しかし、両者の関連に気付いたのは氏が内家拳と大東流の両方を修行したからであろう。

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両者には何の関係もないが、武術の技法上の理論の中に、確かに共通するものがある。
その具体的な合気というもののヒントを実技を交えて当協会のルーマニア支部長(武田流合気之術師範)に教えた。
あとは実技の中でどう表現できるか、である。

なお、鶴山氏説を感情論で否定している人たちは多いが、彼の合気諸派に対する歴史的見解は、大東流会津御式内説を除けば、概ね正しいことを言っている。また、大東流の源流を会津藩伝浅山一伝流とする説はまったく論証が得られない。

合気には 「触れずに倒す」 などという摩訶不思議な技はない。
柔術を志す者は、受け身からしっかりと稽古し、形を理論を交えてしっかりと教える道場で学ぶべきである。
by japanbujutsu | 2015-08-26 18:40 | 武術論考の部屋 Study
武田流合気之術は古武道ではない Takeda Ryu Aikinojutsu is not Kobudo.

Please translate people except the Japanese into the language of each country.

先日、ルーマニアでのセミナーの折、会話の中で 「武田流は古武道です」 と真剣に話す人がいた。
海外にはその真実を調査する環境がなく、ただ説明されたことを盲目的に信用しているだけだから、そう主張するのも無理はない。
第一、日本でこの武術を教えている人たちでさえ、そう主張しているのだから。

「武田流合気之術は古武道ではない」 とここで説くのは流派の誹謗でも、中傷でもない。
したがって武田流の武術としての良否には一切触れない。
創作武道にも優れたものはいくらだってある。
これは私自身、この流派を昭和50年代に修行していた事実もあり、二人の師範よりかなり深い部分まで教伝を受けており、宗家伝承の秘技”梟師固Takerugatame)” も教えを受けた。

ここでは海外で真剣に稽古をしている人たちのために正しい歴史を提供するのみである。
今後、これ以上、創られた歴史が流布しないように。

まず、武田流合気之術の歴史は竹内鬼角斎信義という人物によって創られた。
この人は戦後、幾多の柔術流儀を学び、自らもいくつかの流儀を創作(武風流骨法など)している。
北九州市八幡に住んでいて(のちに広島に転居)、綿谷雪氏とも交流があったから 『武芸流派大事典』 を見れば、彼が創作した武術がいろいろ出ている。佐藤金兵衛氏に武田流を紹介したのも彼である。
さて、その創作された武田流の歴史は簡単に書くと以下のとおりである。

大祖を日本武尊とし、始祖の新羅三郎義光からの伝承により、武田義清を流派の初代とし、24世武田信虎に至る。信虎は、その第九子信友に伝え、天文10年(1541)、信虎がその子信玄に追われて駿河の今川義元に頼ると、武田流を信友の長男勝千代(26世)に伝えた。勝千代は九州に走って黒田家の食客となって同地に武田流の秘伝を伝えた。のち43世の大庭武幸(号一翁)に伝わり、大庭は昭和20年秋に、この伝統の秘術を一般公開した。

以上は竹内信義が綿谷に提供した文面(要約)で、これが武田流関係者の拠り所となった。
武田家に関する歴史は武田流の伝承を除けば正しいかもしれない。
つまり武田家の一系譜に武田流の伝承を肉付けしたのである。
当然、戦国時代の武田家には柔術など伝えられていないし、合気之術なるものが存在する可能性も皆無である。

武田流を幕末の武田家当主武田忠勝から伝えたとされる中村合気斎翁吉は本名を中村応吉といい、武田家に婿入りして武田応吉となる。応吉はもちろん武田流という実体のない武術は学んでいない。彼は最初、扱心流体術を浜与四郎に学び、後ち自剛天真流を竹田乙麿に学んだが、実際には竹田の後見人猪俣氏から相伝を受けている。また彼は楊心流を独自に研究して楊心大和流殺活術を開いた。

戦後、突如として福岡に現れた大庭一翁の武田流合気之術は、大庭がこの中村応吉から学んだというが、応吉はその生涯において一度も武田流合気之術なるものを名乗ってはいない。

武田流に名を連ねる内田良平、中野正剛、宮川一貫などの各氏は、右翼団体黒龍会のメンバーとして応吉が養成した者たちであり、彼らは皆講道館柔道を福岡県に普及した人たちで、政治的繋がりによる人脈であり、戦前に実体のなかった武田流なるものとは何の関係もない。もちろん大庭も巨人頭山満の薫陶を受けた国士である。
中村が武田家に養子に入ったことにより、福岡の武田系図を引っ張ってきて、武術の伝脈に利用したのであろう。
武田流はその後、福岡から東京に移住した中村久氏により、学生層に広く普及した。そして新たに武田流中村派を興してその宗家となり、合気道を競技化した功績は大きい。

武田流の母体となったのは明らかに八光流である。大庭が上京し、世田谷区松原町に聖武殿を建設して武田流を教え始めたときの初期の門人に山村義孝寿翁がある。私は学生時代、縁あって彼の麻布にあった道場を訪れ、稽古を見学させていただいたが、そこで稽古されていたものは八光流そのものであった。もし、私が当時、そこで見た柔術がそれまで見たこともなかった”合気之術”であったなら、入門していたことと思う。しかし、このとき山村氏からは藤田西湖伝の一伝流捕手(一尺二寸の短棒術)を学んだ。山村氏は武田流合気之術を名乗りながら、道場では世間受けするように”合気道”として教えていた。

その後、山村氏の麻布道場の消息は聞かない。山村氏は武田流の成立期に当身の大成に尽力し、著書もある。彼は中国の経絡を引用して、これを武田流の当身理論に仕上げた。武田流合気之術に使用する急所の数が657箇所もあるのはこのためである。

その後、武田流は進化を続け、昭和40年代、50年代と内容が変化していった。それは学んだ年代が異なる人たちの技や体系が、それぞれで異なっていることからもわかる。現在では武田流と称して八光流をしている人たちはいないだろう。

私は佐藤金兵衛氏伝を西郡師範に学び、さまざまな口伝「神経遮断の術」「野中の幕」「ほぞち打ち」「秘の打ち」「欄干落とし」等々を受けた。武田流杖術は九鬼神流から採用されており、三尺五寸の半棒を使う。これも全伝を受けた。もちろん現在は放棄しているので、だれにも教えていない。しかし、武田流の合気はわが協会の柔術制定形に多く採り入れている。
このうち「秘の打ち」は大庭からプロレスラーの力道山に教えられた。

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以上に見てきたように、武田流合気之術およびその関連武術については、戦前までの相伝の実体が皆無であり、戦後創作されたものであることがわかる。これは決して新しい創作武道であるから悪いとか、ダメだとかいうものではない。武田流の師範の中には素晴らしい技を使う人もいる。
ただ、その歴史について武田家からの流れを主張することはよくない。今後、伝承させていくためにも、正しい史観を以て、正しい武術の歴史を築いてほしい。歴史に偽りがあってはならない。

もし、諸賢の中で、武田流合気之術が正統な古武道であると主張する人がいれば、良識を以てその存在を立証する戦前の資料を添え、ご教示いただきたい。訂正は吝かではない。
by japanbujutsu | 2015-08-24 17:47 | 武術論考の部屋 Study
熱意

習い事というものは何に限らず熱意がない者は大成しない。
さだまさしが歌っているように「強い夢は叶う」。
そのことに熱意のない者がどうしてそれを稽古しようとするのか、まったくもって理解できない。
日本で古武道を学んでいる者の9割以上(独断による数値)は、古武道に興味がない。
これほど矛盾していることはないだろう。
興味があれば、自分の学ぶ流派のことを調べるし、歴代の相伝者くらいは暗唱できるはずである。
古武道の師範は自分の弟子に「自ら学ぶ」ことを強制も奨励もしない。
そんなことでいい弟子が育つわけがない。

海外で講習会をする。
今回のベルリンでは参加したのはほとんど有段者。
意識が高い人たち。
「熱意」が不足している者たちはバカンスに行ってしまう。
これでは正直、古武道なんか習わない方がよい。
だって、私の直伝は年に一度しか受けられないというのに、その一度に参加しないのだから。

免許皆伝を受けるまで、稽古や演武会には皆勤し、道場に尽くし、門人同士で親和を深める。
そして免許を受けたら、今度は自分が弟子を取って教える。
これが古武道を学ぶ者の責務である。
これができない流派、道場は潰れる。
日本人の伝統文化に対する興味の喪失と、文化を学習する資質が下がったのは、すべての日本人の責任である。

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ベルリンでのセミナーに国を越えて参加するハンガリーの「熱心なメンバー」。
by japanbujutsu | 2015-08-22 17:21 | 武術論考の部屋 Study
伝書研究 Study of the densho

われわれはすでに江戸時代の武士から直接教えを受けることはできない。
したがって、その継承されていくべき技法(形)、理論、伝書、故実(文化や歴史を含む)などは、時代が経つにつれ、内容がどんどんと削られていく。
すでに江戸時代の教え、すべてそのままに継承している流儀など全国のどこにもない。
しかし、できるかぎりの努力をなして、少しでも多くの内容を後世に残していくのが流儀の後継者としての責務である。

流儀の教えの中で、正式な古流であれば、「江戸時代の伝書」を入手することが可能である。
そしてその伝書を研究することによって、少しでも流儀本来の姿を理解しようとすることは現代のわれわれにとっては重要な作業である。
ところがどうだろう。
古武道の師範といわれている人たちの「ほとんどは伝書に興味がない」。
この事実に驚かずして、何に驚けばいいのだろうか。
技以外、自分の流儀のことを何も知らない。
それはすでに「古流」ではなく「古武道」でもない。
古流の技を稽古している「現代武道」である。
歴史や文化を背負ってこそ古流なのだから。

今回、ルーマニアのセミナーで、ホストとして動いてくれたルーマニア支部長のC.ライバー氏は武術の歴史や文化にも非常に造詣が深い。
日本語も会話こそうまくはできないが、文章を読み、内容を理解することができる。
非常に研究熱心な師範である。

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写真は食事の合間に私から伝書の説明を受けるライバー氏。
日本人の奮起を願いたい。
by japanbujutsu | 2015-08-20 17:19 | 武術論考の部屋 Study
2015 ドイツ・ベルリン支部セミナー

ルーマニアに続いてドイツのベルリンでセミナーを実施した。
こちらは8月初旬の開催のため、ドイツではバケーションの真っ只中にあたり、参加したのはほとんどが意識の高い有段者であった。
ドイツの他にはデンマーク、チェコ、ハンガリーからの参加者も見られた。
初日は全員が日本柔術、2日目は古流を選択制にして個別指導した。

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by japanbujutsu | 2015-08-18 17:20 | 演武会・講習会 Seminar
袴着用時の柔術稽古用帯 Wearing of the obi in the jujutsu.

国際水月塾武術協会の海外セミナーでは、誤った武術文化の伝承がこれ以上拡散しないように、技以外にもいろいろな教育を施している。

例えば、
1 体育館に下足で入ってくる。
2 畳の上に靴やソックスを着用したまま上がる。
3 アクセサリーを着けたまま稽古をする。
4 袴の下に柔道用の下衣を着用していない。 
5 Tシャツで稽古する。 
6 袴の下に稽古帯を着けている。

などを何の疑問もなく行っている。
今回のセミナーでは、これらをすべて正した。
ここでは6について述べる。

袴の下に稽古帯を着けるのは合気道がその始まりであろうか。
とにかく腹の前に大きな ”瘤” ができて見苦しいし、袴が出張っていやらしくもある。

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柔道スタイルにそのまま袴を着けてしまうから、そのような見苦しいスタイルになるのである。

稽古帯は着衣の一番上に着けるのが正しい。
だから、袴を着用すれば、袴の上から締める。

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合気道と同じ大東流から出た八光流柔術では袴の上から稽古帯を締めている。
これが正しい。

稽古帯は幕末期に普及し、諸藩に及んだ。
古流には形にも乱取りにも帯を掴む技があるから、稽古帯は一番上に締めなければならない。

以下に示す画像は明治末期に創流された神道六合流柔術と、明治期にドイツに伝えられた柔術における稽古着姿である。

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ともに袴の上から稽古帯を締めている。
by japanbujutsu | 2015-08-16 17:03 | 武術論考の部屋 Study
ルーマニア支部でセミナー 2015.7.31~8.2

本年度の夏のセミナーがルーマニアのブカレストとドイツのベルリンで開催された。
本日はブカレストセミナーを報告する。

初日は天道流杖術を、2日目は天道流剣術と日本柔術、3日目は日本柔術を教伝した。
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厳しい稽古の後は和やかに。
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by japanbujutsu | 2015-08-14 17:40 | 演武会・講習会 Seminar
小笠原流実検秘術 3

前回の続き

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一同鬢水も北の方よりくみ取へし。もし方角わきまえられす思侭に不成時は何方の水にても不苦。此時は水中に北の字をゆひにて書へし

伝書の相伝人は、小笠原兵部太輔から同壱岐守、さらに大嶋略見入道となっている。

鬢水とは、鬢のほつれを整え、つやを出すために櫛につける水で、伽羅の油やサネカズラを浸した水を用いる。

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画像の左下にあるのが櫛と鬢水入れ(紅ミュージアム蔵)
by japanbujutsu | 2015-08-12 17:00 | 秘伝書の部屋 Secret densho

by japanbujutsu