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国際水月塾武術協会 International Suigetsujuku Bujutsu Association

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本会が伝承している武術流派と古武道全般の技法・歴史・文化などを解説します。文章・記事・写真の転載は固く禁止します。

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居合における鞘捌きのこと

林崎夢想流(新夢想林崎流・林崎新夢想流)の絵伝書を見ると、かつての居合の稽古がどのようなものだったか、大凡のことは把握できる。

現在、林崎夢想流は三系統が実伝として継承されている。
さらに若い人たちのグループが熱心に弘前藩伝の復元に努めている。
ちなみに弘前藩伝は実伝が東京の笹森家に伝えられているので、それは尊重しないといけない。

この林崎夢想流の系統(一宮流・関口流・田宮流・無楽流など)では本来三尺三寸の「無反り」の居合刀を使用する。

それは絵目録を見ても明らかである。
そして、このような絵目録はいろいろなことを現代に教えてくれる。

まず、抜き付けの際は、鞘が垂直に立つほど鐺を高く上げる。
そして、敵に斬りつけるとき、その鞘は背(後ろ腰)に廻す。

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現存している系統でこの動作をしっかりと継承しているところは一つもない。
抜いた後、鐺が床を打つので、大きく鞘を前に引き出している。
しかし、古伝にはこのような鞘の捌きはなかったものと思われる。

これはあくまでも絵伝書を忠実に述べただけで、もとより確信はない。
古伝の居合を探究する一資料として提示するのみである。
by japanbujutsu | 2015-10-30 17:50 | 武術論考の部屋 Study
無反り刀

これは小太刀対太刀の形であるが、打太刀の太刀をみると無反りの直刀を使っているのがわかる。

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現在、居合、剣術の稽古で無反りの刀を使っている人は全国にどれほどいるだろうか。
全剣連、全居連は、そんな刀を使うことは許されないだろうから、ほとんど壊滅である。
しからば団体に加盟しない古流はどうか、古流でさえも無反り刀を使っているのは見たことがない。

これもまた、文化の消滅である。
みなさん、古伝をもっと調べ、正しい姿に戻してみたらいかがだろうか。
全剣連加盟の八流派は最早、手の施しようがないから、こんなことを言っても百人が百人、馬耳東風だろう。

連盟のルールにマインドコントロールされてしまった人たちにはどんな金言も猫に小判である。
全剣連加盟の八流派に古伝そのままの居合を稽古している流儀は一つもない。
by japanbujutsu | 2015-10-28 17:36 | 武術論考の部屋 Study
現存する関口流抜刀の相伝と内容

正真正銘なる関口流抜刀の現存系統は、全国で肥後熊本藩伝だけである。

系統は敢えて伏せるが、その他すべての系統は復元、あるいは創作であり、師から弟子への正しい相伝が行われたのは熊本藩伝のみである。
しかも、その相伝された古伝の形は居合(座形)の十一本だけである。
そして、その十一本を伝えたのが、青木規矩男であった。

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だから古伝の関口流抜刀を今に伝えたのは青木のみであり、青木と同門の他の師範もその門下に免許皆伝者を出すことができなかった。

その青木でさえも新作形を付加しているのであり、現在伝えられているところの青木の流れを汲む諸派で行われている十一本以外の形はすべて昭和の時代に付加されたものである。

その新作形については歴代師範の成果であるので、我々はそれを正しく伝えていく責務があるが、それが江戸時代から相伝されてきた形ではないことを知るべきだろう。

なお、西尾藩伝の新心流居合は幕末の坂田茂平次を以て絶えている。
by japanbujutsu | 2015-10-26 17:34 | 関口流抜刀 Sekiguchi ryu
方圓流捕縄結様之図

この資料が掲載されているのは明治26年9月10日発行の『風俗画報』(第58号)である。

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愛媛県士族武知善政氏の祖父、武知吉太夫善定は、伊予大洲藩主加藤遠江守の臣下で武芸を以て顕れ、諸藩中にも門人が頗る多かった。

特に捕縄に詳しく、その門人は数百人を数えた。
武家・庶民・長袖婦人などそれぞれに法度があり、ただ縛ればよいというものではない。
すべて身分に随わないときは、捕らえる者も、捕らえられる者もともに恥辱となる。

流儀により形はいろいろあるが、概ね意図するところは同じである。
この資料は武知氏より奎星館山寺鐘夢に寄せられた方圓流の紙雛形十八法を図にして考古家の一覧に供したものである。
by japanbujutsu | 2015-10-24 17:37 | 武術論考の部屋 Study
訪問先では大刀を外すこと

現実的には室内において大刀を差す想定はないのだから、大刀による抜き納めを行う居合術なる武術はあくまでも稽古場内に限っての技術鍛錬のための方便なのである。

居合においては 「抜く」 技術を第一義とするが、術としては 「抜いて切る」までが命である。
その動作を足腰がもっとも不便な座った状態から行うのは、あくまでも運刀法を学ぶための仮の想定であることを知らなければならない。

だから殿中居合なるものはおろか、その他一切の得物を使う武術の技が殿中において実際に起こりうる可能性はほとんど皆無である。

紹介する絵は『小笠原流躾方百ヶ條』 の挿絵であるが、客人の武士は自分の大刀を控えの付け人(下人)に預けているのがわかる。

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江戸時代の侍は身丈が小さいので、絵を見ると大刀を差しているように見えるが、帯刀は脇差である。
勘違いしないように。
by japanbujutsu | 2015-10-22 17:11 | 武術論考の部屋 Study
四天流剣術

四天流は組討(柔術)を主とし、居合、剣術を含む。

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戸田流剣術が母体であるが、流祖成田清兵衛は二天一流を寺尾求馬助信行に学び、二刀を加えた。
昭和の初めまで宮崎県の力行館で江夏金太郎が伝えていた。
二刀術の形は『武徳全書』に紹介されている。
江夏の伝は全滅してしまったのだろうか。
あとは熊本に柔術が残るのみである。

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ここに紹介した伝書の差出人、山川半八定矩の相伝系譜は不明である。

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四天を東方剣之事、南方剣之事、北方剣之事、西方剣之事に象り、これを悪魔降伏剣と称している。
by japanbujutsu | 2015-10-20 17:36 | 秘伝書の部屋 Secret densho
楊心流薙刀


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楊心流薙刀について公開されている流儀の記述はつぎようなものである。

元和六年 (1620) 宗茂が旧領の筑後国柳河藩に転封されると楊心流は柳河藩の御留流とされ、中でも薙刀術は殿中に仕える女中の護衛武術とされたとする。
その継承は、一子相伝の流派が多くある中、実力によるものとし、薙刀を中心に継承されてきた。
その伝統を受け継ぎ、演武においては振り袖着物姿に襷掛けで白足袋を着用し、襷や鉢巻きは包帯に代用するため、布を縁取りしないものを使用している。


もう、滅茶苦茶な記述である。
どうすればこのように杜撰なことが書けるのか不思議ですらある。

1 元和六年に楊心流が柳河藩の御留流となる?
まず江戸期の武術に御留流などというものが存在した記録は皆無である。
次に、楊心流の実質的な祖である大江専兵衛は寛文十年(1670)に伝書を発行しており、1620年に流儀がすでに他藩に定着している可能性はほとんどない。しかも当時は楊心流に薙刀はなかった。

2 殿中に仕える女中の護衛武術?
幕末の風雲急を告げる時代と勘違いをしているのではないだろうか。

3 その継承は、一子相伝の流派が多くある中、実力によるものとし、薙刀を中心に継承されてきた?
実力のある女中が流儀を継承したのであろうか。
武術史をもっと真剣に学んだ方がよい。
楊心流の江戸時代における相伝の中で、薙刀が中心となったことなど一度もない。

4 演武においては振り袖着物姿に襷掛けで白足袋を着用し?
江戸時代に柳河藩でこのような演武が実際に行われた記録があったらぜひとも拝見したいものである。

まことに残念なことに、本来は男薙刀であった楊心流薙刀に現在は男使いが残っていない。

なお、当たり前の常識であるが、日本の古流武術には宗家制度はない。
楊心流もしかりである。
女性に宗家が移ったとしているが、流儀を継承したのが女性であるだけで、それを宗家と勘違いしてはいけない。



 
by japanbujutsu | 2015-10-18 17:51 | 秘伝書の部屋 Secret densho
無双直伝流 滝澤武太夫の墓碑

松代藩領内武術史跡探訪。
次に訪問したのは旧埴科郡豊栄村明徳寺。

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ここには無双直伝流二十五代師範滝澤武兵衛登愛の墓碑がある。
また、その左隣には同じ無双直伝流の別系師範井口権九郎広綱(傳雙道無居士)の墓碑もある。

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しかし、残念なことにその建立年月日がわからない。
これは武兵衛の没後、何年かしてから門人によって建立されたものである。
さらに残念なのは土台や周囲の墓地が荒れ放題で、これでは先哲も報われない。
きれいに造成してやりたいものである。

ところで、滝澤武兵衛の実際の墓はというと、その身内が滝澤家墓地に建立している。
それを案内人がだれも知らなかった。
滝澤家の墓地が上の方にあるというので見に行くと、新しく造成された滝澤家の墓地のすぐ下に滝澤家の古い墓があり、その一つに「直傳本流居士」(滝澤武兵衛の戒名)の墓があった。
第一発見者は筆者である。

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建立年月日は没年の天保4年(1833)10月16日(本日が命日)で、しっかりと墓に刻まれている。
こちらが元々の墓であるが、小さくて目立たないので、後年、門人達が協力して、下の別の場所に立派な墓碑を建てたのである。
by japanbujutsu | 2015-10-16 19:08 | 武術論考の部屋 Study
難波一甫流 高橋猪兵衛(亥兵衛)

この伝書の発行人、高橋猪兵衛満政は、かの有名な拳骨和尚武田不遷物外の難波一甫流における師匠である。

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内容を見ると、八重垣流剣術が並記されている。

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高橋はまた渋川一流柔術の祖、宮崎儀右衛門満義の師とも推測されるが、確証を得ない。
両者の諱に共通する文字「満」と時代が合致することからの推定である。

後考に待つ。
by japanbujutsu | 2015-10-13 17:23 | 秘伝書の部屋 Secret densho
船海微塵流柔術 SenkaiMigin Ryu Jujutsu-Takada Ryu

甲州(現山梨県)に伝えられた柔術の一つに船海微塵流という一風変わった名前の流儀がある。
江戸の中期には野州(現栃木県)に伝播し、宇都宮藩校修道館で教えた。

船海微塵流の元は玄海流で、海のイメージを継承したのだろう。玄海流の母体は無双直伝流であるから、元は信州伝である。

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流祖の坂田重信の経歴は不明であり、二代目の高坂政光、三代目の山本義清はともに高坂弾正、山本勘助を彷彿させる名前である。

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しかし、地元の山梨には一切の史料が存在しない。
武術の伝脉とは所詮そのようなことが多い。

詳細は『水月』で検討する。
by japanbujutsu | 2015-10-11 19:58 | 秘伝書の部屋 Secret densho

by japanbujutsu