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国際水月塾武術協会 International Suigetsujuku Bujutsu Association

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本会が伝承している武術流派と古武道全般の技法・歴史・文化などを解説します。文章・記事・写真の転載は固く禁止します。

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柳剛流のふるさと丸森を訪ねる(3)

柳剛流の最盛地、丸森には明治から大正期にかけての師範の頌徳碑が六基もある。

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村の各地区に師範がいて、それぞれが数十名の門人を抱えている。

村の若者(当然男のみ)は、ひ弱でない限りだれもが稽古した。
広島県坂町の渋川一流も、宮城県仙北の柳生心眼流もまったく同じ状況である。
筆者が地方における古流武術の最盛期は明治~大正期にかけてであるという所以である。
明治維新を境に古流は廃れたなどというのは大都市部だけの現象である。

角田市長泉寺山門前にある流祖岡田惣右衛門の頌徳碑も見てきた。

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by japanbujutsu | 2016-03-30 17:07 | 柳剛流兵法 Ryûkô Ryû
柳剛流のふるさと丸森を訪ねる(2)

佐藤金三郎一門集合写真


この写真は柳剛流修行者にとっては宝物である。

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佐藤金三郎は写真の前列中央、白髭の古老。
佐藤健七先師の父で柳剛流五代目師範。
健七先師は前列左端。

この写真は頌徳碑が建てられた大正12年に撮影されたもので、金三郎は当時七十一歳。
生前に建てられているので寿碑である。

碑文はいずれかの機会に紹介する。
by japanbujutsu | 2016-03-28 17:26 | 柳剛流兵法 Ryûkô Ryû
柳剛流のふるさと丸森を訪ねる(1)

先日、初めて柳剛流兵法のふるさと、宮城県伊具郡丸森町を訪ねた。

武術関係で宮城県を訪ねたのは二十数年ぶりだろうか。
宿は福島県の伊達市にとり、19日(土)の朝、宮城県で最後の柳剛流伝承者である佐藤正敏先生宅を訪ねる。

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佐藤先生のご自宅は大張川張地区のすごい山の中であり、代々続く土地に大変立派な邸宅を構えておられた。

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当日は町の教育委員会や大張自治運営協議会からも関係者がお見えくださり、有意義な時間を過ごした。

先生は足を悪くされており、稽古ができないということで、福島県から剣道七段のご子息さんを呼んでくださり、私がかつて学んだ柳剛流の形を敷地内にある道場 「正心館」 で体験してもらった。

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いつの日か、この正心館で柳剛流の稽古が復活することを願っている。

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居合は時間の都合で指導はできなかったが、演武だけさせていただいた。

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by japanbujutsu | 2016-03-26 17:40 | 柳剛流兵法 Ryûkô Ryû
捕縄人形

水月塾関西支部長の山根氏が先日、本部の稽古に見えた際、力信流の伝書と同じ竹籠に入っている捕縄人形を持参してくれた。

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力信流に捕縄があったのは筆者も知っており、大長九郎先師も捕縄を伝えていた。
しかし、伝書にはその記載が見られない。

その捕縄人形の数はすごく、これを覚えるには相当の年月を必要としたことが推察できる。
だからこそまたその失伝を防ぐためにも、その縄筋を保存する工夫が必要だったのである。

それぞれの捕縄形についての詳しい解説は山根氏に任せるとして、ここではその一部を画像で紹介したい。

通用縄 重き方

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武士くくり
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by japanbujutsu | 2016-03-24 17:12 | 技法研究の部屋 Skill
空手と琉球衣装

大勢に流されるというは、文化・文芸の分野でもよく見られることである。

空手が大正時代に沖縄から本土に伝えられると、アッという間にその稽古着が講道館柔道と同じスタイルになってしまう。
柔道着はつかみ合うので厚いが、空手はつかまないので薄い生地で作るようになった。

当初の空手着は柔道と同じように、下衣は膝上寸だったが、次第に膝を覆うようになり、今では脛のあたりまで長くなっている。

下の写真は膝までの長さだった時代。

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それがフルコンタクト系の空手では裾がすっぽりと足を覆い隠すほどの長さになってしまった。

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これに影響されて、沖縄の空手家までが、本土の稽古着に倣うようになってしまったのは完全に文化の喪失である。

エイサーに見られるような琉球衣装があるにもかかわらず、なぜそれを着てやらないのか、不思議でならない。

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琉球衣装の方が襦袢と猿股の下着姿よりはるかに格好良いだろう。

こちらも文芸復古してほしいと願う。
by japanbujutsu | 2016-03-22 17:13 | 武術論考の部屋 Study
古流柔術の稽古着

渋川一流柔術の明治時代に書かれた備忘録に、図入りで稽古着を描いている。

それは、袴・猿股・襦袢・帯の四種である。

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これで明治時代の当流では、袴をはいて稽古をしていたことが判明する。

おそらく袴を省略してしまったのは、地方に講道館柔道が普及した大正~昭和戦前にかけてのことだろうと推察できる。

私が学んだ柔術(柳生心眼流・浅山一伝流・渋川一流・大和道・柴真揚流・西法院武安流・その他)で、師匠が最初から袴を着用していたのは柴真揚流ただ一流であった。

各時代には風潮というものがあり、仕方がないといえばそのとおりである。

そしてまたルネサンスという言葉がもし日本でも通用するならば、今、我々は武術界にルネサンスを起こさなければいけない。

下の写真は昔の男性の下着。

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講道館柔道は下着姿で稽古をしている。
by japanbujutsu | 2016-03-20 17:41 | 武術論考の部屋 Study
鎌は剣に勝てるのか?

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九分九厘勝てない。

以上。
by japanbujutsu | 2016-03-18 17:27 | 秘伝書の部屋 Secret densho
烏天狗の葉団扇

烏天狗が左手に持っているのは葉団扇である。

本来は羽団扇であるが、ここではヤツデで描かれている。

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烏天狗はこの葉団扇をいったい何のために持っているのだろうか。

その目的は三つ。

① 敵から身を隠すため
② 盾として
③ 風を引き起こして天に舞い上がるため

である。

これを小太刀にしたのが二刀流。

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小太刀のオリジナルはこんなところにもある。
本来、小太刀はあくまでも「防御(受け)」のためのもの。
大刀がないときだけ攻撃に転じるのである。
by japanbujutsu | 2016-03-16 17:05 | 武術論考の部屋 Study
朱鞘のこと

筆者は幕末が大好きである。

武士に主義主張が生まれ、下級武士が活躍できる時代であるから。

このころになると、刀の規定も崩れ、講武所流の黒鞘は勤皇党に嫌われ、彼らは白柄朱鞘の長い差料を帯びた。
筆者はこの白柄朱鞘の居合刀を愛用している。

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巷の一説によると、朱鞘は浴衣に合わせるものであるという。
少し違うのではなかろうか。
まず浴衣姿では帯刀しない。

夏に朱鞘を用いる理由はきちんとある。
夏は暑いため屋敷の中で涼んで外へ 出ると、暖気によって鞘の内部の温度が上昇し、結露して錆の原因になる。
その熱対策として夏は黒鞘ではなく朱鞘が用いられた。

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だから浴衣姿で朱鞘を差したのではなく、朱鞘は鞘に熱を籠もらせないための 「刀の浴衣」 なのである。

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公務以外で朱鞘が好んで用いられたことは諸文献で知れるところである。
by japanbujutsu | 2016-03-14 17:43 | 武術論考の部屋 Study
他流の意味を我が流に加えてはならない

オーストラリアで柳生心眼流を熱心に修行している人たちがいる。
海外では日本人が見向きもしなくなった古武道を必死に学ぼうとしている人たちがいる。
それは非常に結構なこと。

しかし、先日、その代表者のFBに変梃なことをしている画像が出ていた。
兵術柔(拳法)を小太刀を差して、しかも居捕でやっているのだ。
なぜか訪ねたら、警官の銃の技として使うためだという。
とんでもないことである。
公開をしなければまだいいのだが、FBは世界中に流れている。

柳生心眼流では他流(現代にあっては他の格闘技や戦闘技術も当然含まれる)の意味(理論・技法)を流儀に混ぜることを固く戒めている。
つまり簡単に言えば、古伝をそのまま伝えなさい、ということである。

柳生心眼流伝書の起請文に、

一 他流の意味を以我流へ混雑仕間敷事

と、その第一条に書かれている。

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多分、彼らは免許皆伝に至ってなく、あるいはこの起請文を提出していないのであろう。
古武道をどこまで、どのように海外に伝えるか、これは難題である。
まだ、この程度なら許容できるのかもしれない。
ヨーロッパにおける 「忍術」 の誤解の酷いこと、これなどはもう取り返しがつかない。
by japanbujutsu | 2016-03-12 17:34 | 武術論考の部屋 Study

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