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国際水月塾武術協会 International Suigetsujuku Bujutsu Association

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本会が伝承している武術流派と古武道全般の技法・歴史・文化などを解説します。文章・記事・写真の転載は固く禁止します。

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謎だらけの柳生心眼流

柳生心眼流の系譜には謎が多すぎる。
たとえば今回紹介する伝書の系譜には、星貞吉の伝書に登場する小山左門系の相伝者が誰も出てこない。また、柳生心眼流の最盛地であり、柳生志限流発祥地でもある栗原にも近いが、これら三流儀に接点は見いだせない。

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伝書の発行者、行澤秀嗣は幕末から大正期まで教授しているから、この系統の柔術も残っていてよさそうなものである。星貞吉の柳生心眼流との大きな違いは、行澤の系統が柳生心眼流古伝の居合を伝承していることである。なお、行澤は神明流の師範でもあるが、この流儀も実体を知ることができない。

ちなみに大貫村は、昭和29年まで宮城県遠田郡の北東部に存在していた村で、現在の大崎市田尻大貫・田尻蕪栗にあたる。星貞吉の迫町新田ともほど近い場所である。
 
それにしても流祖竹永隼人の前に書かれている宮本時之助とは何物であろうか。
by japanbujutsu | 2016-04-30 17:33 | 柳生心眼流兵術 Shingan ryu
『関口流柔術自在』

明治時代には、都市部で滅び行く古流武術を何とか後世に残そうと、賢明に形を書籍にして刊行した。

そのうち、ほぼ完璧な形で流儀のすべてを残すことに成功したのが天神真楊流柔術である。
正しく『天神真楊流柔術極意教授図解』 は同流のバイブルとなっている。

一方で、関口流天羽派もまた幾多の技法書を出版した。
著者は久松定基。
しかし、悲しいかな、こちらは完全に失伝してしまった。
明治時代にどれほど稽古されていたのかも定かではない。

そしてもう一つ日詰忠明なる者が著した 『関口流柔術自在』 という本がある。
これは紀州伝かなと思いきや、やはり天羽派の解説書である。
久松と日詰は別人であろうか。
この本には女子柔術が解説されているが、強烈な投げ技を含んでいたりして、到底女子の護身術には使えないものばかりである。

下のイラストは「仕間之事」という形。

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敵が帯を掴んでくるのを、金的を蹴って外す。
by japanbujutsu | 2016-04-28 22:16 | 武術論考の部屋 Study
竹刀による形稽古

竹刀による形稽古といえば、何よりも蟇肌撓を用いる新陰流が知られている。
今でも力信流では袋竹刀で形を打つことがある。
しかし、基本的には形は木刀で打つ。

また、江戸初期においては袋竹刀による素面・素小手の試合も広く行われていた。
現在の剣道のような固い竹刀は、江戸中期から次第に普及し、この撃剣で使う竹刀は形稽古では使わなくなった。

しかし、明治になって、撃剣の体操化が試みられると、再び竹刀で形を稽古する風潮が見られるようになる。
それも一風変わった竹刀である。

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三十年以上前だろうか、筆者はこの竹刀を骨董市で見たことがあったが、購入しなかった。
資料として購入しておけばよかったと後悔している。

さて、変わった竹刀による形稽古は『新案撃剣體操法』(M29)で紹介されている。

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何流が元になっているのだろうか。
非常に優れた形・技の数々が紹介されており、これを見て実習することも大いに意義があることと思う。
by japanbujutsu | 2016-04-26 17:39 | 技法研究の部屋 Skill
楊心流血脉

血脉は 「ケチミャク」 と読む。
中国での用語。
元の意味は、血のつながった家系一族をさしたが、それが次第に敷衍し、仏教界において、在家の信者に与える仏法の教えの伝承系譜図をさすようになった。

これがわが国、武術の伝承方式に影響して、その歴代相伝者を血脉とよぶようになった。
武術の伝承が家族の血の繋がりと同じ、あるいはそれ以上であるほど意味深く、重要であったことがわかる。
系図に朱線を施し、歴代の姓名を繋げるのもここから来ている。

楊心流柔術を例とすると、
初代とされる秋山四郎兵衛永春は「殺活開祖 天真正」とある。
天真正は神格であるから、殺活は夢想で開眼したという意味であり、秋山の実在がここでもやはり疑問視されるところである。

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実質上の流祖は二代目の大江専兵衛義時であり、「楊心流視観」とある。
視観とはどういう意味だろうか。
三代目以降は「真卯」という、これまた意味不明の肩書きが付いている。
by japanbujutsu | 2016-04-24 17:46 | 武術論考の部屋 Study
『警視流居合』テキスト
後半は居合論考になっています。

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初版限定30部
A5版、72ページ
頒価 3,500円(送料込み)
番号入り
転売転載厳禁

ご入用の方は、住所・氏名・電話番号・部数を明記して、以下の申し込み専用e-mailへ
本と一緒に振替用紙を同封しますので、到着後3日以内に送金してください。 

suigetsujuku@bh.wakwak.com
by japanbujutsu | 2016-04-23 14:30 | 出版・広報 Public info.
今の居合の稽古と何が違うのか?

ここに江戸時代の武術絵伝書がある。
江戸の武術の稽古スタイルを教えてくれる非常に貴重な史料である。

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さて、この絵を見て、いまの稽古と何が違っているか、いくつ指摘できますか。

① 刀が長い → 鞘が床に接触していることが推測される
② 角帯を締めていない → 袴の腰板の上から袴紐(あるいは簡易帯)を締めている
③ 襷を掛けている
④ 下緒は鞘に掛けるだけで、前に持ってきて帯に括り付けるなどということはしない。

以上の四点であろうか。
今回は③について考えてみたい。
なぜ、現在の居合の稽古では、あるいは他の武術の稽古でも「襷」を掛けなくなってしまったのだろうか。
日常の稽古は筒袖の剣道着でやっている場合がほとんどであるからいいとしても、演武でも襷を掛ける流儀を滅多に見ない。
偶に掛けているのを見るが、その掛け方は口にくわえて掛ける「女中掛け」 で、武士の作法を誰も知らない。

これは、明治以降、稽古で着物を着なくなり、武士の襷の所作が伝えられなかったためである。

居合は家庭で洗濯のできる綿着物で襷を掛けて稽古をしたいものだ。
by japanbujutsu | 2016-04-22 17:36 | 武術論考の部屋 Study
釈迦と金鷹拳三戦

時は春。
摩耶夫人は旅をしていた。釈迦国の首都、カピラ城から里方のコーリヤ国に里帰りして出産するためである。途中、ルンビニーの園で、小憩をしたそのとき、彼女の右脇下を破って、1人の男児が出生した。摩耶夫人と釈迦国の王である浄飯王とのあいだの子、シッダールタ太子の誕生である。後に出家をし、悟りを開いて仏陀となった、釈迦、その人である。
西暦紀元前566年の4月8日のことだった。
摩耶夫人の右脇下を破り出た、シッダールタ太子をしっかり受け止めるべく、地上に忽然として七茎の蓮の花が咲き出した。太子はその上に降り立った。そして、ゆっくりと、着実に、だれの助けも借りることなく、七歩を歩く。七歩目、彼は立ち止まる。
右手をあげ天を指し、左手は地を指し、太子はりんりんと響き渡る声をもって宣言した。

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「天上天下唯我独尊」。
それは、太子の産声。
「天にも地にもただ我ひとり尊い」 とは、のちに太子が「仏陀」となって、この世の人々を救済することの、いわば予告的な宣言であった。

さて、この物語が中国に入り、後世の拳法の形成に大いに影響した。
わが金鷹拳の最初の套路 「正三戦」 は正にこの物語を形に表現したものである。
そして三番套路の「四門三戦」は釈迦の出家の様子を表現している。
拳法はただ単に戦うための技に固執しているわけではなく、こういった宗教的・芸術的表現を多分に含む意味深長な身体文化なのである。
by japanbujutsu | 2016-04-20 17:43 | 台湾彰化金鷹拳 Kung-fu
不思議な伝系図

世には不思議なことがいろいろある。
武術界にもまた不可解なことが多い。

たとえばこちらの伝書。
楊心流柔術。

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流祖は秋山四郎兵衛とされているが、彼の経歴はかなり曖昧模糊としていて実在人物かどうかも確証することができない。
実質上の流祖は次代の大江専兵衛で、この伝書では揚心千兵衛となっている。
両者は同一人物で間違いない。
さて、その次代が問題である。

東郷肥前。
かれは示現流兵法の流祖ではないか。
これをどう解釈したらいいのだろうか。
示現流の初期には楊心流の柔術も伝えていたのだろうか。
同じ九州ではあるが、長崎(大分)と鹿児島では随分と離れている。

いつかこの謎の解ける日が来るのだろうか。
by japanbujutsu | 2016-04-18 17:48 | 秘伝書の部屋 Secret densho
人見流棒術史料

日本の武術家たちはなんとも研究心に欠けていて残念この上ない。
地元に素晴らしい文化遺産があっても調べてみようとも思わないし、知ろうともしない。
市町村の教育委員会や文化財課にもの申すようでなければ、武術の保存なんかに関わらない方がよい。
どうせ中途半端で終わってしまうのなら、最初から手など出さない方がましである。

今回、ドイツ支部長のC.シュレーダー氏が提供してくれた写真の伝書や奉納額は兵庫県豊岡市立出石家老屋敷に展示されているもの。
一見して驚いた。
人見流棒術の奉納額二枚とその伝書類である。
兵庫県には古武道に携わる多くの人たちがいるのにどうしてこういう遺産を紹介してくれないのだろうか。
一層の奮起を願いたい。

さて、一つの奉納額には、木刀、居合木刀、杖、鉄鎖が残っており、杖に嵌める鍵まで残っている。
こんな奉納額は初めて見た。

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もう一枚の方には二本の六尺棒が掛かっている。

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伝書も目録と免状が残っている。

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詳しくは 『水月』 紙上で論述する。
by japanbujutsu | 2016-04-16 13:05 | 武術論考の部屋 Study
下等な質問に劣等な答え

ネットにこんな下等な質問があった。

日本の剣術は柳剛流を除いて足を狙いませんがこれはなぜでしょうか。足を狙うのは卑怯だと言う発想が武士の時代にはあったのでしょうか。人を殺すのに卑怯もくそもないですが。

そしてそのベストアンサーは、

私のところは柳剛流ではありませんが江戸以前からの流派で足を狙う事があります。合戦をしていた頃の戦い方だと教えられましたが草深い場所では腰から下が見えなくなる(避けられなくなる)ので狙う事が多かったとか。接近戦から間をきって離れる時に相手のアキレス腱に打ち込むという技もあります。足は普通に狙う場所であると思います。

次のアンサーは、

刀が足まで届かんだろうというのは危険な思い違いです。実際足まで届く斬り方がありましてそれは「魔の太刀」と呼ばれ恐れられていました。間合い的に遠いようでも意外と届いてしまいやられてしまうからです。また自分が斬る部分を凝視したままの人は素人です。

そしてさらに、

この人が正解↓
剣だと、せいぜい膝くらいが、とどく限界。
薙刀、槍は、足首まで、十分届く。
無理して、足首狙うと、目が地面を向いてしまい、脳天から一振りされて負けてしまう。
隙を作ったらだめ。

まず質問から。
足を狙うのは柳剛流が有名なだけ。他流にいくらでも足を狙う流派はある。たまたま、江戸の三大流派に足を打つ技がなかっただけのこと。
「人を殺すのに」→完全に試合と死合の区別がついていない。撃剣と真剣勝負はまったく違う世界。この時点で回答者は回答のレベルを下げるべきである。

ベストアンサーについて
あなたの流派は何流なのか。
「合戦をしていた頃の戦い方」→馬鹿者! 合戦と竹刀稽古の区別すらできていない。
「草深い場所」→馬鹿者! そんな場所で戦うか!

二つ目のアンサーについて
「魔の太刀」???何かのアニメかゲームの技か?

三つ目のアンサーについて
「剣だと、せいぜい膝くらいが、とどく限界」→馬鹿者! 使う竹刀の長さが違うし、足は深く腰を落として切り込むし、臑を切ることが難しいわけではない。 柳剛流の竹刀は四尺以上ある。
「無理して、足首狙うと、目が地面を向いてしまい、脳天から一振りされて負けてしまう。」→大馬鹿者!
足を打つ場合には面に対する防御の方法がしっかり伝えられている。

武術の質問に対する答えは全部この程度のもので、本当に困ったものである。それを素人が読んで鵜呑みにするから始末に負えない。ネット社会の大きな弊害である。

写真は江戸時代の撃剣の稽古を描いた 『一掃百態』 の挿絵。

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後ろに描かれている者は明らかに足打ちの場面を描いている。
大きく腰を落としているのがお解りだろうか。
足打ちには片手打ちも使ったから、今の剣道のイメージで論ずると、とんだ見当違いになる。
by japanbujutsu | 2016-04-13 17:59 | 武術論考の部屋 Study

by japanbujutsu