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国際水月塾武術協会 International Suigetsujuku Bujutsu Association

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本会が伝承している武術流派と古武道全般の技法・歴史・文化などを解説します。文章・記事・写真の転載は固く禁止します。

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柳剛流長刀

薙刀界から「男長刀」がなくなって久しい。
古流でも香取神道流や直元流に男長刀が残っているが、現在、直元流はなんと女性が大薙刀を演武している。
本来、大薙刀は男が使うものである。

さて、タイトルの柳剛流長刀を伝えているのは、全国でもわが道場だけとなってしまった。
おまけに柳剛流における長刀は最高位の秘伝に属するもので、わが道場でも現在までに長刀を学んだ者はわずかに4名。

柳剛流では8尺の長刀に4尺の木刀で形を打つので、間合いはかなり広い。

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しかし、長刀も木刀も流儀独特の「飛び違い」を用いて使用するため、この長さはむしろ身体にしっくり来て、真に使いやすい。

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(完)
by japanbujutsu | 2016-09-29 17:07 | 柳剛流兵法 Ryûkô Ryû
稽古帯のこと

愚問に答えるのは実に煩わしいことである。
先日、FBで、ヨーロッパのある武道修行者から 「なぜ袴の上に帯を締めるのか」 という呆れた質問がきた。
あたかもそれが間違いであるかの如くである。
途中で回答を放棄したが、彼らには古流の慣習を知るための情報が皆無なのである。
合気道が為す柔道帯をした上から袴を着ける異様なスタイルを正しいとさえ思っているのだからどうしようもない。
先入観を改めさせるのは容易なことではない。
だから途中で議論を放棄したのであるが、英語で回りくどく説明するのも実に苦痛と言えば苦痛なのである。
八光流に聞きなさい、とでも言いたかったが、八光流の師範が欧州で身近にいることはあり得ないし、弱ったものである。

強いて言えば、江戸時代の武術の稽古においては帯を締めないことの方が多かった。
天神真楊流でも形の稽古では帯を締めない。
居合でさえも帯は締めない。
しかし、江戸後期にいくつかの柔術流儀で稽古専用の帯が登場することは拙著 『武術事典』 で述べた。
決してそれは講道館が開発したものではなかった。
柔術諸流には少なからず、稽古で帯を掴む技・形があり、専用の帯が必要とされていた。
明治末期に興流した神道六合流でも袴の上に稽古帯を締めている。

ヨーロッパに古流文化の故実を説明するのは容易なことではない。

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(完)
by japanbujutsu | 2016-09-27 17:26 | 武術論考の部屋 Study
木刀仕合のこと

木刀による仕合の疑問については、これまでも何回か述べた。
木刀は本来、形稽古のために作られ、使用される。
こんなもので仕合(現今は 「試合」 の文字で統一) をしたら怪我は必須、場合によっては死に至る。
寸止めなど剣術の仕合でできるはずもない。
実際にこのような命がけの試合を行ったのだろうか。
疑問はなかなか解決しない。

しかし、この木刀仕合の様子が、多くの錦絵に描かれているのはどういうことだろう。
今回、紹介するのは『敵討巌流島』の試合場面。

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宮本武蔵は一足立ち(前回の記事参照)に立ち、木刀による二刀で敵を制している。
相手の集団の中には防具を着けている者もいて、彼らの得物は稽古槍であることがわかる。
どうしても納得できない。




(完)
by japanbujutsu | 2016-09-25 17:01 | 武術論考の部屋 Study
古伝の一足立ち

八戸藩伝の神道無念流立居合には、他の同流には見られない独特な所作が多くある。
これは東北の外れに伝承したが故の古伝を保持した技法でもある。
そしてまた、こうした所作・動作は江戸時代に描かれた錦絵などにも散見されるものであり、その意味からは全国的にも普遍的なものであったと見ることもできる。

その一つに「一足立ち」(両足を付けて立つ)がある。

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両足の爪先をそれぞれ45度に開き(両足の角度が直角になる)、前足の踵を後足の中心に付ける。

一体、どれだけの流派がこの一足立ちを伝えているだろうか。
筆者の知る限り、八戸藩伝神道無念流以外に見たことがない。






(完)
by japanbujutsu | 2016-09-23 17:06 | 神道無念流居合 Munen ryu
手内剣十手

この十手は稽古用として抜群である。
鈎は広くできていて、柄も太い。

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柄尻の金具は新しいが、このレベルの十手なら気にならない。

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そして、この十手の最大の特長は、尖端が尖っていることである。

そう、手内剣としても使えるのである。





(完)
by japanbujutsu | 2016-09-21 17:02 | 武具の部屋 Arms
捕縄術と捕縄

江戸時代の捕手術で伝えられた捕縄。
陳元贇が伝えた拳法・手搏のことを捕縄術だと主張する者がすでに江戸時代からいたが、大きな間違いである。
捕縄術こそ日本固有の武芸である。

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江戸時代に無数ともいえる流儀が存在した捕縄術も明治以降はまったく振るわず、わずかに警察の逮捕術としてその姿を留めることになる。
今、筆者の知るところで本格的に捕縄術の研究をなしているのは、日本に一人、そしてイタリアに一人である。
柔術があっての捕縄術ではあるが、その複雑さと格闘的要素に欠けることから、明治以降は武術としての存在意義を失ったのであろう。
筆者は渋川一流の捕縄を数手と中澤流神伝護身術の捕縄を伝えている。

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それで一応は捕縄のコレクションもわずかにある。




(完)
by japanbujutsu | 2016-09-19 17:41 | 武術論考の部屋 Study
日本には武術相伝の土壌がない

現代武道でも古武道でも、多くの道場では10年もすれば、門下生は総入れ替えになっている。
いかに現代人に継続性が欠如しているかがわかる。
そして教える側からすれば、いかに後継者を育成することが難しいかがわかる。
古流の著名な道場でも支部が存在しない流派は山のようにある。
そして、どんなに優れた師範でも、免許皆伝を出した弟子のうち、道場を開設して後継者を育成している人は精々2~3名だろう。

わが道場を見てもこれまで10年以上在籍した門人は10名程度しかいない。
そして支部から誕生した免許皆伝者にいたってはゼロである。
これはわが道場に限ったことではない。
進学、就職、結婚で、武術の世界から離れていく者数知れず。

渡欧して20年、門下生のうち、これまで海外の講習会に同伴した者は、わずかに4名。

一方、欧州の支部からは毎年わが本部道場へ修行に来る者たちがいる。

下の写真は1983年当時のわが水月塾の門下生たち。
前列中央の空手着が筆者。

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当然であるが、このときの門下生は今はだれもいない。




(完)
by japanbujutsu | 2016-09-17 17:41 | 武術論考の部屋 Study
改めて礼法を説く

現代武道の中で、稽古や大会において正しい武道としての礼法を行っているのは剣道だけだろうか。

かつての試合は神前への奉納と同様に、師範各位、場合によっては天覧などもあり、礼を正し、細心の注意を払って行った。
先輩・師範・神など自分より上位の人を敬い、自らを謙る尊敬・謙譲の心こそが、日本文化の特長であり、武術も当然その延長にある。
言葉一つにしても、先輩も師範もすべて 「You」 で済ましてしまう、海外の文化・習慣との大きな違いがそこにある。

武術の稽古の初めと終わりに交わす挨拶。
それもまた礼であり、これは多くの現代武道も正座をして行っている。
ところが形や試合の稽古になると、礼法はどこかへ消えてしまう。
これでは相手を敬う気持ちなど生まれるはずもない。
負ければふて腐れて退場していく。
そこには武道のかけらもない。

本題に入るが、古流の形稽古の際に行う礼法の所作の完成を、ある者は18世紀だというが、それはないでろう。
そしてその理由を、18世紀から将軍による武術の上覧(お目見え)が行われたからだという。
証左があるのだろうか。
それは流儀の成立期、すなわち16~17世紀には既に存在していたはずである。
現在、時間がなくて資料を提供できないが、何れの機会にその説は否定されるはずである。

力信流棒術の礼法

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(完)
by japanbujutsu | 2016-09-15 17:30 | 技法研究の部屋 Skill
正しい柔道

明治時代の柔道と現在の柔道はまったく別物である。
「現代の柔道」 には武道としての要素は皆無である。
組むことが第一条件であるはずの柔道において、両者が正しく組んでいる時間がほとんど存在しない柔道は、すでに柔道ではない。
自然体・自然本体・自護体が崩れていたらそれは柔道ではない。
正しい日本伝講道館柔道はどこへ消えてしまったのだろうか。
だから、今の柔道にはまったく興味がない。
中学校で武道を正課として柔道を教えても、それで柔道に興味をもつ者などこれまた皆無に等しい。
正しい柔道を最後まで実践したのは山下泰裕氏である。

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その後、柔道は大きく変質していき、それは今もなお進行中である。
抜本的に講道館が徹底した国際ルールを世界に認めさせない限り、柔道は永遠に武道となることはない。
筆者が日常稽古に使用している道場で柔道を 「練習」 (あれを 「稽古」 とは呼べない) している子どもたちの行儀の悪さは目にあまるものがある。
それを注意しない指導者は人間として失格である。
サッカー少年の方が余程礼儀を心得ている。
あれは最早、武道ではなく 「無道」 である。

それに対して、今行われているパラリンピックにおける視覚障害者の柔道こそが、本来の正しい柔道の姿なのである(画像は山梨日日新聞より)。

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このスタイルを健常者の稽古、試合、大会でも徹底してすることが正しい柔道の大前提であろう。





(完)
by japanbujutsu | 2016-09-13 17:20 | 武術論考の部屋 Study
古流柔術の構え

古伝空手は拳を前に出して構えることをしない。
ところが現代空手の試合では、両拳を縦拳にして胸の前に構える。
こんな構えは古伝の空手には存在しない。
したがって現行の空手の試合は伝統空手とはまったく別の競技であると考える。
現在の空手は形と試合の理合がまったく乖離しているから、今さらここでこれを言っても仕方がない。
筆者が教授している台湾の金鷹拳も当然両拳を前に出して構えたりしない。
合気道でも両手を前に出して構えるが、古流柔術にはそんな構えはない。
以前にも書いたが、両手・両拳を体前に出して構える武道は、すべて戦後にできた現代創作競技である。
武道ではない。

古流柔術のほとんどは、両手は下腹に当てるようにして構える。

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この構えについては流儀によりさまざまな名称が見られる。
詳しくは拙著 『武術事典』 を参照されたい。





(完)
by japanbujutsu | 2016-09-11 17:23 | 技法研究の部屋 Skill

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