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国際水月塾武術協会 International Suigetsujuku Bujutsu Association

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本会が伝承している武術流派と古武道全般の技法・歴史・文化などを解説します。文章・記事・写真の転載は固く禁止します。

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ハンガリー支部会員来日

先週末と今週末、ハンガリー会員が来日して稽古に励んでいる。

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超多忙な毎日に疲れはピーク。

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でも、武術をしているときが一番楽しい。

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(完)
by japanbujutsu | 2017-06-30 17:28 | 演武会・講習会 Seminar
稀少捕縄

武具をほとんど扱っていない骨董屋にときどき一つだけポツンと武具が置いてあることがときどきある。
今回紹介する捕縄もその一つ。

筆者 「 (わざと) これ何ですか?」
主人 「わからないねぇ、でも銘があるよ」
筆者 「・・・いくらですか」
主人 「○○円」
筆者 「○△円になりませんか」
主人 「・・・じゃあ、それでいいよ」
何だか知らないものによく値段が付けられるものだ。

捕縄に真鍮分銅が付いている。

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「飛竜」 と銘が切ってある。
珍しい一品である。





(完)
 
by japanbujutsu | 2017-06-28 17:17 | 武具の部屋 Arms
本科の十手

現在、わが水月塾の会員諸氏の中には残念ながら武具に興味を持ち、蒐集している同好の人がいない。
武具にも興味をもっていれば、真贋の見分け方など、いろいろと教授してやることができるのだが。
武術が好きであるならば、武具にも興味を持って欲しいところではある。
武具は武術と同じほど奥の深い、味わいのある世界なのであるから。

さて、今回は本科の十手を見てみよう。
十手や鎖鎌には実に贋物が多い。
まず、十手の場合、鉄味を見ること。
これは経験がものを言う。
いわゆる 「だまされて覚える」 というやつ。
偽物を買わされたら、それは勉強代だと思え、とはよく言われること。
まさにそのとおりである。

和鉄の鍛えによる鉄物武具はきれいに黒錆が付く。
赤錆が付いても細かく、洗浄すればすぐに落ちる。
そして重要なのは鍵の接続部分。
溶接はアウト。
しっかりと穴を穿ち、鍵が棒身を貫通していること。
そして、その鍵が厚いこと。

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房環が涌かし付けになっていること。
など、いくつかの注意点がある。

ここに紹介したものはやや長めで、房環はなく、柄尻が天正拵のように広がっている。
持ち手が十手から外れないための工夫である。

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何の変哲もないシンプルな一品であるが、鉄味は最高である。





(完)
by japanbujutsu | 2017-06-26 17:31 | 武具の部屋 Arms
『図解雑学 剣豪列伝』 最終回

p.82 宮本武蔵
父から授かった技をベースに、あまり実用的とは言えない十手を小刀に持ち替え、二刀流を完成させたと考えるのが自然ではないだろうか。

【寸評】
この上もなく不自然である。
それではなぜ父の平田武仁はそんな非実用的な十手をわざわざ流儀に採用したのか、著者はその意味をまったく理解していない。
最初からなぜ実用的な小刀にしなかったのか。
武蔵の父は頭が悪かったのだろうか。
「あまり実用的とは言えない十手」 とは何に対して実用的ではないと言っているのだろうか。
私は個人的には平田無仁の十手は 「非常に実用的な十手」 だと思っている。

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その答えが分からないのでは剣豪のことなど書かない方がよい。






(完)
by japanbujutsu | 2017-06-24 15:10 | 武術論考の部屋 Study
『図解雑学 剣豪列伝』 ⑥

p.80 佐々木小次郎
この当時の剣術修行は、打太刀と仕太刀に分かれて「形」の稽古をするのが普通であった。小次郎は打ち込まれる側の打太刀として、師匠・富田勢源の相手を務めたとされている。

【寸評】
著者は武術の稽古についてまったくの無知であることがわかる。
なぜ弟子が師匠の打太刀を務めるのだろうか。
彼の頭の中では弟子が師匠に武術を教えることになっているらしい。
もうお終いである。

筆者はこの三十年、力信流で美和師範の、そして二天一流で荒関師範の仕太刀を務めた以外、自分の弟子に対して仕太刀を執ったことは一度もない。

松代藩文武学校における演武会で門人瀬沼氏の打太刀を務める筆者。

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(つづく)
by japanbujutsu | 2017-06-22 17:54 | 武術論考の部屋 Study
『図解雑学 剣豪列伝』 ⑤

p.60 田宮平兵衛重正
田宮の教えは、 「手に叶いなば、いか程にも長きを用ふべし 勝事、一寸まし」 というものであった。自由に扱えるならば、少しでも長い柄の刀を使うことが勝利への道である、と説いたのである。このため、後世の人々は皆、長柄の刀を差すことになったという。

【寸評】
「後世の人々は皆、長柄の刀を差すことになったという。」。
後世の人々とは誰のことなのだろう。
それではなぜ長柄の刀が現在ほとんど残っていないのだろうか。
なぜ、現在、田宮流をしている人たちの刀は柄も含めて短小なのだろうか。

写真は筆者が稽古・演武に使用している長柄刀。
筆者が通う関口流の道場でさえ、長尺刀を抜いているのは筆者だけである。
隣の二人の柄と比べればその長さの違いは一目瞭然である。

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序でに、
ただ一つ、確実に言えること。
それは江戸時代の定寸(刃長二尺三寸、柄長八寸)は体格が格段に大きくなった現代人の我々には明らかに短すぎる長さであること。
筆者からみれば、二尺三寸の長さは現代人にとってもはや脇差にしか見えない。
肥後関口流の古伝書に、居合刀の定寸を二尺五寸と定めているが、これを現代人の身長でみれば二尺七寸が相当する長さである。
居合のなんたるか、その本質を見極めなければいけない。
アメリカで190cmの男が四尺二寸一分の定寸杖で神道夢想流の形をしていたが、見るに堪えない演技であった。
せめて五尺にしてやらないと形にならない。
こういったことこそ伝統に囚われずに対処していくべき事柄ではないのだろうか。





(つづく)
by japanbujutsu | 2017-06-20 17:09 | 武術論考の部屋 Study
『図解雑学 剣豪列伝』 ④

p.58 林崎甚助重信
『鞍馬流柴田衛守の伝書』という書には、居合の元祖について「大野将監」という名を挙げている。この将監から一代下げて「林崎甚助」の名が記されているのである。おそらく甚助はこの将監の直門に当たる、”居合剣術中興の祖”というべき人物だったのだろう。

【寸評】
こんなレベルで本を書くべきではない。
まず、典拠としているのが信憑性の極めて乏しい 『鞍馬流柴田衛守の伝書』 という怪しげな伝書。
林崎甚助が居合術の始祖から 「中興祖」 にされてしまっている。
これは大問題。
しかもその師を大野将監とするのだから狂気の沙汰だ。
年令もこの二人には父子ほどの差がある (もちろん甚助が年長)。
この本には監修がついているので内容については連帯責任である。
たとえば関口流居合の伝書の一つには、関口柔心の師を片岡 (山が正しい) 伯耆 (守) としているが、こんなものを信じてはいけない。
後人の作為を容易に見破れる見識なくして著書など出すべきではない。


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(つづく)
by japanbujutsu | 2017-06-18 17:56 | 武術論考の部屋 Study
『図解雑学 剣豪列伝』 ③ 


p.48 斎藤伝鬼坊の最期
常陸国で後進の指導に当たっていた伝鬼坊に、あるとき、かつて卜伝のもとで共に修行を積んだ神道流の達人・桜井霞之助(真壁暗夜軒)が勝負を申し込んだ。彼はこの男をあっさりと討ち殺してしまう。(中略) ところがこの勝負がもとで桜井の門弟たちの怒りを買い、天正15年 (1587)、大勢の待ち伏せを受け、いっせいに弓を射かけられて命を落としてしまったのである。このとき伝鬼坊、38歳。剣のみを頼みとして官位まで得た人物にしては、いささかおそまつな最期と言えなくもない。

【寸評】
 これは巷間に知られた有名なエピソードであり、映画化もされているので、その内容自体についてとやかく言いたくはない。しかし、この流儀の継承者として、最後の一文は許せない。相手が仕掛けた戦いに、その相手が敗れ、仕返しに門弟多数が待ち伏せの上、一斉に矢を放って殺害した。この卑怯な手段でしか勝つことができない二流集団が奇襲を仕掛けて一人の侍を殺す・・・。これ以上、神道流にとっての恥があるだろうか。それこそ末代までの恥さらしである。その殺された伝鬼坊に対して 「いささかおそまつな最期」 とは何の恨みがあっての表現なのだろう。著者の岸祐二なる御仁を質してみたい。


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(つづく)
by japanbujutsu | 2017-06-16 17:34 | 武術論考の部屋 Study
紋付袴のこと

師匠が教えることに対して疑いを持つ・・・
武術を学ぶ際に、そんな心積もりでいたらそいつは破門である。
それは各流儀の起請文にも謳われている。

しかし、現代武道や歴史捏造流儀などを見ると、明らかに誤っていることに対して弟子たちは何の疑いも持たず、何の検証もせず、ただ師匠が言った通り、見た通りのことをそのまま実行している。
これほど危険なことはない。

真の古武道を修行、追究するのであれば、有職故実をしっかりと学び、誤りは正し、技だけではなく、附属する規範についても正しい知識を以て実践していかなくてはいけない。
それが真の古武道の姿なのだから。

そこで今回は紋付袴について考えてみたい。
現在、我々は演武会において紋付袴を着用している。
しかもそのほとんどは黒紋付に縞袴である。
そして、それに疑問を持つ者は皆無である。

しかし、最近それに強い疑問を感じるようになった。
それは先日ここに記したように、袴帯の結び方がいつのまにか「十文字が正しい」というあり得ない認識が正論の如くなってしまったことにもよる。
もちろん筆者も演武では門人に紋付袴を勧めてきた一人である。
しかし、よくよく考えると、その黒紋付に縞袴というのは格式を重んじる行事(式典、襲名式、葬儀、結納)の際に使用される正装礼服であることに改めて気付く。

果たして激しく動く身体表現文化である武術の演武にそのような畏まった正装を着ることが正しい姿なのであろうか。
否、そんなはずはない。
今、ここに大正時代に撮影された中央の影響をまったく受けていない仙台藩の御流儀影山流居合抜方の写真を見てみよう。
この時代に書籍用の写真を撮影するのであるから、紋付袴が演武の正装であるならそれを着用しているはずである。

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ところが、天野菊之助古弘及びその門人笹原清康の両氏はいずれも紋無しの着物であり、しかも白襦袢さえ着けていないのである。
笹原氏などは演武ではタブーとされている黒足袋である。
それを見て、ある程度調べて見ると、やはり武術の演武に用いる着物には規定などはなく、各人の好みで着ていたことが明らかになった。
そしてほとんどの場合、武術では黒紋付も縞袴も着けず、白襦袢も着けないこともわかった。

だから筆者は最近、演武会では紋付きも縞袴もできるだけ着用しないことにしている。
しかし、これはあくまでも筆者自身の考えと拘りによるものであり、紋付を門人に着用させているが故に、それを人に強要することはしない。






(完)
by japanbujutsu | 2017-06-14 17:29 | 武術論考の部屋 Study
『図解雑学 剣豪列伝』 ②

P.19 の図

【論評】
一般に言われている御流儀の見解であるが、各藩が指定した御流儀は、その藩における最有力流儀であることがほとんどであり、藩が藩士にその流儀を学ぶことを奨励したのに過ぎず、それを秘密主義のもとに秘したというような事実は、筆者の知る限りにおいては存在しない。
実際、それらの流儀の多くは留学してくる他藩士の多くが学ぶところとなり、免許を得た者は自国に戻って指南することもあった。

そして次の 「金許」 「義理許」 が横行するという 「相伝規範の弛緩」 の記述。現代の我々がどのようにすれば、それを知ることができるのだろうか。
伝書のどこかに 「此伝授金許候」 などと記述されているのだろうか。
筆者はそのような事実を寡聞にして知らない。
ただ一つ、坂本龍馬の 「北辰一刀流長刀兵法目録」 (可能性が高い唯一の義理許事例) を除いて。

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風雲急を告げる幕末の動乱期に暢気になって婦女子に混じり、薙刀を稽古しているバカな志士はいない。





(つづく)
by japanbujutsu | 2017-06-12 17:05

by japanbujutsu