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国際水月塾武術協会 International Suigetsujuku Bujutsu Association

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本会が伝承している武術流派と古武道全般の技法・歴史・文化などを解説します。文章・記事・写真の転載は固く禁止します。

宮本武蔵の肖像画を語る

ここに宮本武蔵の二つの肖像画がある。

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服装は着流しに赤の裃で似ているが、姿態と人相がかなり異なっている。

左はスタイルも人相もいいが、右はずんぐりむっくりしており、顔つきが悪い。まるで山賊のようだ。

しかし、ここでこの肖像画を採り上げたのはそんな理由ではない。

彼が両手に持っている大小の刀である。

まるで子どもがチャンバラに使うオモチャのように細い。

筆者はこんな真剣をいままで見たことがない。

それに手が小さく腕も華奢である。

これは何を意味しているのだろうか。

まず第一に考えられるのは、二天一流は力の剣術ではないということ。

そして、実際に武士が腰に差している刀では二天一流はできないということ。

江戸時代の長い歴史の中で、実戦において二刀で戦ったという武士は皆無である。

大体、普通の大小は重すぎて振り回すことはできても、片手で操作することはできない。

日本刀を片手で使えば刃筋は完全に狂う。

こんなことは居合を少しでも稽古したことのある者はだれでも理解できる。

抜刀に迅速さを求めるならば、二刀は完全に不利である。

竹刀剣術による試合が江戸時代半ばから見られるようになったが、これは二天一流とはまったく関係のない動向である。

竹刀と真剣は完全に理合が異なり、特に二天一流の形は竹刀剣術には使いものにならない。

この点において二天一流は完全に他の古流とは観念が異なることがわかる。

ゆっくりした摺り足による直立姿勢での動作、掛け声を長く引きずり相手を気で攻めていく勢法。

これを理解しないと、このまったく不自然な武蔵の肖像画を理解することはできない。
# by japanbujutsu | 2013-05-26 13:25 | 宮本武蔵 Miyamoto Musash
一刀に対する見解

現在、伝承されている二天一流は二系統に大別される。

(一) 野田派二天一流
(二) 山東派二天一流
 ※当協会が伝承する二天一流は野田派に属するが、現在熊本に伝承している野田派と区別するために村上派兵法天下一二天一流と名乗っている。

両派ともに流祖宮本武蔵玄信の次代寺尾求馬助信行の流れを汲むが、その次の代から分派しており、その両系統が残ったことは素晴らしいことである。

しかし、残念なことに、この二つの系統は同じ九州にありながら反目を続けており、交流がなされていない。

筆者は今の時代だからこそ、全国の二天一流が一堂に会して演武会を開催することを待ち望んでいる。

さて、本題に入ろう。

山東派は大正期から昭和にかけて、名人青木規矩男により熊本と大分に伝えられた。この山東派には「勢法一刀之太刀」や「勢法一刀小太刀」なる形が伝えられている。しかし、これらの形は宮本武蔵の時代にはなかった。元々二天一流には存在しない形である。兵法二天一流の原形は「五方之形」、これだけである

現在の研究によれば、これらの形は熊本藩伝新陰流からの採用であることが明らかにされている。

武術を藩校の教育として教える場合、流儀の体系がたった五本の形しかないことは、甚だ都合が悪い。二代藩主細川忠利は新陰流の免許皆伝で、晩年の武蔵を招いていることからも、この両方の流儀がその後、藩校で教授される際に、混入したことが考えられる。

泰平な世の中にあって、二天一流だけでは、教授が成り立たないことは、山東派が楊心流柔・居合・薙刀・棒、関口流抜刀などを併伝し、また、野田派が伯耆流居合や当理流小具足などを併伝していたことでもよくわかる。

元来、野田派には五方之形しか存在しないものを、山東派に対抗するためにどこからか一刀の形を持ち込んで、あたかも古伝の如く装飾したり、五方之形しか伝えていない系統を免許皆伝ではないなどと批判をするなど、大変に見苦しい誹謗合戦が行われている。

大体、流祖宮本武蔵は『五輪書』において、「・・・みな片手にて太刀をつかふものなれば、両手にて太刀をかまゆる事、実の道にあらず」と断言しているのであり、一刀勢法を完全に否定している。だから武蔵自身、晩年に創始した二天一流に一刀の形は採用していない。

だから、真の二天一流は「五方之形のみ」である。

筆者は山東派において一刀勢法を伝えているのを批判するつもりは毛頭ない。山東派の人々が野田派を評して「あそこは五方之形しかないじゃないか、それでは二天一流の免許皆伝だとは言えない、云々」と他派を批判する態度が醜いと言っているのである。

松永展幸師範が鶴田三雄師範から学んだ二天一流は何の装飾も増補もない、純粋な五方之形そのものであり、その形は荒関師範から会長に一点も崩さず、伝承されている。

松永展幸が伝えた二天一流は現在、熊本に伝えられている野田派二天一流とは、形・趣・速さ・姿勢のすべてが異なっている。

以下は松永が示す二天一流の正しい勢法

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# by japanbujutsu | 2013-05-26 12:14 | 兵法二天一流 Nitenichi ryu
仙台藩の秘流 剣徳流捕手

仙台藩を代表する柔術の一つに剣徳流捕手がある。

全国的には無名の流派であるが、実は昭和の中頃まで伝承者が存在した。

この流儀が無くなった理由は稽古が厳しすぎたからである。

後方に投げ捨てられた際、頭で受け身を取り、足裏と頭で身体を支えるブリッジの体勢を取る。

そしてクルリと反転して俯きに返り、サッと起きあがる。

首の強健さが要求される上に、頭をゴザに擦りつけるため髪の毛がどんどん抜け落ちる。

これでは若者は近寄らない。

いつしか修行者も絶え、失伝した。

流儀の内容に「立合 三十六箇条」があるが、これは真極流や浅山一伝流など、他の仙台藩伝柔術と同じ取り口である。

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これに居取六箇条を修めた後、三格位を学び、当身の伝を受ける。

道具は十手(九寸と一尺二寸)・手之内(四寸)・万力(指環)・打玉(鎖分銅)・捕鈎・六寸縄がある。

この伝書は仙台藩屈指の達人である山崎半也郷誼が天保十五年に差し出したものである。

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山崎は大征流捕縄の祖でもあり、多くの流儀に達した。

墓は仙台市の保春院にあるというが、筆者が訪ねたときにはすでに無かった。
# by japanbujutsu | 2013-05-25 20:17 | 秘伝書の部屋 Secret densho
田中藩の制剛流俰(柔術)

ここに『田中藩武道史』というたいへん貴重な本がある。

その中に制剛流俰(柔術)が採り上げられている。

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そしてさらに貴重なのは、幕末における田中藩制剛流の修行者たちが、他藩から来訪する柔術家たちとの他流試合の勝敗を記録した資料を翻刻していることである。

嘉永七年(1854)、早川八郎治義利が先代の小池弥右衛門の後を承けて田中藩制剛流の師範に就いた。

早川八郎治は制剛流祖水早長左衛門から数えて十二代目の師範。

早川に師範が変わったときに新たに七十八人の者が入門したというから実力もあったのだろう。

ここに紹介する伝授巻は、その早川が安政三年(1856)に門人の竹田常次に差し出したものである。

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竹田常次は弘化五年(1848)入門、初伝が嘉永三年(1850)、中伝(ここに紹介した俰五身伝)が安政三年(1856)、上伝が安政四年(1857)、皆伝が万延元年(1860)、世話役が文久元年(1861)となっている。

これを見ると竹田は入門から皆伝まで十三年を要していることがわかる。

田中藩制剛流の柔士はあまり強い者がいなかったと見えて、全敗に終わることも珍しくなかった。

しかし、仲間のすべてが負ける中で、ただ一人勝つ者がいた。

竹田常次である。

例えば、安政四年の九月に天神真楊流磯又右衛門の門人坂倉左馬之助が試合に来たときには制剛流側が八連敗した後、最後に試合をした竹田が坂倉を破っている。

また、揚心古流戸塚彦助の門人立川千兵衛が安政六年八月に試合に来たときも、制剛流側が八連敗した後、竹田が勝利している。

記録を残すことは大切である。

目の前に当時の試合の様子が蘇る。
# by japanbujutsu | 2013-05-22 21:10 | 秘伝書の部屋 Secret densho
起倒流は総合武術

起倒流は講道館柔道の創始者嘉納治五郎が修行した流派。

柔術(鎧組討)専科の流派だと思われがちだが、元来は総合武術である。

ここに元文元年(1736)に差し出された二代目寺田市右衛門正浄直筆の伝授巻がある。

形名を列挙した目録が起倒流では 『人巻』 となる。

基礎にして本体になるのが 「表裏二十一」 。

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普通、起倒流というと、この二十一本の形をいう。

もちろん、講道館柔道 「古式ノ形」 もこの二十一形。

しかし、古伝では、これ以外にも 「鎧組」 「居合」 「早縄」 「中(当身)」 がある。

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居合は五本ある。

しかし、明治以降にこの居合を伝えていた系統を寡聞にして知らない。

無くなるのはアッという間である。
# by japanbujutsu | 2013-05-19 13:20 | 秘伝書の部屋 Secret densho

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