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国際水月塾武術協会 International Suigetsujuku Bujutsu Association

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本会が伝承している武術流派と古武道全般の技法・歴史・文化などを解説します。文章・記事・写真の転載は固く禁止します。

稽古着のこと

近年、稽古着のことを「道着」と呼んでいるが、少なくとも古流を学ぶ者は稽古着と言わなければいけない。道着などという言葉は江戸時代には存在しないのだから。

さて講道館柔道の稽古着は、武士の正装から紋付き袴を取り除いたスタイル、つまり襦袢と股引で、これは日常服で言えば、下着姿であり、極めてはしたない姿である。沖縄から入ってきた空手までもがこのスタイルを採り入れているのは、まったく理解に苦しむ。

私が柳生心眼流や渋川一流に入門した頃は、師匠たちも皆、柔道と同じスタイルで、私がそれでは駄目だと説得して、改善してきた。一方、柴真揚流の町川師範はしっかりと最初から袴を着けており、古流としての伝統を墨守していた。

昨年、わが協会のドイツでの大会で、某古流の団体が、師範以外全員袴を着用しておらず、全く遺憾に思ったが、他流のことだから口出しはしなかった。日本の師範はもっとしっかりと指導して欲しい。初心者に袴を着けさせない、などという頓珍漢なことを始めたのは合気道であり、そんなことを古流は決して真似をしてはならないのである。

渋川一流でも明治期まではしっかりと袴を着用していたことが、伝書に表れている。

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# by japanbujutsu | 2013-03-13 21:44 | 武術論考の部屋 Study
不動真徳流と森本千吉

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鞍馬山で修行した牛若丸を遠祖と仰ぐ不動真徳流と称する武術がある。内容からやはり楊心流の影響を受けていることがわかる。

内容は柔術と棒術からなり、柔術はその目録から激しい乱取り稽古を行っていたことが推測される。

この流儀は紀州の指南役であった内藤利右衛門正次が明治になって阿波川内寒川新田に移住し、近隣の若者に伝えたのが阿波での始まり。その印可を久次米直吉信雪が受け、その高弟に直江一専斎信男があった。

直江は板野郡藍住町矢上の春日神社の神職で人格高潔であったと伝えられている。その高弟が森本千吉である。

森本千吉は明治19年、矢上に生まれ、若年にして不動真徳流の免許皆伝を受けた。今回紹介する伝授巻は明治45年の発行であるから、森本が27歳のときのものである。

森本は昭和21年に徳島県で初の講道館八段となった人物。昭和25年に亡くなるまで多くの弟子を育成した。

不動真徳流が現存していないのが何よりも悔やまれる。

伝統や文化を蔑ろにし、正しい武道教育を為さなかった日本の政治体制、つまりは国家にすべての責任がある。

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# by japanbujutsu | 2013-03-11 20:39 | 秘伝書の部屋 Secret densho
一伝流縄之巻

ここに紹介する一伝流は浅山一伝流とは異なり、単に一伝流と称し、捕縄術の専門流儀である。

一伝流の縄は鍵縄で、この伝書にも鍵針の図が出ている。

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流祖は高木流柔術二代目の高木右馬之助である。

高木流には捕縄が伝えられていないから、この一伝流捕縄は、別の流儀から採用したものであろう。

右馬之助は竹内流も相伝しているから、その流れかもしれない。

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「英雄色を好む」と言うが、彼こそはその醜態を絵師に描写されてしまった張本人であることは意外に知られていない。
# by japanbujutsu | 2013-03-06 22:53 | 秘伝書の部屋 Secret densho
「死活」は中国伝来?

日本柔術が中国から伝来したものではないことは、今や常識になっている。関口柔心が長崎で陳元贇から武術を学んだなどというのも作為の伝説の域を出ない。

それよりずっと以前から山陽地方には夢想流という捕縛武術があり、柔術の源流と言われている竹内流も夢想流から出ている可能性が濃厚である。宮本武蔵の家伝であった無双流も同根だろう。

さて、江戸時代になって長崎は唯一の貿易港となった。新しいものを創造するためには何はともあれ、長崎を訪れる必要がある。

肥前に広く伝播した楊心流は関口流から出た可能性があるから、関口柔心が長崎を訪れている可能性は確かに否定できない。その楊心流も起源に関しては謎が多いのである。

楊心流には当身の原典とされる『胴釈』の伝があり、これに用いられる人物の髪型が中国風なのである。もちろんこれらの図は中国の経絡書籍から転用したものだから、当然であるが、その嚆矢が楊心流であったと考えられる。

今ここに珍しい伝書がある。

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遠州浜松の峠権左衛門忠重が文化二年に発行したものだから時代は下がるが、なかなか面白い書き出しで始まっている。

       死活
   日本に初行者
      肥前国長崎
     明察天
         陽心式部に伝


日本で初めて死活を用いた者は長崎の陽心式部であるという。陽心式部とはだれなのか。秋山四郎兵衛義時(実在が疑わしい)か大江仙兵衛のことに違いないが、陽心式部と書いたのは初見である。

なお、この伝書に使われている和紙は灰色をしている。これも初見である。灰か墨を原料に混ぜたのだろうか。
# by japanbujutsu | 2013-03-04 20:52 | 秘伝書の部屋 Secret densho
当流(伯耆流)居合目録

今回は居合の数ある流儀の中から伯耆流を紹介する。

伯耆流は現在も熊本に伝承された系統が命脈を保ち、また、相伝者が大阪に出たことによって、関西方面にも普及した。

技法の解釈は門外漢故に控えることにして、伝書の内容を見ると、最初に表として、

  向之太刀  除身  引取  胸之刀  籠手切  押抜  開抜  中段  突留  四方金切 向詰
  次付  一作足  頂上  切先返  三之柄捕
  

があり、詰合大事として、

  壁付  角付  腰搦  前後之抜  逆手抜  籠手詰  夜之抜  夢之枕  

とあり、さらに身之金之位九ヶ条と続く。

紹介する伝書は『武芸流派大事典』に「伯耆流熊谷派」とある系統で、熊本には他にも村上家が相伝している系統がある。

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この熊谷派の末葉は野田家に相伝され、兵法二天一流とともに伝えられた。

目録の内容から母体流儀である林崎夢想流の影響が濃厚に伺えるが、現在伝えられている形からはほとんどその影響を伺うことができない。
 
# by japanbujutsu | 2013-03-03 22:34 | 秘伝書の部屋 Secret densho

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