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国際水月塾武術協会 International Suigetsujuku Bujutsu Association

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本会が伝承している武術流派と古武道全般の技法・歴史・文化などを解説します。文章・記事・写真の転載は固く禁止します。

楊心流柔術秘中の秘 三年殺し

人口に膾炙している「三年殺し」。

しかしてその実際を知る人はほとんど存在しない。

それは殺活の大御所流儀、楊心流に秘伝された、まさに柔術における最高秘伝である。

その必殺の当身を喰らった者は、その時は何でもなくても、一年、二年と経つうちに次第に体調が悪化し、三年目には絶命するという恐ろしき秘術。

いつからか、名前だけが外部に漏れ、明治以降、その実態を知る者はいなくなった。

しかし、それはほんの一部の真面目な修行者によって、実は実際に今も伝えられている。

筆者も学んでいるが、ここではこれ以上のことは書けない。

その最高秘伝の秘術が、今回紹介する楊心流伝書の最後に、

「伝ニ言、水月ハ一旦生テモ、不越三年ヲ」

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と書き表されている。

しかし、実伝はすべて口伝である。
# by japanbujutsu | 2013-06-15 13:36 | 秘伝書の部屋 Secret densho
真極流柔術は中国伝来?

かつて江戸時代に仙台藩でもっとも盛んだった柔術が真極流。

この流儀の源流が竹内流であり、それが至心流として美濃へ伝えられ、さらに庄内藩に伝えられた。

そして、庄内藩至心流は津軽へ流れて本覚克己流となり、仙台藩へ流れてこの真極流となったのである。

この伝播を初めて解明したのは筆者である。

すなわち真極流柔術はまったく純粋な日本伝柔術なのである。

ところが、その伝書には次のような文がある。

其源流中華在拳棒跌解法六勢・・・・・・・」と。

こんなことがあっていいのだろうか。

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ここに出ている 「拳棒跌解法」 というのは中国の清朝年間 (日本の江戸時代中期) に刊行された 『万宝全書』 に収められている一項で、その中の 「要家臨危解法」 に六勢のすべてが絵入りで解説されている。

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確かにそれは二人相対して行う護身術の解説であるが、真極流とはまったく異なっているのは言うまでもない。

江戸時代にこのような創作をでっち上げるのは、中華の文化が当時の日本人の憧れとなっていたためであり、最高水準に達した芸術だと認識されていたためである。

それにしても仙台藩の柔術は中華思想に染まったものが多い。

柳生心眼流兵術の隔離拳法などはその成立過程が依然として謎のままである。

ちなみに、紹介した伝書は仙台藩の武術を悉く相伝した今野家の幕末の師範、今野譚弥清保が差し出したものである。

この系統では真極流を 「心極流」 と表記する。

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# by japanbujutsu | 2013-06-14 22:24 | 秘伝書の部屋 Secret densho
仙台藩神徳流六具伝

仙台藩の国境警備隊の武術として伝えられたのが神徳流六具伝(みとくりゅう・ろくぐでん)。

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足軽層が指南を務め、被差別民が習得して警備に当たったと思われる。

また、市中では捕方が罪人捕縛のために習得した。

全国諸藩各地に同様の例が見られる。

神徳流に伝承されている武術は非常に多岐に亘っている。

三道具(突棒・指亦・捕搦)、六尺棒、半棒、実鉄(鈎無十手)、転木(普通の十手)、満字転木(鈎が二本逆向きの十手)、捕縄とある。

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満字転木というのは二本一組で使用し、中国武術の鉄尺(沖縄のサイ)と酷似しており、日本武術ではこの伝書以外に同じ道具は見られない。

また、三道具の根元を「霊夢神徳鎗八重鎌」としている。

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この道具はまるで中国武術で使う兵器のようである。

この伝書にはこれらの道具の使用法がびっしり記入されており、復元も充分可能である。

流儀の濫觴は信州岩宿神社霊伝とあり、元祖は大和産の竹林玄妙斎源頼一卜鬼入道。

江戸期のかなり早い時代に仙台藩に入っている。
# by japanbujutsu | 2013-06-13 22:44 | 秘伝書の部屋 Secret densho
本家渋川流を絶伝から救った甲州渋川流

渋川伴五郎義方によって創始された渋川流柔術。

それは渋川流とは称しているけれど、実態は関口流そのままで、正式名称は関口正統渋川流という。

この渋川流は、江戸の本家以外に、甲州と庄内藩に正統が伝わった。

庄内藩では明治に入ってすぐに絶伝したが、江戸本家と甲州は大正時代まで存続した。

現在は日本のどこにも残っていない。

ちなみに大阪の渋川流と広島の渋川一流はともに現存しているが、本家渋川流の技法はまったく受け継いでいない。

甲州伝は流祖渋川伴五郎の高弟だった甲府勤番士の薬師寺方正によって甲府に持ち込まれ、以降勤番士と神官によって伝承されていく。

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かつての師範家には大量の伝書類が保存されており、二十数年前にすべて調査を終えている。

そして、そのすべての形は水月塾によって復元された。

渋川流とはいうが、関口流そのままである。

かつて江戸後期に、江戸の本家で渋川流の相伝が危機を迎えたとき、江戸から使者が派遣されて、甲州伝が江戸へ返流されたことがあった。

江戸の渋川家当主が年少だったため、先代師範の高弟が後見人となり、甲州へ修行に来たのである。

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ここに紹介した絵目録は復元に当たって水月塾が師範家から譲り受けたものである。
# by japanbujutsu | 2013-06-10 20:30 | 秘伝書の部屋 Secret densho
大誤解!琉球古武道の定義

「古武道(古武術)」という言葉は明治時代にすでに大日本武徳会によって使用されていた。

江戸時代から伝承している流儀武術を明治以降に台頭した競技武道(柔道・剣道・薙刀)と区別するために登場した造語である。

その後、大正時代に沖縄から日本へ空手が入り、戦後、大学を中心として急速に普及していく。

例外を除いて、ほとんどの場合、大学には徒手空手だけが普及した。

徒手空手と武器術は本土にほぼ同時に入ってきたが、武器術は主として空手を武術として修行している人たちに普及した。

そして、その武器術が昭和のある時に、「琉球古武道」として紹介された。

これがそもそもの誤りの発端。

武器を使うから古武道、などという考え方はどこにも存在しない (この定義によると、本土でも丸腰の柔術は古武道ではなくなってしまう) 。

存在しないどころかそれは大きな誤りである。

理由は簡単で、徒手空手も武器術も、本来は同時発生のはずであり、この両者に新古の区別は存在しないからである。

あえてどちらが古いかと言えば、武器は手の延長であるから、徒手空手の延長上に武器術があるはずであり、徒手空手の方が古いはずである。

だから、徒手空手の形がしっかりできていれば、武器術を習得するのはそんなに難しいことではない。

それでは、これをどのように分類・表現すればいいのだろうか。

正しい史観に立てば、琉球武術の中に徒手と武器が存在するのである。

空手の中に徒手と武器があると考えてもいい。

空手も元来は総合武術であるわけだから、武器術だけを「古武道」として分類するのは大きな誤りである。

その世界のパイオニアが間違った認識で普及してしまうと、世界中がそれに倣え、となってしまうから軌道修正ができない。

たとえ、少数派であろうが、正しいことは正しいとして、ことあるごとに啓蒙を続けていく必要がある。
# by japanbujutsu | 2013-06-09 13:11 | 武術論考の部屋 Study

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