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国際水月塾武術協会 International Suigetsujuku Bujutsu Association

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本会が伝承している武術流派と古武道全般の技法・歴史・文化などを解説します。文章・記事・写真の転載は固く禁止します。

稽古道具の復元

古流でありながら、江戸時代から伝わる稽古道具が残っておらず、流儀規定の道具がわからない場合がある。

伝統古流を標榜していながら規定の道具がないところは大概創作武道である。

こういった似而非古流は、戦前の伝書も写真もないからすぐに創作であることがわかる。

しかし、真の伝統古流であっても、諸事情により稽古道具の形状・寸法が不明な場合がある。

特に居合の場合は真剣あるいは刃引刀を使うので、刀寸規定が残っている流儀は少ない。

我が流儀の場合、たとえば穴澤流薙刀では、私の師匠が女性であったために、男薙刀が残っていなかった。

しかし、幸いにも数年前、幕末から明治にかけて穴澤流を指南した松坂次郎左衛門が薙刀を構える写真が発見され、概ね流儀の規定が判明した。


稽古道具の復元_b0287744_10203577.jpg


それを見ると、相当に長い薙刀を使っていたことが判明する。

薙刀の長さを知るには身長から割り出す作業が必要になる。

それを私の身長に換算すると、概ね九尺となる。

そしてこれも偶然、その後、図らずも穴澤流の男薙刀を入手することができた。


稽古道具の復元_b0287744_10220916.jpg


力信流の木刀も、現在使用されているものは、明治から昭和前期に指南した大長九郎が新たに指定した標準的サイズのものであるが、明治時代まで使われたいた長寸の木刀は、当時撮影された写真から形状・長さを割り出すことができ、先般復元することができた。

古流を修行する者は、稽古ができれば何でも構わないという、無頓着であってはならない。

しっかりとした古流規定の道具を使うべきである。





(完)

# by japanbujutsu | 2022-08-19 10:23 | 武具の部屋 Arms
斎藤弥九郎練兵館跡を訪ねて

神道無念流修行者が一度は訪れなければいけない聖地の一つが斎藤弥九郎練兵館跡地。

靖国神社の敷地内にある。


斎藤弥九郎練兵館跡を訪ねて_b0287744_19293378.jpg


そこにはただ千代田区観光協会が平成九年三月に建てた石柱と説明掲示板が建っているだけ。


斎藤弥九郎練兵館跡を訪ねて_b0287744_19295502.jpg


もう少し何とかならないものだろうか。

あまりにも見窄らしい。




(完)

# by japanbujutsu | 2022-08-16 07:20 | 神道無念流居合 Shinto Munen
江戸時代の稽古用木製十手と十手術

わが水月塾には江戸時代の稽古用武術道具が多数保存されている。

稽古用木製十手もその一つ。

流儀によって様々な形状・寸法・工夫があって興味深い。


江戸時代の稽古用木製十手と十手術_b0287744_11534595.jpg


そのほとんどは短棒に鉄の鉤を付けたもの。

現存する十手術の(を含む)流儀は、一角流、駒川改心流、渋川一流、大阪伝渋川流と、我が甲州陣屋武術くらいだろうか。


江戸時代の稽古用木製十手と十手術_b0287744_11540201.jpg


我が流儀では、右手に十手を、左手に素棒を持つ。


江戸時代の稽古用木製十手と十手術_b0287744_11542001.jpg





(完)

# by japanbujutsu | 2022-08-14 07:26 | 武具の部屋 Arms
『月刊 秘伝』9月号 秘伝ジャーナル

先の五月二十九日(日)に行われた、わが水月塾の奉納献額式・演武会のレポートが『月刊 秘伝』9月号 秘伝ジャーナルにレポートとして掲載された。


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当日は秘伝誌の記者が取材に来場していただき、数多くの写真を撮影された。


『月刊 秘伝』9月号 秘伝ジャーナル_b0287744_22043145.jpg



それらは「WEB秘伝」のギャラリーで公開されている。



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(完)

# by japanbujutsu | 2022-08-12 22:04 | 出版・広報 Public info.
彦根藩弘道館古記(六) 学館私儀 弊風三條②


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第二條
武芸師範を弟子より敬親すへき処、左はなく、却て弟子より師を陵(凌)く事多し。乍去、武芸の師弟は急度師弟の分ち有之といへとも、文教御役方吏を以師とする秦の世の弊風故、中々親敬致す事は、曽て無之、却て仇敵の如くなる故、素読方は句読を授る斗。三の寮は引読の読渡しをなすまで、四の寮は疑問を承り、文義を解し教ゆるのみ。会頭も同断、夫故に志を立るの道を聞の節義の談に及のと云事なと夢にもなく、御役方も文義の外は教諭する事もしにくき様子、諸生きよりも文義の外は尋る事も得せぬ模様に自然となり来りしは、師弟の親みなきならずや。夫故、諸生は文義の少しく解せる迄縦令相応に文義の解せる諸生にても志の立ぬ故、行状は庸人とさして替える事もなきは、折角学ひたる学問も用立ぬは元教の□然る処にて是亦学館の大なる弊風ならすや。


これを読むと、当時から教育に対して弟子(生徒)は興味・関心・意欲がなく、また態度も悪く、より深い教育など夢にもないと嘆いている。

本書は厚冊であり、まだまだ幾多の記述を有しているが、余りに長い連載は諸賢も倦怠するので、今回を以て一旦閉じることにする。

いずれの機会に全文翻刻して、出版する予定である。




(完)

# by japanbujutsu | 2022-08-12 06:57 | 武術論考の部屋 Study