金鷹拳 Gold hawk kung-fu
歴史・技法、その他金鷹拳に関するすべてのことは会長著『金鷹拳』(新紀元社)に詳しいので、そちらを参照されたい。ここではその概略を紹介する。
金鷹拳の祖は中国福建省出身の劉明善である。南派少林系の武術を学んで極め、清朝の道光8年(1828)に台湾に渡って武術を教えた。それが金鷹拳の始まりである。現在、中国には同じ拳法が存在しないため、金鷹拳は台湾で生まれた拳法であると言ってもよい。
始祖劉明善
彼は台湾南部の西螺にあって振興社を設立し、ここで金鷹拳と医学を教えた。多くの門人を育成したが、その中から廖自善と廖良善が出て、廖良善の門からは蔡秋風が傑出した。その門人呉幸が彰化に伝え、その高弟陳炎順師父が会長の恩師である。
金鷹拳を教える武館を振興社といい、台湾南部には現在でも多くの振興社があり、各地で若者が修行している。しかし、多くの振興社で古伝の套路を崩しており、中には金鷹拳とは言いがたいようなものもある。古伝をもっともよく伝えているのが振興社彰化団である。
日本には陳炎順師父が伝え、会長が大学時代に在籍していた全日本中国拳法連盟で陳師父から習った人たちが教えていた。しかし、その人たちが陳師父から習った期間は極めて短かったため、ここで教授されていた金鷹拳は套路に誤りが多く、動作そのものが原理を逸脱していた。そのため会長は単身で台湾に渡り、振興社彰化団で陳師父から直伝を受けた。
陳師父没後は総教練劉国良老師に学び、先年、日本における「総教練」の資格を拝受した。