警視流居合 Kêshi ryu Iai
警視流居合は全て「立居合」で行う。
明治の西南の役で警視庁抜刀隊が活躍できたのは、その立居合の賜といわれている。
明治18年、殉職警察官の鎮座祭に奉納武道大会が開かれ、その時に警視流居合が木太刀の形と共に奉納された。
警視流居合の創始者は、幕臣広瀬廉、同上田美忠、水戸藩士小沢宣、佐倉藩士逸見宗助、長岡藩士雨宮真三郎の5人で、それぞれより1本ずつ採用した。
他の古武道と違って相伝制を敷いていないため、警視庁で広く教授されたが、それ故に人によってさまざまな形に変化していった。しかし、概ねは大同小異である。
形は
一本目 前腰 浅山一伝流
二本目 無双返し 神道無念流
三本目 回り掛け 田宮流
四本目 右の敵 鏡心明智流
五本目 四方 立身流
五本の形は元々立居合しか存在しない神道無念流の影響が強く表れており、神道無念流を学んだ者であれば簡単に習得できる。なお、神道無念流には元来、形に名称がないため、「無双返し」という名称は編成の便宜上付けられたものであろう。
水月塾では神道無念流の修行が進んだ者に心得として学ばせている。