「死活」は中国伝来? Would “Shikatsu” come from China?
日本柔術が中国から伝来したものではないことは、今や常識になっている。関口柔心が長崎で陳元贇から武術を学んだなどというのも作為の伝説の域を出ない。
それよりずっと以前から山陽地方には夢想流という捕縛武術があり、柔術の源流と言われている竹内流も夢想流から出ている可能性が濃厚である。宮本武蔵の家伝であった無双流も同根だろう。
さて、江戸時代になって長崎は唯一の貿易港となった。新しいものを創造するためには何はともあれ、長崎を訪れる必要がある。
肥前に広く伝播した楊心流は関口流から出た可能性があるから、関口柔心が長崎を訪れている可能性は確かに否定できない。その楊心流も起源に関しては謎が多いのである。
楊心流には当身の原典とされる『胴釈』の伝があり、これに用いられる人物の髪型が中国風なのである。もちろんこれらの図は中国の経絡書籍から転用したものだから、当然であるが、その嚆矢が楊心流であったと考えられる。
今ここに珍しい伝書がある。
遠州浜松の峠権左衛門忠重が文化二年に発行したものだから時代は下がるが、なかなか面白い書き出しで始まっている。
死活
日本に初行者
肥前国長崎
明察天
陽心式部に伝
日本で初めて死活を用いた者は長崎の陽心式部であるという。陽心式部とはだれなのか。秋山四郎兵衛義時(実在が疑わしい)か大江仙兵衛のことに違いないが、陽心式部と書いたのは初見である。
なお、この伝書に使われている和紙は灰色をしている。これも初見である。灰か墨を原料に混ぜたのだろうか。