宮本武蔵の肖像画を語る
ここに宮本武蔵の二つの肖像画がある。
服装は着流しに赤の裃で似ているが、姿態と人相がかなり異なっている。
左はスタイルも人相もいいが、右はずんぐりむっくりしており、顔つきが悪い。まるで山賊のようだ。
しかし、ここでこの肖像画を採り上げたのはそんな理由ではない。
彼が両手に持っている大小の刀である。
まるで子どもがチャンバラに使うオモチャのように細い。
筆者はこんな真剣をいままで見たことがない。
それに手が小さく腕も華奢である。
これは何を意味しているのだろうか。
まず第一に考えられるのは、二天一流は力の剣術ではないということ。
そして、実際に武士が腰に差している刀では二天一流はできないということ。
江戸時代の長い歴史の中で、実戦において二刀で戦ったという武士は皆無である。
大体、普通の大小は重すぎて振り回すことはできても、片手で操作することはできない。
日本刀を片手で使えば刃筋は完全に狂う。
こんなことは居合を少しでも稽古したことのある者はだれでも理解できる。
抜刀に迅速さを求めるならば、二刀は完全に不利である。
竹刀剣術による試合が江戸時代半ばから見られるようになったが、これは二天一流とはまったく関係のない動向である。
竹刀と真剣は完全に理合が異なり、特に二天一流の形は竹刀剣術には使いものにならない。
この点において二天一流は完全に他の古流とは観念が異なることがわかる。
ゆっくりした摺り足による直立姿勢での動作、掛け声を長く引きずり相手を気で攻めていく勢法。
これを理解しないと、このまったく不自然な武蔵の肖像画を理解することはできない。