宝蔵院流十文字鎌槍の形と仕合
現在、まったく見られなくなってしまった武術に槍術の仕合がある。
戦前までは広島の佐分利流と京都の貫流が京都の武徳祭で毎年五月に火花を散らした。
佐分利流の鍵槍はかなり苦戦を強いられたものと思われる。
なぜならば、槍は仕合になると 「突き技」 で勝負を決めなければならないからである。
佐分利流は鍵で敵の槍を固定して払い落とす技が特徴であるが、相手が管槍では引っかけることがなかなかできない。
しかも、佐分利流は槍を短く使うのが得意、貫流は長く使うのが得意である。
突き技の仕合では断然、貫流が有利なはずである。
しかし、毎年、同じ流派同士で戦うとなると、佐分利流も工夫をしたことだろう。
ここでは、現在はまったく見られなくなってしまった宝蔵院流の仕合の様子を形稽古の様子と合わせて 『武術絵巻』 から紹介しよう。
槍術の仕合では左半身だけを防具で覆い、面を着ける。
左手で突く方向を定め、右手で突き出すのが鉄則。
だから右前の半身にはならない。
こんな槍の仕合が残っていたら、間違いなく入門していたことだろう。
機会があったら復活してみたいと思っている。
現在、防具を付けて稽古を行っているのは名古屋の貫流だけになった。