柔術の源流 一日城無双一覚流捕手
一般に柔術の源流と目されているのは竹内流捕手腰廻で、天文元年(1532)に創始したことになっている。
それは現在に至るまで、その発祥地が明らかであり、かつ資料も残り、また武術でもっとも大切な技術(形)が伝えられていることで説得力もある。
しかし、伝承者が絶えたり、伝承地が不明であったりして、資料も散逸しているが、竹内流と同じ時代に多くの捕手(後の柔術)が萌芽していることは注目しなければならない。
その一つが、九州で佐藤一覚によって創始され、後に讃岐で隆盛した一日城無双一覚流捕手がある。
これは後に讃岐では無相流新柔術として坂出の中条家に家伝し、西日本の柔術界を風靡して、その流裔は昭和に至ったが、香川県ではこれを顧みるものが無く、誠に残念ながら、昭和四十年代に絶伝した。
一日城無双一覚流は竹内流に遅れること約60年、天正十九年(1591)の創始であるが、竹内流の影響はまったく見られない。
このころ、瀬戸内海沿岸には無双流、または夢想流と名の付く武術が群雄していた。一日城無双一覚流はその一つである。
難波一甫流もこの流儀から出たと伝書に書かれている。