幕末柔術の乱取 Randori of the late Tokugawa period jûjutsu
先に幕末期の柔術における乱取稽古の様子を 『武術絵巻』 より紹介した。
今回は明治の初期に嘉納治五郎とは別に天神真楊流柔術で行われていた乱取を修行した井口松之助が、自著 『柔道極意教範』 で解説している講道館柔道とは違った 「柔道の乱取」 について紹介する。
これは恐らく幕末期の乱取の様子をそのまま記録したものとして極めて貴重な文献である。発行部数は比較的多いので、お持ちの方も少なくないものと思う。
まず、現今の柔道が失った武道でもっとも大切な所作、礼法。
ここで紹介されているのは試合・稽古をする二人が片手を着く側と両手を着く側に区別されていること。これも重要な日本武道の文化である。
そして稽古着。これは既に紹介したとおり、上衣は短袖の刺し子、下衣は短パンのように短い。
次に、基本的な体作りとして受身や単独体操の法がある。受身は回転受身だけでなく、側転やバク転などもある。また、高跳びと言って、帯や紐を身長と同じ高さに張り、これを前後に飛び越える稽古をする(下画像)。
昭和三十年代にかつて西法院武安流武者捕を修行したことのある宮城県の古老が、河北新報の取材に際して六尺の高さの屏風を前後に飛び越え、その瞬間をとらえた写真と記事が同新聞に掲載された。
当時の乱取は技も豊富で、関節技が含まれていた。
形の名人と言われた天神真楊流師範の吉田千春は乱取で 「蟹挟」 を大変得意としていたことが記録されているが、現在の柔道では禁止技となっている。
また、肘逆を取る腕固めもあり、小兵が大男を倒す技が多く存在した。
投技はもっとも豊富で、例えば襟を取って絞めたまま捨身に投げる楊心流の「連固投」なども紹介されている。
今の柔道はこうした多彩な技法群を捨ててしまったため 「力の柔道」 となり、体重別に競技を行わざるを得ないスポーツと化した。
オリンピックを見ていても 「小 (柔) よく大 (剛) を制す」 などという柔術の理念はかけらも見られない。