馬術の神 「馬櫪尊神」
『北斎漫画』の馬術の項の最初に 「馬櫪尊神(馬櫪神・馬歴神)」 が描かれている。
馬の守護神で、厩 (うまや) の神でもある。
馬を供養する石造物として全国各地にその文字塔を見ることができる。
両手に剣を持ち、両足で猿とセキレイを踏まえている像として描かれるとされるが、この絵では手が四本であり、セキレイと猿も手で捕まれている。
中国から伝播した神で、両剣で馬を守り、猿とセキレイがその使者。
セキレイは馬を刺す害虫であるブヨなどを食べてくれる。
馬の「午」は火を表し、猿の「申」は水を表していて、荒馬を鎮めるという意味や、火事から厩舎を守るという意味がある。
馬は、農耕だけでなく、武士にとっても重要だった。
猿は帝釈天の使者という説があり、中国では悪魔退散の意味から崇められていた。
さて、今回この像を採り上げたのは、そんな馬術の神としての存在ではない。
この神が残る両手に持っている剣、すなわち「小太刀二刀」である。
現存する武術では天道流と柳生心眼流が伝えており、筆者はその両方を学んだ。
柳生心眼流のそれは来歴がはっきりしないが、天道流では江戸期から相伝された歴史が明白である。
しかし、以前にも述べたとおり、小太刀(脇差)を二本差すという想定は存在しない。
武術の世界だけに存在する非現実的な想定である。
戦っている最中に敵の小太刀を奪って使う、などというとんでもない話を聞いたこともあるが、武士は他人の業物を奪って戦うような不作法なことはしない。
宮本武蔵が二刀使いの嚆矢であるなどという説は、武術史を知らぬ者の言であるから無視するが、このような民間信仰の中にも両剣思想があるのであり、また中国の信仰とその我が国への移入なども総合的に視野に入れて考察を進める必要がある。
倉魔(鞍馬)流剣術の絵目録に『北斎漫画』に描かれている馬櫪尊神と同じ構えをした烏天狗が描かれていて興味深い。