古武道免許皆伝数記録保持者 北村益 Kobudô Menkyo-kaiden record holder Mas Kitamura
北村益(きたむら・ます)は、筆者の神道無念流の師、小瀬川充師範の師匠である。
武術家として以外に政治家、教育家としても名高い名士である。
また、俳諧・詩文・狂歌・川柳などでそれぞれ別の号を持つ風流の人でもあった。
明治元年、八戸藩士の家に生まれ、少年時代は病弱だったが、16歳の時北辰一刀流剣術を鈴木彦四郎に学んだことが大きな転機となる。
以後、大坪流馬術を堀野茂助に、富田清見流棒術・四条流礼式を前田武に、加賀美流打毬・穴澤流薙刀・川崎流柔術を伯父女鹿宗彬に、甲州流軍学・溝口流居合を岩山高憲に、高巣流縄術を細川来作に、通神流剣術を山本鎮元に、神道無念流剣術居合・柳生流捕者形鎖鎌十手鉄扇半棒術を前田利見に、一当流柔術は六里の道を通って名久井岳麓の日澤義直に学んで、これら全ての免許皆伝を得た。
旧藩伝承の正統武術を正式に入門・修行し、悉く免許皆伝を得たのは、明治維新後の武術家としては、その記録保持者であろう。
明治18年、旧藩文武の師範栃内吉忠を名久井山麓に訪ね、神儒仏にキリスト教、西洋哲学、経済などを学ぶ。
明治21年、国粋保存主義の基礎教育を施す八戸義塾を開設。
明治22年、尊王心に儒道、士道を基とし、実学に農業実習を兼ねた私塾八戸青年会を開設する。会の組織は幼稚園から女学校、中学校まで含む大学園式で、北村が独裁、士族の子弟を中心とした禁欲的な教育が行われた。
以後、公開図書館開館。新兵予習会設立。八戸消防組頭、八戸新聞社社長に就任。
明治40年には八戸町長となった。
北村の武術は彼の他界によって悉く絶伝した。
しかし、そのうちの神道無念流居合が、小瀬川充師範によって現代まで八戸に残ったのである。