日常生活に「ナンバ歩き」はあり得ない
江戸時代までの人々は皆、ナンバ歩きという歩行法をしていたというが・・・。
そんなことはあり得ないのではなかろうか。
このブログに来る人たちに今さら「ナンバ歩き」の説明は不要だろう。
簡単に言うと右手右足、左手左足を揃えて出す歩行方法である。
これは特殊な状況下にあった人たちが用いた特殊な歩法であって、日常的にこんな不自然な歩行を行うはずがない。
たとえば右手右足が同時に前に出るということは力を一点に集中させやすいために武術や農作業で用いられる。
また歌舞伎や祭礼の踊りなども動作を大きく力強く表現するために、この歩法を用いる。
特に踊りの場合には、この歩法が動作やリズムを整える働きがあり、また狭い間隔で並ぶ前後の人の動作を邪魔しないという利点がある。

飛脚もナンバ走りを使っていたなどと言っているが、飛脚は荷物を持っているために身体を極力振らなかっただけで、ナンバ走りなどという走法を用いていたとは到底考えられない。
江戸の様子を描いた絵図に右手右足が同時に出ている姿を見かけるが、これも特殊な場合(大名行列など)
の隊列歩行である。
また絵師が人々を描く場合の一つの表現方法とも思われる。
たとえば火事などで家から飛び出してくる人を描く場合、両手を上に上げている場面をよく見るが、実際にそんな格好で逃げる者はいない。
これは驚いて焦っている様子を誇張するための絵師による非現実的仮想表現の一つと考えなければいけない。
この歩法を江戸時代まではだれもが日常的に用いていたと主張する人たちは、一様に「ナンバ歩きが廃れてしまった原因は明治時代の徴兵制の折に西洋式歩行を強要されたためである」と口を揃えて言う。
そんなバカな話しはない。
何も持たずに、あるいは銃を所持して歩くのに、普通の歩行(右足左手、左足右手が出る)は体のバランスを保ち安く、エネルギーの放出も少ないのである。
日常生活における人間の行動則がたったわずかな期間の「明治維新」によって変わってしまうなんてことは常識的に考えてもありえないのではなかろうか。
江戸時代の人だって何も持たなければ、現代人と同じ歩き方であったはずであり、危急の場合には早く走ることだってできたに違いない。
考え方というのはいろいろあってしかるべきである。
従来論に囚われて、それを鵜呑みし、受け売りばかりしていたら、真実は決して見えてこないだろう。
陸上競技を専門とし、武術史研究を精力的に行っていた山本邦夫教授の著書『埼玉武芸帳』の「あとがき」を読まれると良いだろう。