戦後復活を試みる
戦後、中澤流の復活を試みた時期があった。
中澤流がなした護身術の速成教授方式は、戦後埼玉県大宮市に本部を置く八光流柔術が採用し、全国に普及した。
残念ながら中澤流には普及の拠点がなく、またキーパーソン(専任教授)がいなかった。
昭和37年8月15日付け『武蔵野新聞』の記事に「甲州兵法の護身術」と題して、復活を試みる記事が掲載された。
発起人は二代目中澤輝一と三代目中澤好夫(会長の師匠)の二人。
現在、日本では当水月塾以外に教える道場はなく、また普及する土壌もない。
ヨーロッパの有志が懸命に稽古に励んでいる。