『時代劇・剣術のことが語れる本』 の誤りを正す 11
P.216
「この新武徳会(S17)では、その武技は「剣道」「柔道」「弓道」「銃剣道」そして「射撃道」の五つとし、その他の種目は排除され、いわゆる「古武道」の道を歩むことになる。」
論評
それまでの剣道・柔道・弓道に銃剣道と射撃道が加わっただけで、古武道はそれ以前からも古武道であり、それまで古武道が武道として剣道や柔道と同列に扱われていたわけではない。まったく誤った認識である。
P.226
「柔道は嘉納治五郎率いる講道館柔道が、明治二十年代柔術界を制覇統一したことにより、早く流派色が消えたが、群雄割拠の剣道界にあっては、敗戦による大日本武徳会解散まで強く流派色が残っていた。」
論評
これもとんだ誤解である。彼は明治二十年代に柔術が消えてしまったかのように書いている。古流は古流として、また一部の古流は講道館の対立集団として存在したことを知らないのだろう。そして新たに講道館柔道に対立する柔術として明治三十年代に誕生した大東流柔術のことも知らないらしい。
また剣道家の多くは剣術を併修していたが、剣道と剣術は別に扱わなければいけない。統一ルールで競技を行う剣道に流派色が強く残っていたとはとんだ誤解である。
こちらは明治時代に撮影された剣道稽古のフィルムで、現在の剣道とはまったく異質なものである。組討あり、異種あり(鎖鎌が見られる)、折敷ありで、片手打ちが多見される。
しかし、これでも一定のルールは存在しており、それが競技を成立させていたのである。